馴致されたヒト、家畜化された人(改版1)

従業員百八十人ほどの中堅(?)企業だが、画像処理用LED照明では世界でも飛びぬけて大きな会社だった。画像処理システムには照明が必須で、かつては蛍光灯やハロゲンランプが多用されていた。そこにLEDという画期的な素子が出現した。当初は高価なうえに赤色しかなかったが、あっという間に青色や緑色に紫外線まで登場して、価格も予測を遥かにこえて低下していった。

LED素子は電力を光に変換する効率がいいという以上に、小さな素子を並べて様々な形状の照明を作れるという他の照明には求めようのない利点があった。さらに多様な色を使い分けられることもあって、画像処理(Machine vision)システムの標準的な照明になっていった。
アメリカにヨーロッパでも競合するメーカが二社あったが、事業規模が一桁以上違う。圧倒的な立場にいることは確かなのだが、LED照明はいくらやったところで、画像処理というニッチな業界の一構成要素に過ぎない。

画像処理システムの最大の顧客は半導体の後工程とコネクタやリードなども含めた電子部品産業だった。典型的な用途は、露光装置やチップマウンター、ワイヤボンダ―の位置決めや電子部品の外観検査や文字認証だった。変化の激しい半導体と電子部品業界で、製造や組み立てラインが八十年代以降アメリカから日本に、そして九十年代には韓国や中国に東南アジアへと移っていった。

日本市場の空洞化とアジア市場の成長が表裏のように進んでいくなかで事業の再編を考えざるを得ない立場にいた。シンガポールやマレーシアをはじめとする東南アジアまでなら営業拠点を設置すればなんとかなるにしても、中国となるとそう簡単にはいかない。黎明期にしてもあまりにも巨大で、そして何にもましてコピー製品の氾濫とどう対峙するのかという考えもなしには進出できない。
ニッチな業界のバイプレーヤ、支社といっても、巨大な中国市場で従業員数人が精一杯。市場開拓に走り回って、やっと受注したはいいが、製品を売ったつもりが、コピーを作るための見本を提供していたなんてことも起きる。ある日突然LEDが点灯しないというクレームで、慌てて現場に駆けつけてみれば、どこでどう売られたのか分からない製品が十台、二十台と使われている。どこをどう見ても自社の製品にしかみえない。導入して三ヵ月も経ってないのにトラブルだと文句を言われて、一体どうなってるのかと分解したら、どこで作られたのか、あまりに雑な作りにびっくりするなどということが当たり前のように起きる。

近い将来には巨大な市場に成長する。いつまでもぐずぐずしているわけにもいかない。ただ支社を出そうにも経営を任せられる人材がいない。柔な日本人ではもたないし、かといって上海出身の営業マンでは経営しきれない。日本の旅行会社のツアーコンダクターをしていた人で、口は達者だが、技術的なことには興味のきょの字もない。営業など、その言葉すら聞くこともない社会で育った人で、市場のどこをどうみて、なにから手を付けるのか、販売チャンネルの構築は、エンジニアリングパートナとの協力関係をどうするかなど、いくら話をしたところで中身のある話にはならない。
何度話しても、お茶をすすりながらの対面販売のような話しかでてこない。ビジネスは人と人のつながりはいいが、営業政策を鳥瞰するマーケティングなど、ただの言葉まで。一時代どころか数世代前に戻ったような話しになってしまう。いくら経験を積んでも個々の客の今日の話を転がすまでで、一営業マンの域を出る可能性はない。

技術系の学校を卒業した若い人を雇って本社に二か月も送ってアプリケーション・エンジニアリングの基礎を習得させれば、後は技術屋同士の助け合いでどうにでもなる。技術はいい。問題は支社の経営を任せられる人材なのだが、上海人はそれは自分だと主張しているだけでなく、周りも漠然と既定のことと思っている。社長にしても役員連中にしても海外拠点の経営を経験したこともなければ、必須の知識もない。

中国を知っているのは俺だけだと騒ぎ続ける上海人を外さなければならないのだが、これが難しい。片言の英語ですらなんとかなるのが何人もいない。ましてや中国語となるとアシスタントに優秀なのが一人いるだけで、上海人の中国語がビジネスの世界でどれほど通用するものなのか判断できる人もいない。ニュージーランドの大学を卒業して、なんでこんな会社にいるのかという韓国人のアシスタントの語学力は重宝していた。普通に仕事している分には下手な日本人より頼りになる。英語も中国語も驚くほど流暢だった。中国語は必要に迫られて、家庭教師を雇って三年半勉強したことがあるだけで、中国人の中国語のレベルの評価などしようがない。こんなことまで頼みにしたくはないがしょうがない。
ある日、それとはなくビジネスの視点での上海人の中国語がいかほどのものなか、そーっと聞いた。
「まあ、よく言えば、親しみのある日常会話の延長線なんでしょうかね、上海の人の中国語ですよ。難しい言葉はでてこないし、込み入った話にはならないから疲れなくていいですよ」
まあ、想像していた通りで、達者な日本語もその延長線でしかない。どうでもいい世間話ならいつまでも続けられるが、市場開拓など任せようがない。そんな人間を送ったら、変な癖のついた支社ができあがって、何年もしないうちにやり直しなる。それもゼロからではなく、癖を矯正することから始めなければならない。

