やるっきゃない(改版1)

「なにやってんだ、お前」
http://chikyuza.net/archives/97878の続きです。

篠塚さんが東京支店に左遷されてから一年、遅かれ早かれ出てくるだろうと思っていたが、いきなりのデュッセルドルフにはみんな驚いた。伝統的な労務管理の視点からみれば、代々木系の中心にいる片岡を抜いてしまえばというのもわかる。しかし将来を見据えなければならない経営という観点からみると違う景色がみえてくる。萎縮し続ける組織を多角的にみて事業の建て直しをという本質を見失っているとしか思えなかった。状況に多少の疑問を感じたところで、うまく立ちまわることしか考えない人材ばかりが残って、改革へと向かう芽をことごとく潰してきた。
青年婦人部でくだを巻いている連中とは違って、代々木系の活動家は仕事にしてもなんにして馬鹿がつくぐらいまじめだった。まじめがゆえに、現状に対する疑問符をそのまま口にする。それが会社だけでなく労組もうっとうしくてしょうがない。辞令片手に労組にいっても門前払いだった。御用提灯さげた労組、誰も期待していなかったが、いつものように何の役にも立たなかった。代々木系の追い出しは、たとえ暗黙にしろ、労組との合意の上だったとしか思えない。

班会議も終わってみんな帰ったところに一人残った。この時間に柏の寮までは遠すぎる。片岡のアパートに泊まるとなれば、時間はいくらでもある。班会議の興奮もあってか、いつもは青っ白い片岡の頬がピンクのままだった。みんなと話してきて、改めてなにをというのもないが、二人でおさらいのような話になった。
「やっぱりやるしかないだろうな」
何をいまさら言ってるという顔でつっけんどんに、
「あたりめぇーだろうが、ここまできてはいそうですかって言えるか、馬鹿野郎」
そう突っ張るな、気持ちは誰も同じだ。ただ、当事者としてやるのと支援する側にいるのでは違う。やれば必ず負ける。何をもってして勝ちというのか負けというのがあるにせよ、世間一般の目でみれば、勝ち目はない。十年かけて二十年かけて最高裁までいっても、政治が大きく変わりでもしない限り負ける。それをわかっていてもやるしかない、みんなそう思っている。みんないじめられて強くなっている。身内から落伍者の心配はない。表には出せないが上部組織の支援もある。決して多くはないが固い支持者もいる。でも最後は一人、当事者としての片岡にすべての負担がかかる。やれば、技術屋としてどころか、普通の会社員としての生活は望めない。たとえ勝ったところで、活動家として生きていくしかなくなる。みんなが、どこまでそれをわかっているのかわからない。少なくとも片岡と二人でどこに価値を求めて戦っていくのかだけは話しておかなきゃならない。

「だな、それにしてもデュッセルドルフにはびっくりしたな。いつ出てくるかと思ってたけど、飛ばされても、大阪か福岡あたりとしか思ってなかったからな」
カツカレーを食いながら、もう腹を括った余裕からか、余裕があるように見せようとしてのことか、いつものだからどうしたって顔をしていた。
「支店や子会社じゃ、活動家への差別だといっても迫力ないけど、なんせデュッセルドルフだからな」
ただの左遷じゃない。海外(追放)だというところにみんなの視線が集まる(はず)だと二人とも思っている。
「まったくなんでここまで馬鹿かと思うんだけど、福岡あたりにしておけば、同情をかうったってしれてるのに、わざわざデュッセルドルフだ。海の向こうとなると、そりゃ遠すぎる、家の事情だとかなんだとかで人集めにはいいけどな」
片岡はもともと強い男だったが、ここまで強いとは思わなかった。追い込まれて、エネルギーが凝縮したかのようだった。発散される光がまぶしい。長丁場になるんだし、周りのことも考えてちょっと抑えろやと、半分茶化して言い返した。
「おい、片岡、まさか思ってたのより大きいのが出てきたってんで、よろこんでんじゃないないだろうな。お前、本気でやるんだよな」
「なんだ藤澤、本気でって言い方はねぇだろう。本気じゃなくて、なにをしようってんだ」
いつものことだが、熱くなると目が据わってくる。もともとごついだけに近寄りがたくなる。
「党にも話は通してあるし、先生方のほうの手はずもついてる。ここでオレが、やっぱり止めますなんて言えるか、馬鹿野郎」
「今の司法じゃ、どうやったって勝ち目はないぞ」
なにをいまさらって顔をして、いつもの調子で片岡が突っ張ってきた。
「そんなことはわかってる。負けを承知でやらなきゃならない戦もあるだろう。負けるたって、ただで負けるつもりはねぇーからな。ただどこまで押して、どの辺りで手打ちにするかの算段もなしで、闇雲に出て行っても、こっちは個人、向こうは法人、どうしたって金も時間も組織もなにからなにまで……、ベトナム戦争でもあるまいし、ゲリラってわけにもいかないねぇーしな」
おい、片岡、言う相手を間違ってねぇーか。気持ちが高ぶってるのはわかるが、そう突っ張るな。何年どころか、おそらく十年を越える長丁場の戦に気持ちだけで動いていたらもたない。わかってんだろうと思いながら、
「そう突っ張るな。長丁場の戦にはじめからスパートかけてたら、続かないだろうが。そのくらいのこと、わかってんだろう、お前。内の組織固めはみんながやればいいけど、外の支援団体づくりは、お前が走り回らなきゃならない。何をしようにも、どこにいこうにも体は一つだ。早々に上と先生方に相談して、外回りの算段が先だ。なんせ相手のあることで、俺たちの都合だけじゃ動けない」

