日本語の取説ぐらいしっかり作れ(改版1)

一九七二(昭和四十七)年、高専を卒業して我孫子にあった工作機械メーカに入社した。田無の実家からは、歩く時間もいれると二時間ぐらいかかる。朝六時過ぎの始発の次の電車で毎日はきつすぎる。実家から出たいという気持ちもあって、柏の独身寮に入った。今でこそ住宅街になっているが、最寄の逆井駅から急いで歩いても二十五分はかかる陸の孤島のようなところだった。ある晩、駅から夜道を歩いて藪を抜けたら、別世界のように明るかった。てっきり車が来たのだと振り返ったら、月明かりだった。

我孫子も柏も上野からたかだか三十分ぐらいでしかないのに、言葉も違えば文化も違う。土日にちょっとと思っても、出かけるところがない。近間にジャズ喫茶はないかと探したが、柏にも松戸にもその類はまったくなかった。やっと見つけたのは、金町の駅から五分ほど歩いたところの牛乳屋の二階だった。お姉さんが趣味でやってるだけの店だった。

上野広小路にいい店を見つけたが、寮から通うには遠すぎる。ラジオだけの生活も寂しいしが、かといってテレビをという気にはなれない。高専時代にバイトで稼いだ貯金をおろして、最低限のオーディオシステムを買い込んだ。月給の二倍近くかかったが、何もないところに、ささやかな潤いだった。
ジャズ喫茶に頻繁に入り浸っていれば、いろいろ聞けて、これをというのも見つかるが、我孫子と柏の往復の生活からはのぞめない。周りにジャズ仲間がいるわけでもなし、頼りは『スイングジャーナル』(ジャズ専門の月刊誌)の記事だけだった。
当時レコード一枚二千円ほどした。これはと思うレコードがでてきても、手取り四万円の薄給、おいそれとは買えない。何度も考えた末に、えいっと買ってきて、針を落としてはがっかりした。お太鼓もちの評論家のゴタクを真に受けて、オレの大枚二千円、どうしてくれる。次の二千円までがっかりが尾をひいた。

時代が違うといってしまえばそれまでなのだが、いやまYouTubeでいくらでも聞ける。昔懐かしいものもあれば、あれ、こんなのあったんだ、こんなピアニストいたっけ、ああこのベースね、ドラムねって聴き放題。奏者の名前を入力すれば、でてくるでてくる、こっちもどうって、同じ傾向ということなのか、あれもこれもでてきて、ちょっと聴いては、品定めという感じになってしまった。

でも音は、ノートPC内臓のちゃちなスピーカから。もうちょっとまともな音にならないかと考えていて、Bluetoothスピーカがあったのに気が付いた。ケーブルでつなげば、それでなくてもごちゃごちゃした机の上にケーブルが走る。ここはBluetoothしかないと、気の利いたお買い得感のあるのはないかと気にしていた。
一月ほど前に駅前のヤマダ電機にノートPCを見に行ったついでにスピーカをみたら、KENWOODのモデル遅れが投売りされていた。一台しか残ってないし、即買えと思ったが、歳のせいなのか多少は賢い消費者になったのか、思いとどまった。家に帰ってネットでみたら、評判は悪くないし、投売りよりも安いのがいくつもでてきた。もうこれは買いだと注文を入れたら、翌日宅急便で届いた。

一刻も早く音をだしたいと焦る気持ちを抑えて、まずはマニュアルをと同梱されていた「取扱説明書」を読んだ。Bluetooth(通信)でPC(あるいはスマホやタブレット)からデータをもらって音を出すという、たとえアンプが内臓されているにしても、言ってしまえば、たかがスピーカ。取り扱うといっても、操作するのは電源入り切りのスイッチに音量調整のボリュームぐらいしかない。

作業としては、スピーカをPCにBluetooth機器として認識させるだけなのだが、「取扱説明書」には、PCの設定については何も書いてない。設定方法は個々のPCによって、使用しているOSやなにやらで違いがある。でも、そんな違い、あるにしても、違いと呼べるほどものでもなし、似たりよったりでしかない。一つ例を挙げて、これは一つの例であって、個々のPCやOSによって、多少の違いがありますから、注意してくださいとでも書いておけばいいものを、まったく何も書いていない。

縦二十センチ、幅十一センチあまり、二十ページにもみたない小さな「取扱説明書」を読み返したが、Bluetoothの接続方法がわからない。しょうがないから、メーカに電話した。状況を説明しはじめたら、「パソコンの設定はわかりません」とにべもない。言うことはわかる。スピーカメーカで、パソコンの設定なんか聞かれてもという気持ちもわかる。でも、パソコンの設定ができなければ使えないBluetoothスピーカであることを忘れてもらっちゃあ困る。PCのBluetooth設定の説明もない「取扱説明書」じゃ用をなさない。Bluetoothスピーカの購入者はPCやスマホ、タブレットの取り扱いに長けた人ばかりじゃない。極端な場合、パソコンってなに? インターネット? メールや LINEは使ってるけどという人もいる。最低限、顧客が頭をひねりながらにしても、「取扱説明書」に書かれた手順に従って、PCのBluetoothを有効にして、BluetoothスピーカをPCにインタフェースできなきゃまずいだろう。

取り付く島もない対応にあきれて、こんなスピーカ、苦労してまで使えるか馬鹿野郎って返品してやろうと思った。翌日、気を取り直して、もうしょうがねぇなって、Google先生の助けを借りた。作業という作業もなしで、簡単にインタフェースできた。Googleで見つけた情報は役にたったが、製品の一部である「取扱説明書」はなんの役にも立たなかった。

一般大衆向けの製品の取扱説明書は、これといった専門知識のない人が、愚直に読んで、書かれていることを一つひとつやっていけば、何を考えることもなく使えるように書かれていなければならい。取扱説明書は製品の一部で、モノとして製品を活かすも殺すも取扱説明書の記述次第だということをわかってるのかと訊きたくなる。一流メーカとちょっと出たての名もないメーカとの違いは、モノとして製品より取扱説明書やサービスの違いに現れることが多い。海外市場向けにということで、そんな役に立たない取扱説明書を英語に翻訳したら、何がでてくるのか想像するまでもない。

もう、ごちゃごちゃ書かずに、Googleで検索してでてきたサイトのurlをリストアップして、具体的な作業はこっちを参照してくだいとでもした方がいいんじゃないか。あるいは、わかりやすいサイトを参考にして、使えるものを作るという手もないわけじゃない。
モノを作ってるのは中国なんだし、せめて取扱説明書ぐらい、きちんとしたものを日本で作れやと言いたくなる。
2019/12/15