部下は説得できない(改版1)

ここでいう説得とは、対等の立場で、合理的に状況なり考えなりを伝えることであって、命令や脅しでもなければ、泣き落としでもない。
あちこち渡り歩いてきたが、どこにいっても、立場に関係なくつとめて合理的にと心がけた。ただ、どうしても対等の立場にはなれなかった。組織内では上下関係がつきまとうし、親会社と関連会社という関係もある。一歩社外にでれば、買う側と売る側という関係もあれば、代理店やエンジニアリング・パートナーもいる。ときには発注元と外注先ということもある。いくらこっちが対等にと思っても、「はい、そうですか、じゃあ、対等に」と姿勢を変えられる人はいない。組織や仕事を離れた個人的な付き合いにしても、社会的な立場からくる上下関係がついてまわる。たとえ社会的立場から離れても、年齢が上だからといだけで敬う、敬わなければという常識から自由にはなれない。

いくらこっちが対等な立場と思っても、面従腹背よろしく、上手に上っ面だけ合わせてくるのも多いし、なかには納得せざるを得ないのに面子を失うと思ってか、説得されることを頑なに拒否する人たちもいる。それでも、相手の立場に立って、理を尽くして説明はできる。たとえ傲慢な客やエライさん相手でも、説明を聞かざるを得ない状況にあれば、説明もできるし、いやいやながらにしても納得してもらうこともできないわけじゃない。

ところが、立場が下の人たち(人間関係の上下は嫌いだ)、典型的な例は部下になるが、説明しえるかと考えると自信がない。当時を思い浮かべると、してきたつもりでしかなかったんじゃないかと思う。はっきり認めてしまえば、できたためしがないとしか思えない。いくら相手の立場に立って、それも将来のありようまで含めて、極端な場合には、転職するにも、この仕事は経験しておいたほうがいいと思うんだけどと説得しても、せいぜいロジックとして聞いている、しばし聞こえてはいるというところまでだった。
上司がこういってるから、上っ面にしても恭順の姿勢を見せておいたほうがというのが透けてみえる。名優顔負けの演技で、心酔しているかのような相槌をうたれると、説得している方が納得させられているように気にさえなる。説得して、納得してもらわなきゃと話しているときに、瑣末なことで妙に感心した素振りをされると、話す気も萎える。
中には、うだうだとした説明なんかどうでもいいから、命令してくれと言って来るのまでいる。命令されて、言われたことを適当に端折って上手く手を抜いてが仕事だと、それが社会人としての処世術だと思ってる。

お互い立場があるから聞いてはやるけど、手短にしてくれよというのがみえる。説明の背景なんかあんたの都合で、一従業員のオレ(私)にとっちゃなんの関係もない。言われたことをやって、時間になれば、それで終わり。できるだけ楽をして、できるだけの給料をもらえればいいだけで、仕事の結果がどうのこうのは、オレ(私)の知ったこっちゃないとしか思っちゃいない。
それが新入社員でもなければ、二十代の新米でもない、もう四十も超えた中堅社員だから手に負えない。その下の兵卒レベルになると、説明しているほうが馬鹿にみえることすらある。話し終わったときに、何を話したのかと訊いたらどうなるのかと思ったこともあるが、何も覚えてないんじゃないかと思うと、怖くて訊くに訊けない。

上司は、人によるところが大きい。能のないのに限って、部下にロジックで説得されて、納得させられるのを沽券に関わると思っているのがいる。納得しなければ己の身が危険だと気づくように誘導できればいいが、そこまでの考えのないのも多い。そんな上司にはどんなに理にかなった説明も用をなさい。上司の上司から権力で命令するしかない。

手間暇かけての説得がどれほどの意味があるのかと考えると、相手の事情や考えなど気にすることもなく、命令するしかないのかと寂しくなる。つたない経験からだが、説得されるより命令された方が楽でいいという人たちがことのほか多い。そんなところからは、命令しかできない馬鹿マネージャしか育たない。いくつ先はパワハラ(もどき)でしか動かないブラック組織や企業、その類のニュースを耳にすると今も昔もたいして変わっちゃいないとしか思えない。突き詰めれば、それは個人個人の問題だが、個人を超えた、長い時間をかけて作り上げられた組織の文化の問題と捉えないと問題の本質が見えてこない。なぜ、組織の文化と言っているのか。ちょっと想像してみればいい。朱に交わって赤くならない人はなかなかいない。

血のせいか、朱に交わっても上っ面が多少ピンクがかる程度で赤くなるほど柔じゃない。ただ朱アレルギーには散々苦しめられてきた。なんのマネージャだったのか、何をしてきたのかと情けなくなるが、変わらない社会、一人でどうこうできもんでもなし、もう距離を空けることにしている。
2020/1/12