祭りはごめんだ(改版1)

海抜五十センチほどしかない埋立地で震災にあった。液状化でどぶの水のようなものが吹きでて、町中が臭い。乾くと砂塵になって舞い上がる。不動産屋に言わせると新浦安駅から徒歩二分、七棟ある大きなマンション街だった。そこが五十センチ以上沈下して、すべてのインフラが止まった。水は出ないし、電気もガスもない。飲み水を求めて駅前のスーパーの列に並ぶのも、毎朝となると、いつまでこんなことしてんだろうと思いだす。真っ暗な中、懐中電灯を頼りに自衛隊が設置した簡易トイレにはつらいものがある。のんびり待ってれば、そのうち復旧するのだろうが、いつになるのかわからない。

余震のたびに携帯電話に警報が入って、おちおち寝てられない。すぐそこは東京湾、津波でもきたらどうなるんだろうと、落ち着くまで子供の卒業旅行をかねて京都に逃げ出した。根無し草の強み、どこでもいい、しっかり地面のあるところへと五月三日には横浜の港北ニュータウンに引っ越した。緑も多いし空も澄んでいる。騒音もない。のんびり生活するにはいい。ただ、いかんせん都心から遠すぎる。このままでは近間の商店街をうろつくだけの地域生活者になってしまう。それでなくても、仕事以外での社会生活のなかったもの、引っ込みすぎたと考えだした。

歳のせいもあって、これといって出かける用事も少ない。健康のためにも歩かなければと思っても、どこに行くにも目的もなしではつらい。ちょっと暑いから、寒すぎるしといい訳はいくらでもつく。どうしても出不精になってしまう。そこで、都心に住めばと考えた。二年ほど前に雑司が谷に引っ越した。デパートでも飯屋でもなんでも徒歩圏内にあるから、ちょっと気分転換にでかけるかという気にもなる。

雑司が谷にはつましい戸建てと小さなマンションしかない。やっとみつけたそこそこの広さのマンションが鬼子母神のまん前だった。最寄駅は目白だが、ちょっと歩けばそこは池袋。サンシャインシティもあれば、劇場ですらいくつもある。ビックカメラもヤマダ電機あれば、ドンキホーテまである。日常生活をちょっと超えたあたりのものでも、お世話になることもないものまで含めて、ほとんどなんでもある。山手線に丸の内線、有楽町線に副都市線もあるし、都電荒川線まであるから、どこに行くにも便はいい。西武や東武まである。

目の前にはケヤキ並木の参道もあるし、大きなイチョウの木もある。緑もあっていい所に引っ越したと思っていた。まさか鬼子母神の騒音に悩まされるとは思いもしなかった。よほどの天気でもなければ、参拝客や観光客がくる。週末にバザーが開かれることもある。初詣には人の列ができるが静かな正月気分を味わえる。そこまではいいが、豆まきには都知事や芸能人もきて騒がしい。盆踊りともなれば、定番の曲が繰り返しながれて煩い。年に二回ほどだと思うが、一週間ほど赤テントが張られる。ちょっとした観光地なのだろう、鬼子母神はさまざまなイベント会場のように使われている。
いろいろあるが、盆踊り以外はどれも騒音のレベルが知れているし、いっとき我慢すれば終わる。どうにも困るのは御会(おえい)式で、十月の半ば三日間にわたって毎晩太鼓が打ち鳴らされ、チンチンとチンドン屋のような鐘の音が絶えない。七時すぎから十時半まで、窓を閉めても煩くてたまらない。出店の焼き物の匂いや煙にも悩まされる。昼間からいつもにもましての人通りで、洗濯物を干すのもためらう。

縁もゆかりもないサンバのリズムなんてものいやだが、なんの音楽的要素も感じられない、ただ太鼓がドンドン。ちょっと高いが誰でも太鼓を買える。なんの練習もなく買った太鼓をみんなでドンドン。単調な騒音以外にはならない。
祭りは、昔は地域の人たちの無礼講だったのだろうが、もう雑司が谷にはそんなに多くの人は住んではいない。遠路はるばる、どこかから騒ぎたくてか、騒ぎを楽しみに来た人たちだろう。
再開発の進まない年寄りの多い町で、あちこちに廃屋も目立つ。そんな町には床に伏せている人もいるだろうが、祭りということで隣近所への配慮はない。日常にいくらでも娯楽があふれている時代に祭り。しんみりした祭りなんかに人は来ないだろう。祭りという名目の大騒ぎで鬱積した日々のストレスの発散、自己の開放ということなのだろうが、目の前に住んでるものには煩くてしょうがない。
祭りという看板を掲げた騒音と看板のない騒音になんの違いがある。どっちも煩いだけで傍迷惑。騒ぎたければ人家のないところで勝手に騒げ。

新浦安も駅前の大きなホテルの真裏だったから、騒音には無縁だったし、港北ニュータウンは田舎のなかのオアシスのようなところだった。都心で日々の生活に飽きがこない、そして交通の便がよくて……。そんな贅沢ができる身でもなし、数日間の騒音なんか我慢しろということなのだろう。
御会式の二日目の午後からは小雨が降っていた。ねっからの不信人者、このまま本降りになればと、生まれて初めて雨に期待してしまった。
2019/12/29