ほっつき歩けなくなって(改版1)

工場でつかう機械や装置を製造する企業が顧客だったから、出張先は古い新しいはあってもほとんど工業地帯だった。たまに展示会やセミナーで地方の商業都市にも行ったが、そこはその地域の中心の街だった。二週間以上にわたる出張は滅多になかったが、時には週末を出先で過ごさなければならいこともあった。日本かアメリカからの出張で、週末を過ごすことになったのは主にヨーロッパだった。出かけたのは、大きな街といっても東京の感覚ではよくて地方都市、ほとんどは田舎町だった。

宿泊費を気にして問題のない範囲でできるだけ安い小さなホテルにしていた。なかには家内労働でやりくりしていて、食事は出ても朝だけ、月曜から金曜までしかでないところもあった。土日の昼過ぎ、腹が減りすぎて起きだした。なにか食べなければと街にでていった。土曜日はまだしも、日曜には閉まっているところが多い。
ドイツのLohr am Mainは悲劇的で、やっと見つけたのはケーキ屋で、ケーキにコーヒーの遅い昼飯になった。夕飯は居酒屋しかない。ビールはいいが、食べ物はハムかソーセージしかなかった。平日仕事帰りに商店街に行っても、小さな町で十分も歩けば回り切ってしまう。古い小さな教会と、おもちゃのような小塔をのせた城が町のランドマークで、いくら歩いても入ってみるかという店はない。田舎町ということなのだが、もし、そこで「コインランドリーはないか」と聞いたら、「なんでコインを洗うんだ」と聞かれそうな気がした。

車があればちょっと走ってもできるが、カーナビなどない時代、言葉もろくに通じないドイツの田舎町でレンタカーを借りてという気にはなれなかった。それでも億劫がらずにタクシー呼んで、列車に乗ってどこか観光地に行けないわけじゃない。その気になればなんとでもなったと思う。
ただ観光地かと思うと、気がのらない。小旅行のような思いをして出かけていって、何かみたところですぐ飽きる。ナイアガラの滝がいい例で、確かに雄大な眺めでだが、十分も見れば十分。いつまでも突っ立って見ていられない。観光地には大きな欠点がある。街は観光客御用達の店で溢れているが、そこに住んでいる人々の生活、言ってみれば今の人たちの文化がみえない。
どんなに綺麗な物でも人でも、荘厳な建築物にしても、何分も見ていられない。ああすごいなと思ってゆっくり観ても、たいした時間はかからない。しばしば、こんなものを作った金はどこからでてきたのかと気になりだす。日常生活で活気にあふれた人波に興味は尽きないが、静止しているものには惹かれない。

そもそも一つの景色や似たようなものをいつまでも見ていられるような性質じゃない。観光客相手の店でメシを喰って観光客に混じって土産物屋を見て回ったところで何がある。好奇心の赴くままに雑踏で人混みのなかを歩き回っていたほうがよっぽどいい。観光地の多くが歴史―かつての遺産や文化で、今の文化は街にある。その今をみずしてどうするという気持ちのほうが強い。
ロンドンやブラッセル、ミュンヘンやストックホルムの中心にあるホテルに泊まったこともあるが、出かけるのは決まって商店街や繁華街だった。それはバンコクでもシンガポールでも上海でも北京でも同じで、人混みに紛れて人々の日常生活とそのささやかな延長線の中にいるのが好きだった。

町屋で生まれ育ったこともあって、上野のお山と不忍池にはなかば故郷のような思いがある。ただ行ってはみても、何があるわけでもなし、五分やそこら池の鯉を見ているぐらいしかやることがない。さっさと一回りしてアメ横にぬけて、何を買うでもなく店を見て回って帰ってくる。そのアメ横にしても、ちょっと観光化されすぎた。
場外馬券目的の祖父にダシに使われたのだと思う。小学校に上がる前には、もう小銭をもらって一人で花やしきで遊んでいた。懐かしさにかられて何度か行ってみたが、あまりに賑やかな観光地になってしったのに驚いた。おぼろげに残っていた記憶も、靄がはれるかのように消えてなくなってしまった。今日を生きる人たちの生活、それが文化なんだろう。それでいいんだと思いながらも、オレの故郷は?どことなく落ち着かないままでいる。

コロナウィルス騒ぎで、どうしてもということでもなければ、外出を避けなければならなくなった。おかげで街をほっつき歩く、気晴らしというより唯一の楽しみを我慢しなければならなくなった。健康のためにも多少は歩かなければと思っても、デパートもショッピングセンターも図書館もなにもかもが閉まったままで、出かける先がなくなってしまった。

やっと禁足も解けて、すこしずつ歩き始めたが、どうにもマスクが苦しくてしょうがない。
2020/7/12