逆引きー直截に情報に(改版1)

高校までは、あるいは大学にいっても、普通は敷かれたレールに乗せられたかのように教科書に沿って順序よく勉強していく。教育関係者の言を待つまでもなく、基礎知識の基礎を習得する段階では体系だった教育指導が欠かせない。先を急ぐ気持ちがあっても、基礎知識もなしに、直接必要な情報に落下傘部隊のように飛び降りるわけにはいかない。

ところが社会にでると、はっきりこれといった答えのない問題も多いし、しばし現象と原因が相互に入り組んで、現象と原因を切り分けられない状況に即応することが求められる。限られた能力で時間との競争になると、もう学校の勉強のように順序良く資料を紐解いていく余裕もなく、とりあえず打てる手だけでも打っておかなければならないことも多い。

社会にでても定型業務に明け暮れる職種であれば、系統だった勉強方法しか知らないで済むかもしれないが、幸か不幸か変化の速い業界でそれなりの仕事に携わるとそうはいかない。
火事を目の前にして、消火の手順書はなどとは言っていられない。打てる手を即打たなければという気ばかりがあせる。慌てていることもあって、厚い取扱説明書や保守説明書を手にしても、どこからみればいいのか見当もつかない。目次からここかな、あそこかなとページを開いていっても、こうすればこうできるという作業から目的への説明ばかりで、こういうときにはこうすればという目的から作業への説明は見つからない。

情報がデジタル化されて、取扱説明書や保守説明書も紙ベースからe-bookと呼ばれる電子書類になった。電子データだから、教科書のように知識が体系だって書かれていても、生得の逆引き機能がある。目次からあれこれ探すより、知りたい機能や障害の症状など、キーワードを工夫して検索すれば、関連した説明がでてくる。インターネットで何かを検索するのと同じ要領で手っ取り早い。
惜しむらくは、インターネット(Google Chrome)のように賢くはない。キーワードがちょっと違うだけでも、該当するものはありませんと素っ気ない表示が返ってくる。Chromeなら、キーワードが違っていても、もしかしてこれじゃないですかと候補をあげてくる。たとえ専門用語が分からなくても、候補としてできたものを参考に、あれこれやっていけば、よほど運が悪くなければ、それなりにしても必要とする情報に辿り着ける。

ニッチな領域の研究者でも専門外の情報を探さなければならないことがあると思う。ましてや変化の速い業界でメシを喰ってくとなると、専門外で知りませんと涼しい顔をしてはいられない。それこそ毎日のように、専門領域から縁もゆかりもないところの情報漁りに出ていかざるを得ない。

ひと昔前なら業界団体の図書館や資料室にお願いして参考資料を閲覧させてもらうしか方法がなかった。東京であれば、さまざまな業界団体が事務所を構えていて、そんな作業も出来ないわけではないが、地方都市からではどうにもしようがなかった。
インターネットの普及がこの情報格差を解消したとはいわないにしても、無視できるほど小さなものにした。人と人との交わりから直接受ける影響は望めないにしても、知らなければならない、知りたいことを探すのに距離的な障害はほとんどなくなった。

インターネットがもたらす検索機能が学校の授業のように定型化された順序を飛び越えて、必要とする情報を直截手にすることを可能にした。それを阻害しているのは、皮肉なことに昔はそれしかなかった紙ベースの情報で、インターネットを使い慣れてしまうと、なんともまどろっこしい。

p.s.
巷で走り回ってきたものには、ちょっと信じがたいのだが、この「直截に情報」を許せない人たちもいるという。ニュースでみたかぎりだが、昔気質の学者先生や研究者のなかには、何十年もかけて辿り着いたところに、ろくな知識もない人がインターネットでポンと入り込んで来るのが許せないらしい。大学の先生のなかには、インターネットを使った検索を自分たちが使ってきた「あんちょこ」のデジタル版とでも思っているのか、学生に課題を与えるときにインターネットの使用を禁止している人もいると聞く。
ネット上の情報をコピペすれば事足りる課題しか与えられない先生の能力が問題とされるべきで、インターネットを活用する学生を非難するのは本末転倒としか思えない。海外からの情報を紹介するか解説できれば先生でいられた、紙ベースのまどろっこしい、見ようによっては安逸なゆったりした時代もそろそろ終わりにしなければと思うのだが。
2020/10/11