結論に至るプロセスでしょうが

「藤澤さん、この間の代理店とSI(System Integrator)の話、小林さんにもしたでしょう」
瀬口が口から泡でも吹き出しそうな勢いで言ってきた。
何を騒いでるのかと思いながら、
「ああ、先週ラインスキャンをどうするかって相談にいったときに、どう思うかって話したけど」
ああ、どうすんのとでもいう顔をして、
「小林さん、社長にいかにも自分が思いついたって調子で、点数稼ぎしてますよ。前にも言ったじゃないですか。これはと思う考えがあったら、あちこちに抜けがあってもかまわないから、ドラフトとでも一言つけて、メールしておかなきゃだめじゃないですか」
なんだまたその話か、そんなものどうでもかまいやしない。
「別にいいじゃないの。小林さんが稼げるなら稼げばいいだけで、そんなことで稼げる点なんかどうでもいい。オレが言い出してやるより、あっち(社長)から言い出させたほうがやり易いだろう。もうどうやってやるかまで大まかなシナリオは出来てんだから……」

代理店とSIを組み合わせたネットワークは、アメリカの制御機器屋にいたときには思いついていた。ただ営業部隊が後ろに引いてしまって、どうにもならなかった。営業マン一人ひとりが、それぞれ代理店、あるいはSIを抱えて、まるで個人商店のような仕事に明け暮れていた。目先にしか興味のない個人商店が群雄割拠したようなもので、新規市場を開拓しようにもじゃまでしょうがない。持てるチャンネルを有効に活用すべく代理店もSIも営業全体にオープンにしようとしたが、自分の手駒を同僚に乗っ取られるのではと身構える営業マンと、その上のマネージャの無言の抵抗にあって手をつけられなかった。

代理店は、物としての製品を売ることが仕事と考える昔ながらの営業スタイルから抜け出せないでいた。客が求めているのは物としての製品ではなく、その製品を使ったソリューションなのに、ソリューションを提案するだけの技術知識もなければ、エンジニアリング能力もない。一方SIは、ソリューションの提案もエンジニアリング・サービスも提供できるのに、売るという始まりのところがない。営業マンは子飼いの代理店とSIにまかせきりで、その間の調整すらしようとしない。定型業務を流しているだけで、状況に応じて必要なパートナーを組み合わせてという発想がない。
そこで、代理店もSIも会社にとってのパートナーと位置づけて、個々の営業マンを気にすることなく、代理店同士でもSI同士でも、担当地域も市場も関係なく、誰が誰と一緒に仕事をしてもかまわない、定期的に交流会も開いて、パートナシップを有機的なものにしてゆこうと模索していた。

瀬口が、なんど言ったらわかるのかって呆れて怒ってる。
「そういう話じゃないですよ。これはアプリ(アプリケーション・エンジニアリング)がやることでもなければ、営業がやることでもないじゃないですか。わかってんですか」
まったく、なにを偉そうなことを言ってんだと聞き流していた。
「うちが、マーケ(マーケティング)がやることですよ。それを部外者からの提案でするなんて、うちの能力が問題になっちゃうじゃないですか。そうなったら、藤澤さんだけじゃなくて、オレもそう見られちゃうでしょう」
なんど説明しても納得しないというのか、わかろうとしない。それが世間一般の考えだというもわかるが、そんな視点からみていてはマーケとして成長できない。マーケどころか社会人としての基本がずれていく。

「だからどうした。社長が言ってきたら、即実行可能なプログラムをほいとだしてやればいいだけじゃないか」
「そんなもの見せられたら、あのオヤジだって、誰が考えてのことなのかぐらい、わかるだろう」
そこまで言っても納得しない。なんど同じことを言わせるんだと、つい言葉もきつくなる。
「何度も言ってるじゃないか。こうこうこう考えて、こうこうこういう結論に至った、その結論だけを拝借して、その先どうなる。来月には状況が変わって、またこうこうこう考えて、前のこうこうこうとは違う結論になることだってあるじゃないか。具体的なプログラムをつくってやっていったら、こうこうこうじゃなかったってのが必ずでてくる。わかるか、それが誰から聞いたって結論じゃ、出てきた状況に対応なんかできっこないだろう。小林なんてのは、言われたこと、聞いたことを自分で思いついたと勘違いする幼稚園のガキみたいなもんだ。相手にするな」

