今を生きるために(改版1)

一月二十六日日曜日、知り合いに誘われて民俗学関係のセミナーに出かけた。技術畑が長かったこともあって、民俗学にはとんと縁がなかった。これからも何があるとは思えないが、話の後に雅楽の生演奏が聴けると聞いては断れない。雅楽に特別興味があるわけでもないし、聴いたところで好きになるとは思わないが、一度は聴いてみたかった。
セミナーは、どれもこれもが初めて聞く話で、へー、そうなんだと思いながら聞いていた。雅楽は中期の唐と、ベトナムや朝鮮半島から伝わってきた「舞踊」音楽だった。

音合わせのベースになっているのか、笙(しょう)が最初に背景音のような形で音を流した。いかにも雅楽と思わせる霧がかかったような、テレビか何かで聴いたことのある音だった。笙、洋楽に慣れ親しんだ耳にはどうにもメリハリを感じられない。そこに篳篥(ひちりき)が重なってきた。音合わせを始めたところで、篳篥のこれでもかと言わんばかりの説得力のある音にびっくりした。奏者の手に隠れてしまいそうな小さな篳篥から、主旋律が音の奔流となって押し寄せてきた。思っていた雅楽とはまったく違うものだった。

セミナー会場の最寄り駅赤坂見附まで、池袋から丸の内線で三十分ほどかかる。ちょうどいいからと、電車のなかで前日図書館で借りてきた『最新インターネット業界のカラクリがよくわかる本』中野明著、秀和システムを読みはじめた。

五時過ぎにセミナーも終わって、誘われるまま軽い食事の懇談会についていった。そこで偶然正面に座った女性と自己紹介ともつかない世間話になった。アクセサリーが個性的でどうみても普通の主婦には見えない。出された名刺をみて驚いた。名前も何も知らないが、聞いたことのある劇団の女優さんだった。
何が気になるのか分からないが、何をしているのかとあれこれ訊かれた。なんと答えたらいいのか、直に言うのをためらった。労働を提供して対価を得るという一般的な生活から、少なくとも気持ちの上では、随分前に足を洗ってしまったこともあって、どうしても後ろめたさが付きまとう。していることをそのまま正直に言えば、十中八九なんだコイツと思われる。もう会うこともないだろうし、どう思われたところでかまいやしない。それでもできれば、そのまま言いたくない。

そもそも、どこにでもいる貧相なオヤジになんの興味があるのか、面倒くさい。ああだのこうだの説明するのもおっくうで、
「インターネットに入って藤澤豊って入れて、サーチすれば『藤澤豊|ちきゅう座』ってでてきますから。特別なにってんじゃないですけど、たまに思いつくままに投稿してますから。後でみていただけたら」と言って終わりにしようとした。
話も途切れて終わったと思っていた。何か気になることでも思い出したのか、バッグからさっとスマホを取り出した。何に迷う様子もなく指がささっと動いていた。四十中ほどに見えないこともないが、それは若作りのおかげで、もしかしたら五十を超えているかもしれない。それでも、気が若いのか、若い人たちにもまれているからなのか、驚くほどスマホの扱いに慣れている。
ぱっと顔をあげて、
「へー、なんか別のサイトもあるじゃないって」いいながら、「ねえねえ、これもかなー、あれサイト切れてんじゃない」とスマホの画面を見せられた。
見せられた画面を見て驚いて、一瞬身が引けた。

二〇一二年の春から始めた個人のホームページがみつからないで、選んだサイトが存在しないというメッセージが表示されていた。そりゃない、慌ててバッグからタブレットを取り出して、ホームページを開こうとしたら、同じメッセージが表示された。
もしかしたら、スマホやタブレットの問題かも、そうあってほしい、でもそんなことあるはずがないと思いながら、家に帰ってPCで試したが、ホームページがなくなっていた。八年近くなんの問題もなく動いていたのに、突然のことで、なにがどうなっているのかわからない。あれこれ原因は?と考えようにも考える手立てすらわからない。やっぱり無料のサイトということでしかないのかと思いながら、状況を確認しようと関係しているサイトを調べようとしたが、どこも同じように存在しないというメッセージが表示されるだけだった。

事件というと大げさに聞こえるが、個人的には大事件だった。
いざとなったら、別の無料サイトに引っ越すしかないと腹をくくって、ソフトウェアのエンジニアをやっている娘にどこかいいところないかと聞いたら、使っているわけでもないのに、障害が起きていることを知っていた。なにをバタバタしてると言わんばかりの口調で、一人が、
「ツイッターで騒ぎになってるから……」
もう一人が落ち着き払って、
「慌てないで、ちょっと待ってればそのうち復旧するから、ほっときゃいい」
何に驚く風でもない。呆れるほど腰が据わっているのにたまげた。

