まるで釣りバカ日誌(改版1)

新規客を求めて、春と秋二ヶ月にわたって仙台から福岡までホテルでセミナーを開いていた。毎週火曜日と木曜日に部下を送り出していた。たまに同行することもあっても 、できるだけ出張は避けていた。出張が続くと、事務所でセミナーのデータ整理という気がおきなくなる。これ以上部下に負荷はかけたくないしで、前の週のセミナーの粗整理を自分でしていた。セミナーは即ビジネスにつながる可能性のある企業を見つけ出すのが目的で、市民団体や学術研究団体が主催しているものとは違う。終わったところから明日の飯の種を探しだす作業が始まる。

セミナー自体は定型化しているからいいが、問題は集客とその後のフォローにある。日常の営業活動から勧誘もできるが、そんなもので集められる人数はしれているし、既存客に手をとられていては、新規市場の開拓がおろそかになる。営業マンには頼れない。集客の実作業はテレマーケティング(テレマ)に外注していた。業界リストや名簿屋から買ったものでもターゲット企業の名前さえわかれば、こういう視点でと依頼すればいい。付き合いも長い。手馴れたもので企業名をもとに、どの事業体のどの事業所の誰がキーパーソンなのかも調べ上げて、ときには外注先まで追いかけてセールスプロモーションもしてくれる。下手に営業を走らせて、門前払いを食うより、まずはテレマで候補の企業のドアを開けて、それなりの地ならしをしてから営業にバトンタッチしていた。

たとえ向こうから舞い込んできた引き合いでも、受注できるのは何件もない。訪問したところで徒労に終わることの多い新規開発。企業名どころか画像処理システムの担当者の氏名から電話番号やメールアドレスまで言ったところで、営業マンは、はいそうですかとは動かない。営業マンにたいした負荷もかけずに注文にまでこぎつけられる顧客の発掘となると、販売資料一つにしても標準のままではすまない。詳細はわからないにしても客が困っているであろう技術的な課題を想定して、こうすれば解決できますよという提案もどきをその都度つくらなければならない。そのためには、なんとかして、客の状況を、おおよそにしても調べなければならないが、ビジネス上の関係がないところに、おいそれと情報は流れてこない。

業界誌や工業新聞など、手に入れられるものから客の状況を想定して訪問の準備をしているところに、中野がニヤニヤしながら入ってきた。
「藤澤さん、来週の木金、なんか予定入ってる?」
何かたくらんでいるときの薄ら笑い。たくらみが吉とでることもあるから、聞きもしないで無下にするわけにもいかない。
「まあ、空いてるっちゃあ空いてるけど。何?」
「もし、よかったらなんだけど、札幌のスミショーに同行してもらえないかと思って」
なんで札幌まで行かなければならないのか。そもそもお前、テリトリーは東京とその近辺じゃないか。北海道は仙台支店のテリトリーで、テリトリー侵害でまた騒ぎになるんじゃないかと思いながら、
「なんで札幌まで? またテリトリー侵害になるぞ」
「いえね。藤澤さん、このあいだマシナリーのコンタクトないかって言ってたじゃないですか。だったらスミショーの札幌の課長に面通しして、そこから紹介してもらったら……」
「えぇっ、ちょっと待てよ。紹介してもらえるのはいいけど、なんで札幌まで行かなきゃならないんだ。東京本社にコンタクトあるんだろう。そっちを紹介してくれればいいだけ……」
そこまで言って止めた。薄ら笑いに苦味が入ってる。何かみそをつけて東京本社には行きにくいんだろう。札幌までいって、また案件の横取りだろうが、誰もがやっていることで、何を言ってもしょうがない。
「まあ、いろいろあるんだろうけど、マシナリーへの道が開けるなら、北海道でもどこでも……」
おおかた押しかける言い訳で、マーケティング・マネージャも同行しますからといった感じで使われているんだろう。ダシでもなんでもかまいやしない、付いていくことで、案件が一つでも成約に近づけばいいし、そこから次に展開するヒントが見つかるかもしれない。

「じゃあ、二人分のフライトと宿の予約とっときますから」
そのニヤニヤはなんなんだ。
ちょっと待てよ、札幌からどこかに列車でならわかるが、札幌までだったら、日帰りでいいじゃないか。
「なんだ、日帰りじゃないのか」
なんだその顔、何かおかしなことを言ったか?
「さっき言ったじゃないですか、木金って」
えっ、木は覚えてるが、金は聞いたかなという顔だったのだろう。
「よしてくださいよ。札幌までいって、そりゃ藤澤さんの仕事なら日帰りでしょうけど、俺たち営業は夜になってから仕事ってのもあるし……。木曜は札幌泊まりですからね。よろしくたのみますよ」

