草の根利権構造の担い手(改版1)

何を調べたわけでもなし、仮説と呼べるようなものでもない。ただ、こう考えれば起きてきたことを多少なりとも説明できるかもしれないと思いだした。選挙活動のお手伝いをしたことはあるが、もう四十年以上も前のことで、とるにたりない経験が今起きていることを説明するのに、どれほど役に立つのかわからない。今日の時点での忘備録のようなもの、なにをゴタクとを一蹴されるだけかもしれないが、整理の足しにでもなればと思う。東京で生まれ育った者のバイアスがあること、ご容赦を。

有権者は、大雑把に生活の経済的基盤が住んでいる選挙区にある人とない人の二種類に分けられる。行政がらみの組織や宗教団体のように全国区で力を発揮する政治団体や利権集団もあるのに、こんな分類になんの意味があるのかと思わないわけじゃない。それでも、単純化に例外はつきものと割り切って、この視点でみてみれば有権者と選挙とそこから生まれる利権構造がみえてくる。

1) 生活の経済的基盤が選挙区にはない人たち
典型はそこそこの規模の企業の従業員で、住んでいる選挙区で働いている人は少ない。自身も含め家族は選挙区の公共施設や社会福祉、保育園や学校や病院など公共サービスに関心はあっても、それは受益者の視点と立場であって、公共サービスを提供することで生計を成立ててはいない。
全国規模、あるいは海外にまで進出している企業の従業員ともなれば転勤も多いし、ときには海外駐在もある。経済基盤(仕事場)が変わるたびに引っ越すこともあって、どうしても腰掛け住人のような考えになる。

2) 選挙区に経済的基盤がある人たち
この人たちは、しばし選挙区の政治にまで関わって自身の経済的基盤をよくしたいという誘惑にかられる。なかには公共投資が自身の経済的基盤の源泉という人たちさえいる。
公園を作ってくれ、舗道を整備してくれ、保育園を充実してくれという生活者としての要望は生活基盤の話で、経済基盤ではない。ところが予算をつけて(税金を使って)実施となると、途端にこの人たちの経済基盤の話になる。

選挙で立候補する人たちも同じように二種類に分けられる。
2)の人たちは選挙区で事業を営んでいる、あるいは営んでいる人たちと密接な経済的関係がある。1)の人たちは地場の経済活動とは関係がない。

2)から出てきた議員は、日常の仕事を通して市役所やその他の官庁との付き合いがあるが、1)からの出てきた議員にはない。生活基盤の要求や、経済基盤の口利きを頼むとしたら、必然的に2)の議員になる。

では、1)と2)とどちらの人たちが住民として選挙区の生活を大事にするか?
疑問の余地があるとは思えない。それは2)の人たちで、1)はどうしても腰掛住人の思考以上にはならない。昔、徳島県出身の同僚に聞いた話では、そういう人たちは、古い田舎の人たちの目には流れ者に見えるらしい。

2)から出てきた議員、経済基盤も生活基盤もある地元選挙区の経済や生活環境を大事にするのはいいが、しばし私生活と公生活の境界があやふやになる。両者のバランスをとるのは難しい。日本語でいえば、「利益相反」だが、英語の方が分かり易い「Conflict of interest」がつきまとう。
アメリカでは従業員を雇用するときにConflict of interestを確認する。夫婦や近親に競合する企業の従業員がいる場合、常識として雇用を控える。たとえば、夫婦共働きで一方が三菱銀行、他方が三井住友銀行では両銀行間の機密の保持が難しい。

議員が地元の建築会社のオーナ社長で、その建築会社は区や市の公共事業の受託者などというのは、普通のこととして、どこでも起きている。
議員としては、税金の無駄遣いを避ければならないが、公共事業の受け手としては、潤沢なしばし行き過ぎの予算割り当てが欲しい。建設会社のオーナー社長としての利益を犠牲にして議員として公僕に徹することが可能なのか。もし可能だとしてもそれを個人の良心に依存してではあてにならない。あてにならないどころか、公共投資を食い物にしているとしか見えない議員も多い。なかには総理大臣にまで上り詰めたのまでいる。人の欲には限りがない。政治に金が絡まってというより、金が絡まるから、利権があるから政治があるという転倒が当たり前になっている。そんな転倒をなんとか制度で規制?と思っても、「利益相反」の可能性のある人は被選挙権を認めない訳にもいかない。

できることは、徹底した情報公開しかないだろう。公明正大にやれば、住民や事業主に多少の不利益が生じることもあるだろう。必要以上のずぶずぶの予算は許容できないが、かといって受託者の事業が成り立たなければ、公共サービスを提供しえなくなる。

ここで一つ本質的ともいえる疑問がある。選挙区に生活の経済的基盤がある人たちとない人たちのどちらの人たちの方が、個人的、あるいは所属する集団の立場、はっきり言えば利害損得を第三者の立場で客観的に見て、投票しえるのか?立場や利害から遠いところに経済基盤を置いている人たちの方が、利害の誘惑にかられることが少ない。腰掛住人の方が、地域経済共同体に属する人たちより、より中立的な、はっきり言えば公平な立場で候補者を選べる可能性が高い。
逆の視点からみれば、地域経済共同体に属す、あるいは近いところに身を置く人たちは、自分(たち)の経済的、平たく言えば金のために投票する可能性が高いということに他ならない。何をもって公平かという議論もあるだろうが、ここでは公平?なんて議論になることもなく、利権が優先される。こうしてめでたく草の根利権構造ができあがる。

選挙は個人や集団の利益の求める人たちとそこから距離をおいていられる人たちの二種類の人たちの共生の結果なのか、あるいはどっちにしても利権の分配をめぐる争いでしかないとしか思えない。
2020/6/30