どうしたものかとつらつら考えていて、買収したシンガポールの代理店の営業部長を派遣したらどうだろうと思いだした。シンガポールは世界市場と直につながっていて、会計基準も商習慣も日本より欧米に近い。中国の南部から流れてきた華僑の末裔、いくら仕事の仕方が欧風化したにしても、華僑としてのメンタリティはしっかり残っている。ここは彼らを前にたてて、中国人としての仕事にできないか。
本人に可能性としての中国支社の経営について話をしたら、リスクを考えているのだろう腰がひけていた。何回か話をしていて気がつた。上手くいかなかったときのことを考えているようだが、その不安を補って余りある野心も見える。独りで生き延びろなんてことを言う気はない、一心同体とは言わないが、二人で背中合わせ、お前が中国と対峙して、おれは本社の役員どもを説き伏せて必要な支援を欠かすようなことはない。まあ、馘になったらどうしようもないが、そんなことでも起きない限り、ぴったり後ろについてるから、一つ大勝負に出てみないかとくどいた。

中国で仕事をするには、自分(たち)も中国人にならなければ戦にならない。かといって、計画経済のもと営業という職種すらあり得なかった社会で育ってきた人に市場開拓の戦略まで求めるのは酷だろう。歴史と経験が生み出したもので、個人の責任ではない。
ある日、世間話にまぜこんで努めてそれとはなしにを装って、シンガポール支社から上海に人材を派遣したらどうだろうと上海人に訊いてみた。
「フジサワさん、あの人たちはもうヒツジになっちゃって、オオカミがうろちょろしてる大陸では生きらないですよ」
頭から否定された。それはそうだろう。オレを差し置いて、シンガポールの子会社から、ふざけるなっていうのも分かる。分かりはするが、あんたには荷が重すぎてできない。本人は出来ると思っている。お茶をすすりながら日がな一日だべって、支社の経営をしていると固く信じて疑わない、鷹揚ぶった姿が目に浮かぶ。
ヒツジとオオカミ、上手いことをいうじゃないか。自分の頭でそこまで考えらる人材ならいいが、残念ながら、どこかで聞いたセリフを言っているだけしかない。

社内では全員が上海支社は上海人に任せればいいというコンセンサスができあがっていた。そこにシンガポールからを押し込んだとしてもうまくいく保証はない。上海人に任せれば、手もみしながら、お茶をすすりながらのカビの生えたような支社ができあがる。シンガポールから送り込んだら、何がでてくるか。シンガポールをそのまま持ち込んでも機能しない。中国ではないがシンガポールでもない、なんだか分からない、生暖かい気の抜けたビールのようなものにしかならないかもしれない。

強制的に欧米社会に順応することを余儀なくされて、欧米流の現代社会の商習慣や思考に経済合理性で走り続けてきた。優秀なアジアのエリートが社会制度も商習慣も確立されているとはいえない発展途上国で、なんでもありのオオカミに太刀打ちできるという保証などどこにもありはしない。

異文化との接触や衝突が新しい次の社会を生み出すきっかけになるのは分かるが、社会が進化して複雑になるにつれて、取捨選択というよりただ順応することが求められることが多くなる。極端な言い方をすれば、馴致されてヒトが人になって、その人が家畜化されて現代人なのかもしれない。家畜化された現代人が未開の地に乗り込んで、価値あるものを作りだせるのか。自分のことなら、やってみなければ分からないで済むが、企業の将来のたとえ一端にしても責任があると、どうしても慎重にならざるを得ない。しばし、とりあえずは責任のないところに引いておいて、前任者の残した泥沼から再構築に出ていった方がと思いだす。

もう業界そのものの自壊が始まっているところに、中国支社がどうのこうのは当事者以外にはなんの関係もない。言ってみれば、乗っている船がというより、どの船も廃船になりかねない地殻変動が起き始めているのに、それに気づかないでいる。
十年前には二百万円は下らなかった画像処理システムが五十万円もあれば十分になっている。それがあと四、五年もすれば、三十万円になるのが目に見えている。機能はますます充実して、処理速度はかつて考えられないところまできている。画像処理(コンピュータによる演算処理)にかかる時間より、カメラが画像を取り込むのにかかる時間の方が長くなって、なんとか短くする工夫が続いている。すべては半導体の性能の向上と価格の低下がもたらしたもので、内職のような手作業に頼っているLED照明の割高感が顕著になって、コストプレッシャーにどこが耐えられるかという体力勝負の様相をきたしてきていた。

百万円の画像処理に三十万円のLED照明なら文句を言いながらも我慢してくれるが、三十万円の画像処理に三十万円のLED照明はなりたたない。日本でできるコストダウンでは間に合わない。オフショア生産のベースを求めてシンガポールの代理店を買収したはいいが、シンガポールですら経営できる人材がいない。製品は買える。技術は導入できる。人材はたとえ外部から招聘できても、招聘した側にマネージメントできる人材がいない。人材は社会の鏡のようなもので多少歪みがあるにしても、社会の実力の限界を映している。家畜化までされたところから次の社会を背負える人材は出てこない。
2020/7/19