飯も食って多少は落ち着いて、コーヒーをすすりながら、なにか整理しているのか遠くを見ていた。
「明日にでも、上と先生方に予定を聞いてみるけど、お前もくるよな」
「あたりめぇーだろうが。なんだその疑問符がついたような言い方は」
片岡を落ち着かせようとしているこっちも片岡と同じように気が高ぶっていて、抑えられない。
「ただオレは表には出ないぞ。下手に出ると後々動きにくくなるから」
「外部の支援団体には仲間を連れてくな。一緒に行くのは先生までだ。党もだめだ。絶対表にだすな。党の匂いがしただけで引いちゃう、引かざるを得ない人たちもいるからな。お前一人でもという意思の固さをアピールしたほうがいい。みんなに担がれて乗ってるように見られたら終わりだ。わかってんだろうな。みなんいるけど、最後は独りだ」
片岡にしては珍しく、おとなしく聞いていた。疲れているはずなのに高揚感もあって気が張っているのが見える。
「おい、もう一杯コーヒーのおかわりしてから帰るか」

外部の支援をといっても、どんな準備をして、どこをどういけばいいのか見当もつかない。それは片岡も同じだったと。ところがそこは組織の力なのだろう、上部組織からこことここはこういう感じで挨拶に回って来い。こっちは指名解雇でもう何年も身分保全の戦いをやってるから共闘体制をとれ……。舗装されているかのような道が用意されていた。その多くに弁護団の先生方がかかわっていて、こっちはこっちで違う筋道がある。あっというまに、いくつもの争議団と、たとえ状況はさまざまにしても協力体制ができあがっていった。「片岡を守る会」は出来るわ、不当解雇撤回を旗印にした東葛飾地区の統一団体までできた。

デュッセルドルフに飛ばして一件落着と思っていた会社があわをくった。争議を抱えている会社は多い。単独で対処しているところもあるのだろうが、経験も知識も限られている。資本系列やらなんやらの伝手を頼って経営団体に指導を仰ぐようなかたちになる。こうなると一民間企業と一従業員の身分保全の話では収まらない。人事権は会社の不可侵の権利であると金科玉条のように主張する経営団体と生活権をもとにその行き過ぎの是正を求める総労働の、組織と組織が面子もかけた労働争議のような様相を帯びるのに時間はかからない。駐在命令を拒否された会社が、振り上げた拳の落としどころを見つけられずに右往左往しているのが遠目に見える。上部団体から紹介された労働争議専門の金満弁護士の指示に従って、墓穴を掘っていることに気がつかない。

「おい、藤澤、お前んとこの会社案内ってのか、どんな会社で何をしてるってのがわかる資料、手に入んないかな」
ある日、片岡がいってきた。そりゃそうだろう。ほっといてもそのうち言ってくるだろうとは思っていたが、どうしたものかと考えていた。「まかせろ」と安請けする自信がない。総務に行けば、それなりのきちんと印刷されたものもあるだろうし、ここ数年の事業実績のデータもある。総務課長の後ろの大きなキャビネットに他の重要書類と一緒に保管してある。鍵もかかってるし、親しい女性社員に頼んでこっそりというわけにも行かない。総務課長が了承してのものならいざ知らず、片岡が裁判所に提出したら、誰が「盗んだ」と犯人捜しになる。

