書いてはいるけれど、

書けてるとは思わない。散々いじりまわして、やっと書き上げたと思っても、翌日みれば、あっちもこっちも書き直しになる。そしてその翌日も、翌々日も似たようなことを繰り返すが、どうにもならない。ここまで書いたにもったいない。なんとかならないものかとあれこれしても、結局書ききれないで投げ出す。
もともと思いのままに書いているだけで、締め切りがあるわけでもなし、なにもあわてて脱稿しなきゃならないわけでもない。一週間や一月どころか一年二年寝かせたってかまいやしない。途中で放り投げたことを忘れてしまうこともある。二年も三年も前の中途半端な原稿を見つけると、ああ、そんなことを考えていたときもあったのだと思い出す。変な懐かしさはあるが、何も成長もしてないことにがっかりする。

夕食も終わって後は寝るだけになったところで歯を磨く。面倒だからと手を抜くわけにもいかずに歯磨きに毎晩十分もかけている。時計を見ながら磨いていると、どうにも書ききれないで四苦八苦している自分が鏡のなかにいる。書けない、磨けないと自分で自分がいやになる。一所懸命磨いてはいるけれど、到底磨けているとは思えない。

歯磨きに真剣になったのは、歯周病が進んでしまって歯茎を切開して清掃したのがきっかけだった。どうも歯の調子がと思って歯医者にいった。そこはクリーブランド、歯医者に病名を言われたが専門用語でわからなかった。たぶんPeriodontal diseaseかなにかだったのだろうが、八十年代の半ば、日本で歯周病など聞いたこともなかった。

日本支社でCNC(Computerized Numerical Controller)を開発しきれずに、クリーブランドの事業部でやり直しになった。開発責任を押し付けられて一年三ヶ月、体力の限界に挑むような仕事だった。事業部の朝は早い。八時にはみんなフルで動いている。その分帰りも早いのだし、なにも合わせる必要もない、とわかってはいても、日本のように、九時ちょっと前の出社は気がひける。
もともとが日本支社で始めた無謀(巷の言葉でいえば馬鹿)な開発プロジェクトだった。億の単位の金をかけて三年以上ままごとのようなことをやって、結局できませんで終わった。そこで止めてしまえばいいものを、日本側の親会社の都合で押し切られて事業部がいやいや引き継がされた。

日本側の親会社の社内の政治力学でしか考えられない上司、言っていることがどれほどのことなのかわってない。日本からソースコードとドキュメントを持っていって、事業部のマーケティングとエンジニアリングに引き継いでこい。三月もあれば十分だろうといわれて来てみれば、引き継ごうにも相手がいない。
アメリカ本社の事業部のマーケティング・マネージャとイタリアの合弁会社からも一人きて、三人で協力してと聞いてはいたが、ここまでの嘘というのか勝手な誤解(?)はなかなかない。
誰も日本で勝手に始めて頓挫したプロジェクトにはかかわりあいたくない。下手にかかわれば、キャリアに傷がつきかねない。マネージャは、話は聞いているが、日本の競合メーカとの互換性という開発仕様なんかわかりっこないと一切の関与を拒否した。イタリア人も似たようなもので、何を言っても、「Strange」しかいわない。それはそうで、イタリアの合弁会社のCNCは世界の標準仕様にまでなってしまったドイツの重電メーカのCNCとも日本メーカのCNCともまったく違う代物で、普通の工作機械メーカの目には、それこそ「なんだそれ、こんな奇妙奇天烈なCNCもあったのか」と腰をぬかしかねないものだった。

