センスや感性といわれても(改版1)

高専に入るまで、学校とその延長線にある勉強は馬鹿にしてほとんどしなかった。どう読んだところで面白くもなんともない教科書なんか斜め読みするのもいやだった。聞いたところで何があるわけでもない先生の話を聞いて、なかには質問までするのがいるのが不思議でならなかった。勉強をしなければというより、しないほうが波風が立つことのない家庭だった。親父に診断書を書いてもらっては、自転車に乗って東伏見の公園に釣りにいっていた。

サッカー部のきつい練習でヘトヘトになっていた二年の夏のある日、何かおかしい、どうしたんだろうと気になった。痩せの大食いだったのに食欲がない。もしかしてと検査したら肝機能障害だった。半月ほど家でごろごろしてほとんど回復はしたが、期末試験をすっぽかして遊んでいた。通信簿の数字が一つ下がっただけで何も変わらなかった。その日その日がながれていくだけの、つまらない学校だった。

受験勉強というものがあることは知っていたが他人事と思っていた。都立をすべり止めにして受けた高専に運よく(悪くか?)受かってしまった。高専は高校三年と大学の四年を五年に圧縮して技術に特化した詰め込み教育だった。技術系の学科を進めるために数学の速成教育が待っていた。勉強という勉強などしたことがなかったところに出てきた教科書が、裳華房の数学だった。代数学と幾何学に平面球面三角法、どれも大学で使うもので、一月ほど前には中学生だった、それもろくに勉強をしたことなかった問題児には重すぎた。
あっという間に授業に付いていけなくなって、最初の中間試験で不可を四つももらった。慌てて、参考書を買い込んで、慣れない勉強を始めた。中学校のときのようにつまらなくはないが、なんでここまでと思うほど難しい。決して横着ものだとは思わないが、なににもまして面倒くさい。証明問題一つに三日も四日もかけてもどうにもならない。

そんな問題をするっとやってしまう同級生が二人いた。一人はいつもボケっぱなしで、どうみても勉強をしているようには見えない。それでも数学だけは違う。いつものようにボケたまま黒板を前して、ちょっと考えていたかと思ったら、何を力むこともなく問題を解いてしまった。もって生まれた素質の違いを思い知らされた。
高専の五年間、中学のときには考えられないほど勉強した。(まあ、それだけ中学では勉強をしなかったということなのだが) つまらい形ながらの成績のための勉強で、それ以上を目指す余裕はなかった。もって生まれた素質でこともなげに乗り切っていく同級生よりトータルの成績はよかったが、何が身についたわけでもない。残ったのは、いくらやっても追いつきようのない彼我の差から生まれる劣等感だけだった。

中学では問題児だったのが、高専では額面はいざ知らず、実質は落ちこぼれだった。三年が終わるころには、自分は技術屋には向いていない文系の人間じゃないかという、漠然とした思いが強くなっていった。このままいってもろくな事にならない。そうは思っても、職工養成の急行列車から飛び降りる勇気はなかった。たとえ、飛び降りたとしても大学に行けるわけでもなし、列車にしがみついているしかなかった。

高専から敷かれたレールに乗ってそのまま工作機械メーカに就職した。技術研究所の試作機設計見習いから始まってアメリカ支社に飛ばされた。そこで機械の据付や修理という技術屋というより技能の仕事にあけくれた。十年やって技術屋の道を諦めた。設計でも修理でも、積み上げた知識だけでは限界がある。研究所でもアメリカ支社でも、人の能力の話のなかでしばしば「あいつはセンスがあるから」「最後はセンスの問題なんだ」がでてきた。
それは職人の世界の「筋のよさ」とは違う。職人仕事なら、工夫を重ねて一つひとつ積み上げていけば、名工といわれるところまでいかないまでも、筋はよくなっていく。ところが、センス、今流に言えば感性になると思うが、もって生まれた素質がなければ、いくら努力してもセンスがどうの感性がどうのという世界には遠くおよばない。

こんな自分にはないセンスや感性についてあたらためて考えだしたきっかけは、数学者ラマヌジャンだった。高等数学の先をゆく数学の天上の世界、はるか成層圏の人たちの話で、具体的な研究内容などとてもではないがわからない。それでも、ラマヌジャンの円周率の公式を見たとき、別世界の異様さに驚くというより薄気味悪かった。

