彼の地の彼らの紛争がおいしい(改版1)

租税も予算もろくに知らない。財政学は名前を聞いたことがあるだけ。ましてや軍事や軍備にいたっては、新聞記事に毛の生えた程度の知識しかない。用語の定義すらままならない素人、単純に紛争や軍事衝突は軍需産業に飯の種をもたらすものだと思っていた。ところが、軍事と軍備、どうもそう簡単な話ではなさそうだ。

アメリカを私物化して金儲けに余念のないトランプが、前任者から引き継いだ軍事介入からは手を引こうとしているし、新たな軍事介入はしそうでしない。話を聞いている限りでは、好戦的としか思えないトランプが、なぜ軍事介入をさけるのか? どうにも腑に落ちない。とんでもない勘違いをしているのかもしれないが、多少の参考も見つかったし、まったく間違いということもないだろう。何をいまさらの気もするが、そういうことなのか、そう考えれば起きていることの説明がつくと思いだした。

トランプの判断基準は単純明快、自分と自分たちの金儲けになることならいい。ウソでもごまかしでもかまいやしない。勝てば官軍をもじっていれば、儲けたが勝ち。議会も司法も世論なんてのも、ちょろいもんで金で買える。金さえあればなんとでもなるとしか思っちゃいない。
アメリカ第一主義だとか、強いアメリカだとか言ってはいるが、それがもし、自分や自分たちの損(経済的損失)につながるようなことであれば、死んでも口にしないだろう。環境破壊でも人種差別でも闇取引でも利権のやり取りでも恐喝でも買収でもなんでもいい、儲かるのならそれが正しい。巷の普通の人たちの視点で正しい、あるいは多くの人たちにとっていいことであっても、自分と自分たちの儲けにならない限り、間違っている。金に汚い横丁の闇金どころか詐欺師まがいのブローカーのメンタリティそのままでアメリカ中を、そこから全世界にまで儲け口のために走り回って、エゴむき出しの、しばし真っ赤なうそをつき続けてきた。

武力衝突をなんとか避けてきたところに衝突を助長するかのような発言を繰り返して、偏狭な民族主義や人種差別や宗教対立をあおって武力衝突を誘発してきた。世界中に紛争の種を撒き散らして、どうみても好戦的な大統領にしか見えないが、金儲けの視点からみると別の顔が見えてくる。
軍事介入を避けてきたことから、トランプは平和主義者だと勘違いする人たちもいる。ちょっと後ろに引いて、トランプがのっている利権集団のありようをみれば、平和主義でもなんでもないことがわかる。軍事介入しないのは、下手にすれば自分たちの儲けが減る心配があるからでしかない。
他国の領土を殖民地にしたり、賠償金を取れる時代でもない。損得勘定したら、戦争は割に合わない。ブッシュはアメリカ軍を派遣して愛国者を演じたが、トランプは愛国者の格好をつければどれだけ儲かるのか、あるいは損をするのかでしか考えていない。

実戦部隊を派遣すれば、膨大な戦費がかかる。国家予算にも限りがあるから、あちこち削って戦費に回すといっても限度がある。その限度のなかで戦費が膨らめば、軍需産業への研究開発から実需にむすびつく発注を減らさなければならない。軍需産業の利権を優先しなければならない政治(利権)屋の立場では、彼の地の彼らの軍事衝突は儲かるからいいが、実戦部隊の派遣は損するから避けなければならない。

ちょっと長いが『タブーすぎるトンデモ本の世界』著者:と学会、出版社:サイゾーを引用しておく。
「戦争とはとかく金のかかる大事業である。兵隊さんたちや武器・弾薬を戦場へとはこばなければならない。兵隊さんたちにはちゃんと飯を食わせてやらなければならない。損害がでれば補充する必要もある。
実際、2003年3月20日からはじまり5月1日(ブッシュ大統領の大規模戦闘終結宣言)まで続いたイラク戦争では部隊・装備の空輸や海上輸送、部隊支援、居住地と食料、装備のメンテナンス等々の費用でおよそ110億ドルが必要とされた。そうした戦争の直接の実行費ともいうべきものが軍事予算を圧迫し、新型装備の調達や開発は後回しとなる。軍需産業はそのしわ寄せを受けることになる。軍需産業というものもなかなか楽な商売ではないのだ。このような事例はF-14だけではない。イラク戦争後の予算引き締めのあおりを食って、80億ドルをつぎ込んだコマンチ・ヘリコプターの開発が中止されているし(日経新聞、平成16年2月24日付け)、アメリカが対テロ戦争(オバマ政権では「対テロ戦争」という用語をやめている)を継続中にもかかわらずボーイングとロッキード・マーチン社が開発したステルス戦闘機F-22は当初600機以上を導入するという景気の良い話だったのが、最終的には187機にまで削減されてしまった」

p.s.
日本にとって第一次世界大戦は彼の地の彼らの戦争だった。かなりおいしかったのだろう、大戦景気で日本は先進工業国の仲間入りをはたした。第二次大戦で焼け野原になってはじめて、おいしいのは彼の地の彼らの紛争であり軍事衝突であることを、そしておいしいものの中毒がどれほど危険なことかを知った。その教訓が憲法九条にいきている。
何時の時代にも安寧としていられるときはいつまでも続かない。高度成長も終わって、少子高齢化もすすんで、高止まりした生活コスト(=製造コスト)から日本株式会社が国際競争力を失い続けている。民需で国際競争力を失った重厚長大産業が軍需に傾斜して、彼の地の彼らの軍備に生き残りを賭けている。彼の地の彼らの紛争を飯の種にしなければ、日本株式会社がなりたたないところにまで追い込まれている。企業城下町長崎市の市長になったと思って想像してみればいい。

売るほうはビジネスだが、買うほうは命がけの軍備。戦地 (自衛隊の演習ではない) で軍備の優秀さを証明しなければ、商談の土俵にすら上がれない。そこから憲法九条の改正、そして自衛隊の戦地への派遣をともくろんでいる人たちがいる。自衛隊を派遣して、彼の地の実戦でローコストで効率よく物を破壊して、人を殺したという実績を引っ提げて国際軍需市場に参入しようとしている。
おいしいものの中毒の恐ろしさを体験したことのない世代、知ろうとしない(知りたくない)人たちにしてみれば、おいしいものを放っておくのは、あまりにももったいない。企業の存続や従業員の雇用という背に腹はかえられないといういいわけもある。当初は隠れるようにこそこそしていたのが、近頃では大手を振って……、もう中毒症状がでてきたようにもみえる。
2019/9/29