数日考えて、もうこれは正面からいくしかないと腹を決めた。
「野沢課長、忙しいところちょっといいですか」
たまに配線がショートしてチカチカすることはあっても根は昼行灯。決まったことを決まったように、日々つつがなくのお飾り民僚、よいしょすればなんとかなると思って声をかけた。
「ああ、藤澤君、なに」
椅子から見上げるかたちの上から目線、言葉は冷たいが、レンズの厚いメガネが乗った腑抜けた顔が、いい意味で人を安心させてくれる。この人がいいだけの課長をだますようなことはしたくないが、しょうがない。
「すいません。片岡、ご存知でしょう。デュッセルドルフ行きをああだのこうだのいってる。同い年でたまに話をすることがあるんですけど、あいつが出向先のことをきちんと勉強したいってんで、うちの会社案内や紹介資料があれば、もらってもらえないかって言ってきたんですよ」
できるだけおだやかに、純粋に会社を知りたいって気持ちからだという響きなるよう、感情を抑えて言った。
「ああ、そうか同い年なんだ、たしか二人とも東京出身だったよね」
「そうなんですよ。あいつは電気なんで、たまに制御について教えてもらったりしてんですけどね。なんせ頭の固いやつなんで、『うちはこんなにいい会社なんだ』っていう資料ないですか。わかったかお前って渡してやりたいんですよ」
「こんなにいい会社」なんて誰も、課長だって思っちゃいない。一部上場の日立精機に入ったのに、なんでこんなちゃちなとこに飛ばされちゃったのか?が本音だろう。
「いい会社」、世辞でも言っても恥ずかしい。それを真に受けるところが、左遷の理由じゃないかとすら思ってしまう。

サイドキャビネットから鍵を取り出してさっと立ち上がった。いつもだらだらしている人がこんなにも颯爽と動くこともあるんだと驚いた。
後ろのキャビネットをあけて、B5の会社案内とバインダーからグラフや表までいれた経営状況の説明資料を取り出して、コピー機にいって一部焼いてくれた。
いい人だ。申し訳ないという気持ちはあるが、しょせん昼行灯、仕事では係わり合いたくない。

一月後、片岡が添付資料として裁判所に提出した。日立精機の人事から叱責されたのだろう、真っ赤な顔をしていってきた。立場を失って怒っている。
「藤澤君、あの片岡ってどうしょうもないヤツだな。藤澤君もあいつに騙されちゃったんだろう。うまいことを言ってくるのにはろくなヤツがいない」
それオレのことじゃないかと、かたちだけでもしょんぼりした格好で、
「えぇ、本当ですか。まさかそんな目的とは知らなかった……」
そんなこと想像つきそうなもんじゃないか。いったい何年総務課長やってんのと思ったが、こういう人たちがいるから、こっちもなんとかやっていける。

あれやこれやで騒がしくなって、ひと月も過ぎたころ、ついに机も電気課から総務課の離れのようなところ移された。ぽつんと独り日がな一日やることがない。いつもバタバタなにかで走り回っていないと落ち着かない片岡が日干しに音をあげた。
「おい、藤澤、やることがある、忙しいってのは幸せなことだな」
なんにしても真っ直ぐで強い片岡が、そんなことで弱音を吐くとは思いもしなかった。
「それはお前だからそう思うんで、まあオレも似たようなもんだけど、これといって何をするわけでもなく、日がな一日、それも定年までだらだらやって、挙句の果てが、『つつがなく職責をまっとうできたのも皆様のおかげです』なんて葉書を出す馬鹿もいるぞ。人さまざまだ。そもそも総務なんての使いものにならないヤツらの吹き溜まりじゃねえか。目掻っ捌いてよく見てみろ。みんな今のお前と似たようなもんだ。何かしているようにみえたところで、これといった意味のあることをしていることなんてめったにありゃしねぇ」
半分ちゃかして言ってはみたが、太陽の子とでもいうのか、いつも元気すぎる片岡が妙に人間くさくみえた。誰とも口をきかずに一日中何もない机にポツンと座っている片岡の姿を思い浮かべながら、どうしたものかと考えていた。

