えっ、オレのサインでいいの?(改版1)

デパートの上のレストラン街に昼飯にいった。女房のお気に入りの和食の店で美味しいらしいが、何度いってもC級グルメ以下の舌にはわからない。平日の遅い昼飯だからだろう、まばらな客は女性だけだった。お手軽な懐石料理はいいが、燃費の悪い男には食った気のしない、ものたりないものしかでてこない。親父から聞いた高級フランス料理の笑い話を思い出した。「なれない料理で、肩がこっただけで食い足りない。店をでてから駅裏のラーメン屋でほっとした」
もう三時過ぎだし、客もほとんど残っていない。これといった予定はないが、長居をするのも気がひける。ちょっと遠回りになるが、図書館に寄ってから、サンシャインのパン屋によってバタールの一本も買って帰ろうかと思った。

「そっちへいくのなら、このカードもって行って。いつものカードよりポイントがいいから。五百円以上じゃないと店のポイントは付かないけど、もしかしたら他にも買うかもしれないじゃない。こっちのポイントカードも……」
女房名義のクレジットカードポイントカードを持たされて、いつものパン屋にいって驚いた。まだ四時まえ、夕食の買い物の時間でもないのに人が列をなしていた。待たされたあげくに、バタール売り切れなんてことはないよなって、列から首をだしてショーケースの中を見てみたが、人に隠れて見えない。列の前には母親が男の子と女の子を連れた三人家族がいた。やっと自分たちの番になって、三人でどれにしようか、あんたがそれなら、私はこっち。そうなら僕はこっちにしようかな……、決まりそうで決まらない。並んでいるうちに決めとけよと言いたくなるが、軽いとはいえ昼飯も食って、先を急ぐわけでもない。三人のやりとりを面白く聞いていた。

やっと番になった。店員に「バタール一本なんですけど、二センチにスライスしてもらえますか」って訊いた。先の家族の母親がパン・ド・ミのスライスを頼んでいたのを訊いていた。店でスライスしてくれるのを知らなかった。パン・ド・ミの話を聞いていたから、ためらうこともなく頼めた。
店員がちょっとかがんでショーケース……、あれっと思ったら、手にしてたのはビニールの袋に入ったバタールだった。
「これでいいですか」
スライスしてパックまでしてあるのが用意されていた。新しいのをスライスしてもらえなくて、ちょっとがっかりした。でも、それじゃなくて、別のをスライスしてとは言えなかった。
「はい、じゃあそれで。このクレジットカードでお願いしたいんですけど」と女房名義のカードをだした。
女房のカードであることに、なんともいえない後ろめたさがある。
「女房のカードなんですけど、持ってけって言われて、いいですか」
愛想のいい店員が妙に明るい声で、
「はい、大丈夫です」といいながら、トレーにおいたカードをカードリーダーに差し込んだ。
「すいません。暗証番号を入力して緑色の実行ボタンを押してください」と言われてあわてた。
カードは持たされたが、暗証番号は聞いてない。小額の買い物では、暗証番号の入力を省略している店も多いのにと思いながら、
「すいません。女房にカードは持たされたんですけど、暗証番号は聞いてこなかったんで……」
そういう亭主も結構いるのだろう、何もなかったかのように店員が言った。
「そうですよね、サインでお願いできますか」
何がそうですよなのか、サインでお願いしますって、何を言っているのかわからなかった。気がつくまで、時間にして一二秒、
「えっ、オレのサインでいいん……、 女房のカードなんですけど」
店員にしてみれば、なんで、そんな疑問をなのだろう。
「はい、ご主人さまのサインでオーケーです」
耳を疑った、なんのためのサインなのか。それじゃ百均で買ってきた三文判でも捺してあればいいというのとなにもかわらないじゃないか。サインなんてのは何か書いてあれば、書く人の様子や服装がそれなりなら、信用していいということなのだろう。だったら名前をくずしたものどころか、×でも○でも△でもといういいという話しにならないか。

拾ったカードでたかが三百円のパンを買うリスクをおかす人はいないだろうし、見てくれや挙動がおかしくなければ、信用してしまっていいじゃないかという日常がある。核家族化と都市化がすすんで、人と人との係わり合いが希薄になった。それでも人と人との信頼関係がなりたっている。穏やかで住みやすい日本ということなのだろう。

p.s.
もう十五年も前になるが、仕事でボストン郊外の典型的な中流階級の町、Lexingtonに住んでいた。ある日、なにかの用事で娘二人を早引きさせなければならないことがあった。同僚から女房のサインの入った承諾書を持参した方がいいと言われた。なにをそこまでと半信半疑だったが、先生から承諾書を見せるように言われた。離婚率も高いし複雑な家庭も多い。親権争いもあるのだろう、片親が小学校に来て、子供をでは通らない。サインは本人確認の、本人の意思の証。それをしなければ、なければ通らない社会もある。世界ではそれが普通で日本が特殊なのかもしれない。
2019/12/1