一人でああだのこうだの考えていると、どうしても堂々巡りに陥りやすいし、とんでもない見落としもでる。致命的な勘違いに気がつかずに先を急いでしまうこともある。それを回避するには、似たような知識と思考レベルの誰かと意見を交わすしかないが、気の利いた相手がいることはめったにない。特定のケースであればまだいいが、どのような視点で市場をみて、事業をどう展開していくかという世界になると、社長といえども使い物になることのほうが少ない。

つい、身近にいるというだけで瀬口に相談していたが、ちょっと込み入ってくると面倒くさいが先に立つのだろう、「いいですから、藤澤さん決めてください。言ってもらえればやりますから」と押し返された。
「面倒なのはわかるけど、オレ、いつまでもここにいるとは思わないし、次の世代にこの思考のプロセスだけは渡してからいなくなりたいんだけど……」
いつもの面倒くせって顔をしている。
「なんども言ってるけど、これという結論がでて、その結論を聞いて実施してるだけじゃ、一人前のマーケにゃなれないだろうが。ここは面倒でも付き合ってもらわないと、いつまでもオレが背負ってじゃ困るんだよね。何年もしないうちにいなくなると思うから」
そこまで言っても、瀬口は口癖のように「決めてください。オレやりますから」としか言わない。
「わかってますよね、藤澤さん。オレ、もともとはアプリですよ。営業にまわしてくれっていったら、マーケにされただけで、マーケに思い入れなんかないっすからね。マーケじゃ、営業みたいにインセンティブつかないから、おもしろくないじゃないですか。面倒なだけで、やってられないっすよ。藤澤さんは好きなんだから、ずっとやってればいいじゃないですか」

三ヶ月前にも、似たようなことで言い合っていた。あの時は小林さんではなく川口だった。小林以上に調子のいいやつで、人の褌ですもうをとるどころか、人の褌を質屋にもっていってとでもいうのか油断も隙もないヤツだった。
半導体製造装置や検査装置向けの画像処理では世界を制覇していたし、マーケとして潤沢な予算もあったから、どの業界紙でも寄稿記事を掲載してくれた。毎号広告も絶やさなかったから、寄稿記事と一言いえば事足りた。値段は値切らない優良顧客、断れるわけがない。寄稿記事を書くのも掲載するも簡単だが、いつもいつも自社の名前では、またかよという印象を読者に与える。寄稿記事は、いくら薄味にしても、気の利いた読者には手前味噌の臭いが鼻につく。

そこで、親しいSIに書かせることを思いついた。まっさらから書くのは大変だろうから、ゴーストライターとしてドラフトを提供して、SIに追記と仕上げを任せればいい。SIはどこも小さな、知っている人は知っているというだけの会社で、たとえ時代を画すようなアプリケーションを開発しても、業界誌に相手にしてもらえない。業界紙はきまって零細出版社で、言っている、書いていることの価値を評価して、それを情報として流すほどの目利きはなかなかいない。名のある会社の、そこそこの立場の人が言っているから、書いているからというだけで掲載している。

SIにとってはまたとない宣伝になるし、記事を機会に引き合いがでてくれば、営業マンの手を煩わせることなく新しい市場が開ける。これはなんとしてもやらなければと、いくつかの業界誌には当たりをつけていた。
瀬口と話しているのを偶然立ち聞きした川口が、いつもように社長に具申した。それを聞いた社長も、呆れたことに、いかにも自分で思いついたかのように言ってきた。
「雑誌への寄稿記事をSIの名前でだしたら、みんな喜ぶと思うんだけど、どうかな」
一瞬何を言い出したのかわからなかった。何を今更と思いながら、
「ああ、それですか。もう山田さんと小池さんのところとは話をつけて、記事のドラフトは渡してありますよ。再来月とその翌月に掲載されますから、待っててください。記事の中刷り三百部も印刷して、営業ツールとして配布します。それから記事のPDFファイルは雑誌が出てから三ヶ月もしたらホームページに掲載しますから……」
横で聞いてた瀬口が真っ赤な顔をしていた。
社長が、ちょっと恥ずかしげな顔をして出て行ったら、いつもの瀬口節が始まった。
「川口の野郎、ふざけやがって」
「だから、いつも言ってるじゃないですか。ドラフトでもいいから先に出しておかないと、せっかくの考えなのに誰かに盗まれちゃいますよ」

盗むなら盗めばいい。盗めるのは結論だけ、そんなもの、明日には違う結論になっている可能性だってあるんだし、どれほどの価値があるとも思えない。状況から事業展開を、そして何をどうするかを考えるプロセスに価値がある。日々の業務を通して、そのプロセスをどこまで精緻化できるかがチャレンジであることに気がつかない人が多すぎる。
2019/11/3