高専で笑いものにされてきた五年間でちょっとためして、その威力に怖くなった手を使うかと、片岡に言った。
「総務部なんての設計と違って視界を遮るものなにもないよな。パーティションなんて気の利いたものもないオープンオフィスだ。いい機会だ、ちょっといじめてやろうか」
何を言い出したのかわからずに片岡がぽかんとしていた。
「いいか片岡、総務なんてのは、事務仕事っていやぁ聞こえはいいけど、毎日どうでもいい雑用で終わりだ。雑用のために机に座ってなきゃならない。みんなお前と似たようなもんだ」
「何をしようったって、やることないんだから、こいつは気に食わねぇってのを一日中見てろ。あちこち見ちゃだめだ。一人だけずーっと見てろ。一週間もしないうちにそいつがおかしくなる。机に座っていられなくなって、うろちょろしだす。それでも見続けるんだが、まあ一週間でいいだろう。二週目には次のヤツだ。面白い遊びだ。じっと向けられる視線に耐えられるのは精神的に病んでるヤツだけだ。なんにしても状況を楽しむようにすることだ」
数日のうちに片岡がこの遊びの面白さに憑かれてしまった。あちこちから遊びの話が聞こえてきた。
「駐在をけった片岡ってのはすごいヤツらしいな。一日中総務課長を睨みつけてるって話だ。次長も課長も部屋にいられないってんで、会議室で仕事してるって。女子なんかそれを面白がって、片岡を応援してるのもいるってよ」

駐在辞令を撤回しろから始まって、業務命令違反で懲戒解雇、そして裁判闘争へと流れていった。だら話の多かった班会議も裁判闘争と支援活動に集中していった。年もあけて、もうすぐ桜の季節だと思っていたら、こっちにニューヨーク駐在の辞令が出てきた。おいおい、まさか二人して裁判闘争かよ。片岡の支援まではいい、でもオレには十年以上かかる裁判なんかやってる時間はない。数年前に日立精機から輸出商社の子会社に飛ばされて、クレーム処理の便利屋になっていた。体のいい飼い殺しだった。いっそのこと転職するか、どうしたものかと考えていたところにニューヨーク駐在。駐在員、聞こえはいいが、仕事は機械の修理や据付で技術職の末端でしかない。それでも技術の勉強はできる。

ニューヨークくんだりまでいって、やっぱり使いものにならないってんで帰ってきてもかまわない。ここで飼い殺しに甘んじているよりよっぽどいい。日本にいちゃ見られないものもあるだろうし、経験できないこともある。片岡や仲間にはすまないが、ここは乗るしかない。
仲間の誰もが、そして周りの人たちも複雑な気持ちだったと思う。気にはなるが、それが前に進まなくてもいいという言い訳にはならない。整理のつけようのないいやな気持ちをそのままに出て行った。出たところで何年もしないうちに帰ってくる。それまでに片岡の裁判がかたづいているとは思えない。帰ってくればそのまま戦線復帰になるんだしという気持ちもあった。

まさか、三週間も入院して手術しなければならなくなるなど考えたこともなかった。ユーヨークで切ったら付き添いできる人がいない。八十年四月、三年ちょっとで駐在を切り上げて帰国した。日本において置くとうるさいからとニューヨークにまで島流しにしたのが、駐在とはなんなのか、仕事や生活、そしてキャリアパスとして体験して帰ってきた。裁判では、駐在員は会社の将来を担うエリートという会社の主張がそのまま通っていた。六十年代ならいざしらず七十年代の後半、駐在員は日本にいなくても日本は何も困らない人たちだった。駐在が学卒のキャリアパスの時代は疾うに過ぎていた。将来を嘱望される人材は出張には出しても駐在にはださない。現地は少人数の駐在員で回っている。そこでは専門職としての業務からかけ離れたどぶ掃除のようなことまでしなければならない。専門職としての経験を積む機会がない。

千葉地裁で負けて、東京高裁に上告して、後がなくなったかのように見えた片岡に駐在帰りが神風を吹いたようになった。
旧財閥というのか日本株式会社のお抱え弁護士が工作機械業界のことも、そこでの海外駐在が何を意味しているのかも知らずに描いたマンガのような話が裁判の場でまかり通っていた。必須の知識も知能もないやくざのような弁護士と高裁で四回言い合った。社員なら誰もが馬鹿げてるとしか思えない呆れたマンガに後出しじゃんけんのよう勝負。事実を事実としてならべただけで、何をするでもなく終わった。会社側には反論する余地が、きれいさっぱりなくなった。判決を書くのを恐れた裁判官が「示談にしろと」言ってきた。
片岡は続けたかったが、弁護士先生も、仲間も支持者も疲れていた。職場復帰、技術屋の道へということでは負けたが、会社が示談に逃げ込まなければならなかったということでは、そして会社が駐在員をかたちながらにしても公募にせざるをえなくなったということでは大きな勝ちだった。

身分保全の裁判については、拙著『はみ出し駐在記』の最後の節で詳しく書いた。似たようなことを書く手間を省きたい。
『はみ出し駐在記』から
「東京高裁へ、恥を知れ」
下書きだが、「ちきゅう座」にも投稿してある。
http://chikyuza.net/archives/61578

2019/12/8