子会社でよかったな(改版1)

篠塚さんの穏やかな人柄のおかげで、青年婦人部の主流派とぶつかることもなかった。過激な言動で行き詰っていた主流派の中核からは弱腰と非難されたが、平静をとりもどして大勢からは歓迎された。組合幹部との関係も修復されたし、誰もが篠塚さんでよかったと思っていた。ところが、年が明けたあたりから雲行きが怪しくなっていった。きっかけは市議会議員選挙だった。

組合委員長は労組を自身の政治家への転進の踏み台としか考えていない。形ながらに組合員の生活の向上を訴えてはいるが、最大野党への思い入れのない一般従業員の目には組合の私物化に映った。会社を上げた市議会議員選挙支援が、稚拙というのか露骨すぎて、あいつは組合の委員長なのか、それとも政党職員なのかという疑問の声すらあがらなくなった。誰の目にも、会社の労務政策の手先として市議会にという紙芝居顔負けの荒っぽい筋書きが露になっていった。

習志野の代々木系の活動家から距離をあけたにしても、似たような社会認識の篠塚さん、どうしても官公労に支えられているだけの野党の選挙活動に青年婦人部として積極的にはなれない。議員選挙の投票は個々の組合員の自由意志を尊重すべきと主張して、労組幹部とも、青年婦人部の中核からも一線を画していた。周囲になんと言われようと、政党とは健全な距離を保たなければという姿勢をくずさなかった。そこに会社の労務政策がからんだ企業ぐるみの選挙活動が本格化して、篠塚さんが周囲から浮いていった。

青年婦人部の跳ね返りを選挙活動の手足として使いたいという本音を隠して、根も葉もない怪情報がまかれていった。
『篠塚は代々木系の活動家だ』『篠塚は反社会的組織の党員だ』『習志野は党員の活動拠点になっている』
最初、そんなデマをと笑っていたが、組織的に嘘が繰り返されて、なかには、もしかしたらそうなのかもしれないと思いだすのもでてくる。
こっちも黙っちゃいられないから。『篠塚さんのおかげで青年婦人部も落ち着いて活動ができるようになったじゃないか』ニュースを流すのだが、組合員の煽動を目的とした嘘をひっくり返す力にはならない。突拍子もない嘘、それも大嘘であればあるほどニュース性があって、当たり前の、普通のことはニュースにならない。班会議で何度話をしても、これといった対抗策がうかばなかった。
青年婦人部の跳ね返り連中の主張は簡単で、個人として委員長の選挙活動を支援しているだけで、青年婦人部にとやかく言われることじゃない。確かに個人の自由であることには間違いがない。ただ、選挙ビラ一つにしても会社の金でつくられていることは、ちょっと想像すればわかりそうなものなのに、誰も想像しようともしない。従業員でもあり組合員でもあるものが企業ぐるみ選挙の先頭にたって、おかしくないかと考える知識もなければ知恵もない。『がんばろう』の後に『同期の桜』を歌うことになんの疑問も感じることもない人たちで、何を言っても聞きゃしない。

代々木系の集団とその支持者だけでは篠塚さんを守りきれない。任期が終えて半年したら、きちんと左遷の辞令がでてきた。活動家の吹き溜まりのようになった東京営業所営業技術課。誰もが予想していたことが起きたのに、誰もなにもできない。みんなのためにと思っても、みんなは何とも思わない。煩いヤツを島流にして平穏を保ったところで何がどうなるわけでもない。現状に疑問を感じたところで、現状にうまく乗ろうとしかしない人材ばかりが残って、次の時代を切り開くエネルギーのある若い人たちが消えていった。これは政治思想や社会認識にとどまらない。仕事の仕方から会社組織のありようまで、七十年代の中ごろになっても、戦前から文化が色濃く残っていた。そこは、工作機械メーカという軍需産業だった。

左遷の辞令は活動家、あるいは現状を変えなければと思っている人たちには、ある意味勲章のようなものだった。そんな勲章、篠塚さんならおかしくないが、まさかこっちにまでとは思いもよらなかった。裏でちょこちょこ動いていただけなのに、危険思想の持ち主とでも勘違いされたのか(?)。九月の人事異動で丸ビルにある子会社に飛ばされた。研究所の試作機の設計から子会社の雑用係りになった。海外から毎日舞い込む、それはもうゴタゴタとしかいいようのないクレーム処理に走り回る便利屋になった。