「数学の視点 03.稀代の天才数学者 ラマヌジャンに学ぶ」を見ていただきたい。
https://iec.co.jp/media/corner/mathematical_viewpoint/03
オイラーやライプニッツの円周率の公式は、具体的なことはわからないにしても、公式にいたった数学的なプロセスを感じる。ところがラマヌジャンの公式は、いったいどこから、どのようにしたら、そんな奇妙なものが出てくるのか想像もつかない。科学としての必然性は?という疑問すらでてくる。高専の数学の落ちこぼれだから、そんなとわかりっこないじゃないかという話ではない。世界中の数学者がわからないといっている。

数学や自然科学における発見や、人文科学の新しい観念や思想体系には、いくら独創的だったにしても、必ず先達の足跡の影響が見える。そこには論理的必然、歴史的必然がある。ニュートンにしてもアインシュタインにしても、ヘーゲルやアダム・スミスにしても先達の遺産をもとにしている。もし彼らが偉業をなしとげなかったにしても、十年、数十年後には誰かが似たようなことをなしとげていただろう。ところが、ラマヌジャンの公式には先達の足跡どころか、その公式にいたった必然がみあたらない。先端数学の研究者がそう考えている。もしラマヌジャンがいなかったら、そして彼と同じ知能をもった第二のラマヌジャンがでてこない限り、誰も彼が導き出した公式を知ることはないということになる。

ラマヌジャンの公式、巷で禄を食んでいる者にはとんでもない世界の話だが、努力によって得た、培った知識では本質的に及びもつかない世界があるということを突き付けているように思えてならない。いくら努力したところで及びもつかない、というより及ぶ及ばないの世界じゃないんだから、努力すればなんとかなる世界にいたほうがいいということなのかと思いだす。

でも、その程度と諦めてしまうのも癪にさわる。はじめから身の丈でいいやって思っていたら、頑張れば得られるものも得られずに終わってしまう。何をどうしたところで最後は身の丈、よくてそこをちょっと出たまでで終わりだろうと思いながらも、だからどうしたって気持ちはなくならない。そんな五分の魂でもなくなったら、それこそ終わりじゃないかという気持ちがあるから、つまらない人生でも多少は面白くなる。ただ面白くなるまでならいいが、何かを求めればどうしても面倒なものになる。面倒になったあげくに、あれやこれやで四苦八苦していて気が付いたら、なんのことはない、センスや感性とは無縁のちまちました積み重ねの、何とかして一歩でも二歩でも這い出れないかと思っていた世界にいた。

p.s.
知能指数(IQ)
人の知的能力を数値化したものの一つに知能指数がある。知能指数の主要な部分が遺伝に由来するものなのか、それとも生まれ育った環境による影響が大きいのかについて議論されてきた。遺伝的要素が決定的で環境は補完的、あるいは二次的なものだとなると、優生学などというろくでもないものが独り歩きしかねない。持って生まれた才などあろうはずのない者としては認めたくないのだが、かつて読んだ本(『遺伝子の不都合な真実』だったと思う)によれば、既に科学的な結論がでている。
本が手元にないので、Webで関連資料を探したら、下記が見つかった。

「知能や気質は、人種ごとに遺伝的な差異がある」
言ってはいけない残酷すぎる真実
[橘玲の日々刻々]
urlは、https://diamond.jp/articles/-/91577?page=3

結論の部分を引用する。
「この論争(遺伝派と環境派の論争)は、じつは科学的にはほぼ決着がついている。一卵性双生児や二卵性双生児の比較から遺伝の影響を調べる行動遺伝学では、認知能力のうちIQに相当する一般知能の77%、論理的推論能力の68%が遺伝によって説明でき、環境の影響が大きいのは(親が子どもに言葉を教える)言語性知能(遺伝率14%)だけだとわかっているのだ(安藤寿康『遺伝マインド』有斐閣)」

知的能力のざっと七割方が遺伝の影響となると、環境や努力の要素は三割しかない。そりゃないと思いながらも残りの三割で七割方を補うというより統御できないものなのかと思いだす。
2020/6/3