一人放り出されて、開発仕様を細部まで決めなければならなくなった。それでも三年かけて日本で書いたソースコードと仕様書を片手に、ソフトウェア・エンジニアリングのマネージャに上司から言われたとことを伝えた。
「日本で数億円の金をかけて開発したソースコードだ。使えるところは使って、やり直しの手間を少しでも省けないか」
なにを馬鹿なことを言ってると呆れ顔で言われた。
「何年かけたか、いくらかけたか知らないが、使えるところなんかありっこないじゃないか。どこか使えるところもあるかもしれないと探す手間と、見つかるかもしれない使えるものの価値を秤にかけたら、ソースコードや仕様書を見る時間のほうがもったいない」
そうは言われてもと思う反面、言ってることがわかるだけになんとも言い返せない。でも言われたことをそのまま日本の上司に報告したら、がっかりするだけじゃすまない。親会社の課長としての立場をどうするかになるのがわかってる。
「言ってることはよくわかる。ソフトウェアには素人のオレでもそう思う。でもなー、Mr Inoueの立場を考えると、そうですよねって言えないんだ、わかるか」
だからどうした、じゃあ、お前がチェックでもするのかと笑ってる。
「使えないのは使えない。でもな、家でいえば、たとえばだ、窓枠とかドアノブとか、ちゃちな部品ぐらい再利用できそうなものあるんじゃないか」
もう馬鹿馬鹿しくて話をする気にもならないのだろう。薄ら笑いを浮かべながら両手を組んで指で遊んでる。
自分でも、何を馬鹿なことを言ってると思っている。三年以上もままごとのようなことをやってきて、その後始末を人に押し付けて涼しい顔をしている奴らにはもう腹も立たなくなっていた。それにして、戦場も知らずに指揮をとっている上司が哀れに思えてきた。事実を言っても聞く耳は持たないだろうし、理解する知識も能力もない。しょうがない。ここは聞きたいようなことを言っておくしかない。
「Mr Inoueには使えるソースコードはできるだけ再利用することにするって、言っとくから」

朝八時過ぎから動き出して昼飯に帰宅して、一時半ころから七時ちょっとすぎまでバタバタして、家に帰って夕飯食って、九時ごろには事務所に戻って残務と日本支社との電話という毎日だった。まだ三十代後半だったらもっていたのだろう。それでも半年を過ぎたころ、歯の調子がおかしいことに気がついた。同僚に親切な歯医者を紹介してもらっていったら、かなり進んだ歯周病で手術しなければならなかった。
上下の前歯の左右の計四本の歯茎を切開して縫合したのはいいが、数日は水どころか空気までが沁みて、何を食べるという気にもならなかった。

手術の前に二日かけて、麻酔までかけて上下の歯をクリーニングされた。歯は磨いてきたが磨いているというだけの雑な磨き方だったのを知った。歯ブラシの選び方からはじまって歯の磨きかたを、英語の問題もあってのことにしても、懇切丁寧というより通じていることを確認しながら、それこそ噛んで含めるように聞かされた。

それ以後、細長いブラシの歯ブラシと小さな楕円系のブラシの歯ブラシを組み合わせて使っている。歯並びが悪いから、小さなヘッドのものでなければ奥まったところに届かない心配がある。
磨きすぎるという言い方は正しくないのだが、ほかになんと言えばいいのかわからない。しっかり磨かなければと二十分も三十分も磨き続けたら、ほぼ間違いなく歯茎を傷める。腫れ物に触るようにとではないにしても、歯茎を傷つけないようにやわらかい毛の歯ブラシを丁寧に歯に当てて、歯茎の縁は特に念を入れて磨かなければならない。ただいくら丁寧に磨いても磨ききれない。

そこで定期的に歯医者に歯のクリーニングに行くことになる。アメリカで日本で、引っ越すたびに信頼できる歯医者を探してきた。なかには金儲けの気持ちが滲み出た歯医者もいて、クリーニングだけで治療などしないのに、すぐにX線写真をとろうとする。クリーニングにいく度に、磨ききれなかった歯垢を赤く染める薬剤をつかって、「こんなに歯垢が残ってますよ」と不安を煽るのもいる。神妙に聞いているふりはしても、もうあちこちの歯医者の世話になりすぎて、そんなもんで驚くこともなくなった。

色々工夫をしながら、しっかり、丁寧に磨いてはいるが、磨けてるとは思えない。こうして雑文を書いてはいるが、書けているとは思えない。もっと工夫をしなければと思いはするが、それは歯磨きと違って、工夫でどうにかなるようなことではない。知識と知能と思いと、最後はささやかにしても、実る努力がどこまであるのか、という淡い期待だけしかない。
いくら工夫して磨いても、磨けてはいない歯磨きより難しい。あれこれ考えて書いてはいるが、能力の限界がすぐそこに見える。どのみち還暦過ぎの手習いだからと諦めるわけにもいかない。一歩いっぽ、一つひとつと思いはするが、いつまで経っても書けたと思うことはないだろう。
そんな雑文、目を通していただけるだけでも、ありがたい。
「ありがとうございます」
2019/10/13