日立精機が遅れていたのだろう、七十年代の初頭、設計はまだドラフターを使っていた。大きな製図版のおかげで、視野が遮られていて、気になる周囲の目も少なかった。子会社の輸出商社にいったら、ドラフターのように視界をさえぎるものがない。壁際の席から、一目で部屋中が見渡せる。ドラフターもないし設計図を描くこともなくなって、半月ばかりは何も手につかなかった。
営業部や業務部の女性社員が極端なミニスカートで歩き回っていて目のやりどころに困る。高専時代から女性がほとんどいないところにいただけに免疫がない。毎日クレーム処理で、もう仕事という仕事をすることないだろうし、あれこれ考えるのをやめて、結婚して落ち着くのも悪くないかとまで考えてしまった。

まだまだ残暑の熱気のなか通勤電車で疲れて柏駅で下りた。まだ六時ちょっとすぎ、いつもより二時間以上早い。通いなれた路地に入っていって、見た目は高そうなドアを引いた。一歩入ったら、みんなの視線にさらされて一瞬たじろいだ。こんな時間に客はいない。まだ準備中のようなところに野暮なヤツが早すぎた。
九月に送別会をしてもらってからだから、二ヶ月ぶりになる。見慣れた顔によく見たドレス。何も変わらない。みんな同じなのに、自分だけがちょっと違っていた。研究所勤務のときもきちんとスーツにネクタイだったから、何が変わったわけでもないのに、何か違う。勤務先が我孫子から東京駅の前になって、どこにでもいる、技術屋ではないただのサラリーマンになってしまった気がしていた。

ママが変わらない笑顔で迎えてくれた。
「ああ、いらっしゃーい。ずいぶんご無沙汰だったじゃない。商社マンに出世して、仕事大変なんでしょう。でも元気そうでよかった」
元気? わけないじゃないのと思っても、言い返すのもめんどくさい。
風戸さんに七時にっていわれたけど、ちょっと早すぎた。ママに仕事の話をしたところで、わかりゃしないし、しようとすれば、どうしようもないところに追い込まれた自分がいやになる。ましてそこは場末とはいえ、一応はクラブ。適当な話題の一つや二つ、なかったものが丸ビルに通勤するようになってから目にするものも違って、話をつなぐぐらいには世間なれしてきた。

「ママさあ、スカートなんだけど、なんであんなに短いんかな。階段上がるとき、みんなバッグを後ろにして見えないようにしてるけど、そこまでして短いの履くことないじゃない。座るったって、普通に座ったら、見えないわけないじゃん。電車のなかじゃ注意しているかいいけど、事務所でなにかの拍子に見えちゃうんだよね。それで、あんた見たでしょうなんて顔されても、冗談じゃないっての……」
七十年代の中ごろ、布地をそこまでケチるかっていいたくなるほどスカートが短かった。もうそれ以上短くしようがなくなって、ホットパンツなるものまででてきた。下だけみれば、まるでセパレートの水着だった。

「なに、藤澤さん、毎日スカートの中見て目が肥えちゃった? うちの子だってみんなかわいいショーツ履いてんだから、あとでちょっと見てやってよ。私のオバンパンツからいく?」
ちょっと話をふれば、すぐその先にいってしまう。もうママの話にもなれて、その程度のことじゃあせることもなくなった。
「ちょっと待って、どうせ見るならちゃんと見なきゃ。めがね拭かなきゃ。ティッシュペーパー」
と思って腰をうかしたころに風戸さんが入ってきた。
ママがさっと立って、振り返って目でごめんねっていいながらドアに向かって、
「あぁ、風戸さん、遅かったじゃない。まったく遅いからいま藤澤さんに、私のオバンパンツを見てもらおうかと思ってたところよ」

入ったとたんパンツの話で、多少は面食らったみたいだが、なにも聞かなかったかのように、
「わいりな。ちょっと波男とごちゃごちゃしてな。待ったか?」
「なんだよ。風戸さん、なんでママのへそまでかくれるデカパンを見せてもらおうってときにくるの」
何をくだらないこと言ってんだという顔をして唐突に言われた。
「お前、出向してよかったな」
なんだよ、のっけから冗談よしてよ。子会社に出向で、仕事といえば雑用だけ。それで何がいいっての。
「そうよね。藤澤さん、どうみたって我孫子の工場ってガラじゃないじゃないわよ。大手町の商社マンでしょう。スーツもネクタイもばっちり決めて、ミニスカートが気になってって、ねえ風戸さん」
なんだよ、さっきからパンツの話かと呆れ顔で、
「そんなん、柏にだっていくらでもいるじゃねぇか」
「それが違うのよね。やっぱり女の子は東京じゃなきゃダメよ。東京っても上野や池袋なんてんじゃなくて、やっぱり丸の内のオフィスレディじゃなきゃ。同じパンツを履いてても、見て得したって思うのは東京よね。このあたりじゃねぇ」
「二人して、何をいってんだか。見たからってなにがあるわけでもないし、そもそもパンツなんかどうでもいいじゃねぇの。でも、見てくれって見せてんじゃないか、お前らって言いたくなるときあるな」

