Bitter sweet hot potato(改版1)

関係者の間でたらいまわしになっているゴタゴタが駐在員のアメリカ人の耳に入ると、しばし「Who has the hot potato?」と聞かれた。ほとんど他人事のような口調だった。このままでどうするのか、と気にはなっても、誰の責任をと問うには、もう精神的に摩滅していたのだろう。どうしたものかと気になるまでで、よほどのことでもなければ、お前、ちょっと行ってこいという話にはならかった。

客との間に入って、なんとかしなければならない営業マンも、アプリケーション・エンジニアも英語が不自由で英文資料から必要とする知識を引っ張り出せない。わからないなら、事業部に電話でもいれて訊いてしまえばと思うが、そこには英語での意思疎通という壁が立ちはだかっていた。

アメリカ本社からの駐在員として、日本人従業員に日本語の資料を提供しえないままできた自責の念がある。気持ちはあるが、片言の日本語までで、どうにもならない。通訳までなら事務の女性社員もいるが、技術が絡むと頼りにできない。ましてや、社内の関係者と代理店やSI(システム・インテグレータ)と顧客の間に入っての丁々発止などできるわけもない。
ただ傍観しているわけにもいかないが、自分では手も足もでない。そこに、いざとなったときの便利役、日本の関係者の話を整理して、アメリカの事業部との間に入って対策を引きずりだす、Hot potatoの始末屋だった。

Hot potato、意訳すれば、「手にあまる面倒事」あたりになる。誰もそんなもの手にしたくないし、万が一受け取ってしまったら、出来るだけ早く実務の担当者に回してしまいたい。「ババ抜き」のジョーカーのようなもので、いつまでも持っていたら、火傷しかねない。避けきれない責任があったところで、よく言えば賢い、ずるいヤツなら、なんとしでても身をかわして知らん顔を決め込む。そこに好き好んでHot potatoに手をだしくるお人よしの馬鹿もいる。その馬鹿な役回りだった。

しぶしぶにしても受け取ってしまったら、さっさと切り刻んで、これはこいつに、あいつにと要素別に問題解決の方向を決めて、どこにも渡せないところだけ自分で処理する。それが一個や二個ならまだしも、冷めないうちに次のが転がり込んでくると手にあまる。どうしたものかと思っているところに、その次の臭いがしてくると、もう勘弁してくれ、千手観音じゃあるまいし、なんでもかんでも放ってくるな、と逃げ出したくなる。

誰もが避けたいHot potato、でもなかには、これは欲しいSweetと一言付けたいHot potatoもある。一筋縄ではいかない、扱いを一歩間違えれば大火傷しそうな大口注文、あまりの熱さに腰が引ける営業マンもいる。「おい、仕掛けて仕掛けて、何年になる。それを取らずにいられるか、ふざけるな」って、慌てて取りに出る。取ったはいいが、数字(営業成績)は何もしないし、できない担当営業マンのもので、裏方のマーケティングにはゴタゴタの処理が待っている。それこそ「ふざけるな」って愚痴の一つや二つ、抑えきれるもんじゃない。

辛くて苦くて渋いbitter hot potatoに舌が麻痺して、多少のおかしな味には驚かなくなる。そんなところに、もしかしたら、これは本当はSweet hot potatoかもしれないというのが転がり込んでくることがある。出会ったばかりの、この人とはうまくやっていきたい、なんとしてもと思っている人から届いたメール。仕事でも個人のものでも、受け取ったらできるだけ早く返信するように心がけているが、このSweet hot potatoは手の平で熱さを感じなくなるまで味わいたいという俗な気持ちも働いて、返信するのをできるだけ先延ばしにすることがある。冷めきらないうちに返信はと思いはするが、社交辞令かその延長線のメールでしかないかもしれないし、勝手に舞い上がってどうする、この痴れ者がという負の気持ちが涌いてくる。返信したら、それで終わりじゃないかと気にもなる。そして返信したら最後、案の定、それで終わり。Bitter potato をSweet potatoだと勘違いした寂しさもあって、もう惑わされないようにしなきゃって、気持ちを新たにする。終わってしまえば、何を気にしてということもなくなって、ほっとしないわけでもなし……。ところがPotatoによっては余震を残すものがある。なんとか抑えなきゃ、忘れてしまおうとしているところに、ぶり返してきて忘れさせてくれない。いつまでたっても心が揺れる。ときがたって揺れを一飲みできるようになるのを待つしかない。

見かけだけのSweetもあれば、隠された思惑が透けているのもある。なかにはもう腐っているとしかいいようのないものまである。それはそれでしょうがない。それが世の中ってことだろうし、仕事も人と出会いも一期一会。今日があっても明日はわからない。わからないからから、明日を思って今日がある。
2020/2/9