翌日何回か試したが、復旧していなかった。いつになったら復旧するのか不安でしょうがない。火曜日の夕方、どうせまだ復旧してないよなと思いながら試したら、いつもと何も変わることのないホームページが表示された。いったいなんの騒ぎだったのか。何を心配してるんだ、無料サイトなんだから、娘が言うように「おとなしく待ってろ」とでも言わんばかりに、いつもの通りだった。

ほっとした。八年間の書き物がなくなってしまったのか、どこかに引っ越して、今までの原稿を全部放り込むしかないのかと思っていたところで胸をなでおろした。
いつものように週一回の更新と思って、ftpクライアントソフト(原稿をサーバーにアップするのに使うソフトウェア)を開いて、ホームぺージにアクセスしようとしたら、応答がない。なんどやっても駄目だった。ホームページの表示までは復旧したけど、ftpサーバーはまだなのだろうか。ただそれだけなのか。何かが変わって更新できなくなったわけじゃないよな。復旧作業中ということだよなって思おうとした。何が起きているのか、何がなされているのか分からない。ただただ不安が募った。

水曜日も木曜日も復旧しないままだった。どうなってんだろうと帰宅した娘に恐る恐る訊いたら、月曜日と同じように言われた。
「みんな騒いでるけど、そのうち復旧するから待ってりゃいい」
そうは言われても、不安でならない。
まったくしょうがねぇな、このオヤジがという顔で、
「ホームページなんかで見てたんじゃ、今起きてることなんかわかりっこないじゃない。今起きていることを知りたいなら、ツイッターで流れている情報みなきゃ」
二月二日(金曜日)の昼過ぎに復旧していた。いつものように更新したが、ホームページの限界を見せつけらたような気がした。即時性ということではツイッターにかなわない。雑音の多いツイッターに振り回されるのを恐れて手を出さずにきたが、もうそうはいってられない時がきたとしか思えない。短文でごちゃごちゃやったら忙しいだけで、きちんと考える習慣を失ってしまうのではないかと怖いが、もうやるしかない。

毎日一日中、遅い朝から翌日の早朝までインターネットのお世話になりっぱなしの生活をしている。もうインターネットなしの生活は考えられないのに、インターネットがいったいどうやって動いているのかよく知らない。そりゃパケットだとかIPアドレスだとか断片的な知識ぐらいはあるが、日々進化し続けているのに置いてけぼりを食ってるようで気になってしょうがない。
ここは軽く一冊目を通しておこうかと思って、図書館でみつけて『最新インターネット業界のカラクリがよくわかる本』を借りてきた。書名からして、たいした期待はしていなかったが、どこかのコンサルならいざしらず、技術的な踏み込みがなさすぎて役に立たない。それだけではない。電車のなかで読み始めて直ぐ気がついた。どうもおかしい。停止になったサービスが載ってるし、随分前にIPO騒ぎがあった会社がまだ黎明期のような紹介になってる。まさかと思って発行日をみたら、二〇一三年だった。
十年ひと昔は昔の話で、変化の速いITの世界では三年あるいは二年ひと昔なんてことも当たり前のように起きている。 それこそ、あっという間に常識が変わる。乗り慣れたプラットフォームでも、いつまでも乗ってはいられない。次から次へと乗り継いでいっても、変わり続ける技術にもビジネスにも、そしてそれを基盤とした社会にも付いていけるような気がしない。ただだからといって引いてるわけにもいかない。

情報は「最新」といっても、得られるようになるまでには時間がかかる。インターネットで検索して見つかる情報も、かつてのものに過ぎない。ましてや書籍になって読めるようになったときには、もうしっかり古い。下手をすると歴史的な書物になっている可能性すらある。
新しいものに手をだせば、わからないことばかりで右往左往する。どうにもならなくてイライラして投げ出したくなる。 でもそれを乗り越えないことには今を生きていくのがおぼつかない。流行りのものに振り回されるのもしゃくにさわるが、だからどうしたって前に進むしかないじゃないかと尻を叩いて、なんとかかんとかやっている。

p.s.
<まさか流行りものだった?>
かつて頻繁に耳にした実存主義だとか構造主義だとか、どういうわけか最近とんと聞くことがなくなった。こんなことを言うと、この痴れ者がとお叱りを受けそうだが、まさかその当時の流行りだったのかもしれないと思いだす。

<ファックスではご勘弁を>
なんとか反対ということで署名を求められて署名したいのだが、ファックスでと言われても困る。同じようにセミナーへの出席はファックスでも困る。フォームをダウンロードしてプリントアウトして、氏名や住所を記入してもファックスを送る手段が随分前に家からはなくなってしまった。
ファックスしに近くのコンビニにまでという気にはなかなかならない。そんな手間を惜しむヤツの署名は要らない、セミナーに出てくるなということなのかと漠然と思ってしまう。
インターネットで見ているのだから、ファックスなんか使わずにインターネットでなんとかならないものなのか。それでは署名として認めないという時代錯誤の規則があるのかもしれない。反対署名を集めにくくしているのだろうとは思うが、それでもファックスでという気にはなれない。申し訳ない。
2020/3/22