このままパンツの話はよそうよと思っていたら、藪から棒に、
「藤澤、お前班会議は金曜なのか?」
なんでそんなことまで知ってるの。まさかそうですよともいえない。
「週の頭は我孫子で、金曜はきまって習志野らしいじゃないか」
「技研(技術研究所)はお前がいなくなって静かになったけど、習志野に藤澤台風が上陸したって話だぞ」
「早速庶務課の周藤さんと綿貫さんからはじめたんか。手が早いのはいいけど、気をつけないとゴタゴタするぞ」
まったくどこから聞きつけたのか。
「えっ、藤澤さん、そんなに手が早かったの、知らなかった。女の子にいっとかなきゃ」
風戸さんに隠したってしょうがない。
「まあ、そんなところですよ。あいつらのネットワークじゃ総務や庶務をカバーできないから」

「それにしても会社も馬鹿だよな。馬鹿はわかってたけど、ここまで馬鹿とは思わなかった」
「ですよね。この馬鹿さ加減はもう説明なんかしようもない。呆れちゃいますよ」
「丸ビルに出すより、東京営業のほうがまだいい。丸ビルじゃ正々堂々と我孫子でも習志野でもいける。クレーム処理って通行手形をくれてやったようなもんじゃないか」
「片岡はよろこんでんじゃないか。これで藤澤と毎日のように話ができるって」
普通、誰だってそう思いますよね。でも近すぎると見ないほうがいい粗ばかり目に付いて。なってみなきゃわかんないでしょうねって思いながら、
「でも、最初出向を言い渡されたときは、何言われてんのかわかんなかったですよ。日立精機じゃなくて、子会社に出向ですからね。それもいつ戻れるかなんて保障もなんもないんですから。片道切符もらって、じゃあ行ってきますって。いったらそこは食えねえオヤジとミニスカート軍団ですよ。ちょっと社会観変わっちゃいましたね」

「そうそう、ママ、今資生堂のモア人気なの? 朝の電車で、どの車両に乗っても一人はいる。毎朝あの甘ったるい匂いにむせて、もう疲れちゃった」
「そうね、モア、値段も手ごろだし、あの甘い香りで悩殺って、でもそう多かったら、もうそろそろ終わりじゃない」
「なんの話してんだ」
「やっぱり東京よね。風戸さんはわかんなくっていいの」
「それが事務所にもいるんだな、モアが。匂いで誰かわかっちゃう。そんな匂い、移されたらイヤだから、健全な距離をたもって仕事仕事って、でもあの匂いにはころっとやられそうで怖いな」
「だめよ、藤澤さん、あんな安物にやられちゃ」

「風戸さん、行ったらびっくりしますよ。三十人くらいの所帯なんですけど、半分以上は若い女の子で、それもそこまで短いのは公然わいせつ罪じゃないかって。そんなのが甘ったるい香水をぷんぷんさせて歩いてんだから、うっとうしったらありゃしない」

「ついうっかり手でも握ろうもんなら、もう一生決まりですからね。フリテンなんかしようもんなら大変なことになっちゃいますから、かえって慎重になりますよ。独身でフリーなのオレだけみたいだし、もう視線が怖い……」
「でも、つくづく馬鹿だと思うな。お前みたいな組織に関係なく動き回るヤツをだ、わざわざ動きやすいようにって、それも仕事がらみで誰にも文句を言われることなく、動きまわれる」
「どう考えても、出向までで収まるわけないと思うんだけどな。どうなんだその辺は」
「さあ、どうなんでしょうね。技術の勉強に追われることもなくなったし、どこでも動けるようになったから、早々に出向は失敗だったって気がつくでしょうけど。それにして馬鹿ですよね」
「お前、気をつけないと、いくらもしないうちに、また飛ばされるぞ」
「でもですよ。国内市場が終わって海外にしか成長を期待できないところまで来てるじゃないですか。海外関係で仕事ができるようになったのを大阪や博多なんかに送りますかね?」

せっかく丸ビルの子会社に島流しにしたのに、島が近すぎてうるさくてしょうがない。三年を待たずしてニューヨーク支社に今度は転属になった。どこに飛ばされようが、拾うものを拾って、そこから勉強していけば将来は勝ってに開けるということを体験させてもうらうことになった。
2019/8/11