社長室の前、秘書の隣に席をおかれていた。何を見るわけでもないが、いやでも社長室に入っていく人が目に入る。ガラス張りの社長室のなかもブラインドの隙間から見える。人の出入りが増えてくると、今度はなんなんだって心配になる。業界知識もなければ技術的な理解もない。誰かの入れ知恵か思いつきでああできないか、こうしたらどうだろうと言ってくるが、そのたびに、実行可能なプログラムに書き換えられるわけじゃない。ただ、なんだかんだと顔を立てておかないと後がうるさい。どう転がったところで、実ビジネスにつながることなどありはしないが、立てるためにそこにいる社長だと思うようにしていた。
放っておくと何を言い出すか分からない。しばし、社長に具申しなれているヤツにそれなりのインプットをして、いかにも自分が思いついたとでもいでもいうのか、考えたかのような提案をさせてということもしていた。何かやってないと落ち着かないのはわかるが、あんたの思いつきでほいほい組織を動かしていたら、機能不全に陥る。

MIT(Massachusetts Institute of Technology)の教授が院生を引き連れて立ち上げた画像処理専業の会社、圧倒的なアルゴリズムで半導体製造や検査装置市場を席巻してきた。技術に対する固執が強い分、営業は使いっぱしりでいいとしか思っちゃない。日本支社は、何を言われても文句も言わずに走り回るヤツなら誰でもいいという経営陣に営業マンだった。技術が製品を売っていると思っているから、営業マンを単純に受注額で評価してきた。
客は一社ぽつんとあるわけじゃない。いくつもの営業拠点に製造工場、その下に外注のエンジニアリング会社がいることもあれば、画像処理関係はモジュールとしてパートナーに丸投げしているところもある。そこから一つの案件やプロジェクトに複数の営業マンが影に陽に絡まりあって、ほっとけば誰か一人が手堅く受注するものを、仕事流れのどこかで割り込んで注文をかっさらうヤツがでてくる。地域で分けた営業のテリトリーがあってないようなものになっていた。

事務所でだらだらしていた中野がきて世間話をしていた。
先月中野に頼まれて一緒に札幌までいったが、空港からホテルに直行してチェックインしただけで、客の事務所には顔もださなかった。一体なにをしにきたのかと思っていたら、七時も回ったところでホテルのロビーで待ち合わせだった。大手商社の課長に連れられて「すすきの」に出かけた。小料理屋で飯食ってクラブはいいが、仕事の話はなにもなかった。なんで札幌まで来たのかわからなかった。出張報告書なんて固いことを言われたら、中野がどんなことを書くのか見てみたいという誘惑にかられた。

社長室に行くところで、経理部長が中野に気がついた。
「おい、中野、お前なんで北海道や九州まで出っ張ってるんだ。テリトリーは東京だろうが」
笑いながら言っているけど、いつもの笑顔じゃない。
誰だって東京とその近辺がテリトリーの営業マンがなんで、ちょっと待て、オレが一緒に行ったのは札幌で、九州は知らない。何を言ってるのか、と言ってる加藤部長ではなく中野の顔を見てしまった。
いつものへらへらした笑い顔で、
「そりゃ、しょうがないじゃないですか。東京の本社の担当者に、ここだけじゃ話が通らないから、工場まで説明に行って来いって言われて。そこまで言われて、オレ、テリトリーは東京なんで、そんなところまで行ってられませんなんて言えっこないじゃないですか。オレだって忙しいんだから、そんな遠くまで行きたかないですよ」

加藤部長が笑いながら、
「まあ、そういうこともあるだろうな。でも、うわさじゃアプリ(アプリケーション・エンジニアリング)の小林と二人で北海道や九州まで釣りに行ってるって話じゃないか」
中野の顔を見ながら、一呼吸おいて、おい、お前という感じで、
「誰でもない、お前のこったから、三回に一回は釣りじゃねぇのか。なあ、藤澤さん」
なんで、そこでオレに振る。よしてくれ。確かに中野に連れられて札幌までいって、飯食って飲んで帰ってきたけど……、
言葉には、もう小林から裏は取ってあるというのがみえる。
それでも、そこは中野、そんなことへとも思っちゃいない。しゃあしゃあと涼しい顔で、
「そりゃないですよ。最近は行ってないっすから」
あちこち転職していると、まるで映画の世界のようなことに遭遇することがある。
2019/12/22