いい人じゃない方が(改版1)

人を二種類に分けてどうのこうというのは好きになれない。たとえ白黒の二通りに分けたところで、よほど極端な人でもないかぎり、濃い薄いはあってもその間に広がるグレーのなかのどこかに入ってしまう。それでも話をわかりやすくするために、ここで二種類に分けて話を進める。

二分類の代表を八幡さんと信田さんにする。二人とも部長で大人の付き合いということなのだろうが、違いすぎることもあって、ぶつかることはない。八幡さんは、何においても相手が自分をよく思ってくれることを第一に考えて話す。信田さんは、相手がどう思おうが、事実は事実、好き嫌いではないと遠慮なくなんでも思ったことを口にする。
八幡さんは誰に対しても癒し系の話し方をするが、信田さんは立場が下の人たちには、諂(へつら)っているではないかと思える話し方をするのに、上の人たちには厳しい。周りにはいつも人が集まっているが、二人に対する評価は随分違う。信田さんは信田信者ではないかと思うほど慕っている人たちがいる一方で、煙たがる人も多い。とくに上司や立場の上の人の間で評価が真っ二つに割れる。事業を推し進めてゆこうとしていた役員数人が何度か信田さんの取り合いをしたことがある。その反対に、つつがないサラリーマン人生をと思っている人たちは、信田さんの言動には付いていけないと感じている。信者も多いが、それ以上に敵も多い信田さんとは対照的に、八幡さんには、目に見える敵はいない。ただ信田信者のような篤い支持者もいない。

昔ながらの業界の枯れた会社、ほとんどの人たちが穏やかな日常をと思っている。信田さんが動き出したとたんに、台風が接近してきたように感じる人も多い。そんななかにも、似たような業務の繰り返しでは、将来どうなると悶々としている人たちもいる。一握りの人たちでしかないが、その人たちは台風でも地震でもかまわないから、信田さんがもっと動いて、新しい地平線を見せてくれることを願っている。

面倒なことはしたくない、あくせくしたくないと思っている人たちは八幡さんを慕っている。どこかで経費を浮かしてだろうが、八幡さんは飲み会やカラオケなども含めた定時後の人間関係のメンテナンスにもたけている。信田さんはといえば、仕事をするための情報収集や勉強を優先しているからか、集まるのは似たもの同士の少人数になる。

今日があったように明日がある。去年の延長線の今年があって、来年も似たような一年でしかない、そうでなくちゃ面倒でしょうがないと思っている人たちは、信田さんに出てきてもらっちゃ困ると思っている。誰しもやったこともないことをしなければならない立場にはなりたくないし、ゴタゴタはイヤだしで、八幡派の周りには保守的な人たちが集まっている。
現状では会社の、組織の将来が危ない。なんとかして現状を打破して新しい地平を開かなければと思っている人たちが信田さんを中心に革新勢力を形成している。その集団、穏やかな日常を願っている人たちからすれば、攪乱分子に見える。現状のなかで昇進してきた管理職にも経営陣にも目障りでしょうがない。
このままでは会社も組織もどうにもならないことが誰の目にもはっきりしてきたとしても、管理職も経営陣も自分たちの保身を先にして、信田さんが提案し続けてきた解決策を、ああだのこうだのと理由をつけてうやむやにしてきた。

現状のなかでいい人でいようと思えば、現状を肯定することになる。大勢からはやっかいもの、嫌なヤツだと嫌われるぐらいの人でなければ、閉塞状況から抜け出せない。やる事もやり方も変えずに結果だけ変えられないかという希望は、社会や組織を停滞させるもっとも大きな原因になる。
人がいいというだけでは組織も社会も背負えない。大勢には問題児にしか見えない人が次の社会のありようをつくっていく。いい人では何も変わらない。いい人じゃない人たちが次の社会をかたちづくっていく。いい人たちはその人たちの足をひっぱる。

こんな拙文を読んでくださった方々、幅の広いグレーの中のどこかにいらっしゃるのだろうが、信田さんか八幡さんのどっちに親近感を持たれるのだろう? どっちに近い存在でありたいと思っていらっしゃるのだろう? 若い時は信田さんだったけど、年もいってそれなりの立場になった今、昔のようにはいかないと思っている人も多いかもしれない。昔を知らない者のたわいのない想像、ご容赦を。
2020/3/29