一泊したことに(改版1)

「あぁ、藤澤君、朝よって調子みてから帰ってきたんだよね」

一時ちょっと前にタイムカードを押して事務所のドアを開けたら、目の前に山田課長がいた。ただの偶然だろうが、やな一日の始まりだった。
「おはようございます」という間もなく、いきなりはよしてくんないかな。何をいわれているのかわかるまで、へんに間があいちゃったじゃないか。客から電話でもはいって腹をたててるんだろうけど、昨日の菅原さんの口ぶりじゃぁ、よくあることじゃないのって気がする。
菅原さんの手前、まさか直帰しましたとも言えないし、寄ってきましたとウソをいうのもはばかれる。しらばっくれるしかないが、根っからの小心者、小声で濁ってしまった。

「ああ、もう菅原さんから報告聞かれたんですね」

涼しい顔してなんでもありの菅原さんがゲロするとは思えない。まさか客から電話があったんですかとは聞けない。


一昨日の昼過ぎ、山田課長から言われた。
「急な話で悪いんだけど、明日菅原について寒川まで行ってもらえないかな。さっき電話がかかってきて、工具交換がたまにひっかかっちゃうから、また来てくれって……」

「寒川って、あの茅ケ崎の先の寒川ですか。すぐそこだし、菅原さんならささっとかたづけちゃうんじゃないですか」

あれ、なに渋い顔してと思ったら、
「いやな、あの工具交換、どうもよくないんだな。何度か行って調整してきたけど、たまに起きちゃうんだ。しょっちゅうなら、分かりやすいんだけど、月に一度起きるか起きないかだから、なかなか原因が掴めないで困ってんだ」

えぇー、やだな、そんな面倒なのと顔にでていたのだろう。
「そこで菅原なんだけど、あの機種散々いじりまわして癖までわかってるから、あいつがどんな手順でどんなところをチェックしていくのかをみてりゃいい。いい勉強になるから」

「ありがとうございます。で、菅原さん、いまどちらに」

「ああ、さっき話しておいたから、多分部組にいって小田班長に相談してるんじゃないかな」

「じゃあ、ちょっといって話を聞いてきます」

いつものことで客は怒っているというより、たぶん呆れてる。何度来ても解決しないから、イライラもするのも分かる。でもたまに起きる障害って機械屋泣かせで、傍でみてるように簡単じゃないんだよね、と横で話を聞いていた。
菅原さん、場数を踏んでいるからなのか、まだ三十前なのに客扱いに長けている。とても営業笑いとは思えない爽やかな笑顔で合いの手をいれながら、客の愚痴を真正面から聞いている素振りでガス抜きも堂に入っている。

いうだけ言って気が晴れたのか客の係長が、あとは任せたからって感じで事務所に戻っていった。後姿をご苦労さんとでも言いたげな感じで見送って、いつものおちゃらけた調子で、

「さっさとやっつけちゃおうか。オレ茂原だから、結構時間かかってさ」

工具交換は任意番地書換だから、ポットとそこに収まっているツールホルダー(工具)は工具交換の度に変わっていく。ポットとツールホルダーの相性がトラブルの原因かもしれない。相性というと、そんなことでどうすんだという声も聞こえてくるような気がする。確かにそうは思うが、そこにはコストの問題がからんでくる。個々の部品の加工精度は許される範囲で緩くしたい。プラスマイナス百分の一ミリにすれば、百分の五ミリの五倍以上に加工コストが跳ね上がる。いくつもの部品が重ね合わさったとき、すべての部品の精度がプラス側だったら、あるはマイナス側だったら、まさかという障害がおきることもある。
二人でポットに傷がないかチェックしながら清掃して、マジックでポットに番号をふっていった。ツールホルダーもスタッドボルトもチェックして、工具交換のアームもチェックして掃除した。

持ってきたデジボルをキーと思われるところに一台ずつ取り付けて、連続運転を続けたが電気信号にブレはないし、聞いていたトラブルは起きない。配電盤をあけて電気図面をみながら、関係する回路の配線の端子の締め付けに緩みがないかチェックして、工具交換動作の一つひとつをチェックしているセンサーを確認していったが、どこにも不安を感じさせるものがない。一度電源を落として、関係するソレノイドバルブをはずして、スプールがスムーズに動くことも確認した。

菅原さんはまだまだ若手だが、マシニングセンターのフィールドサービスを六年以上やってきているベテランだ。工場で毎日決まった作業を繰り返しているラインの人たちとは違う。出たとこ勝負のフィールドサービスで鍛えられている。その菅原さんがどうしたものかと考え込んでいた。

機械の障害にもいろいろあるが、起きたときの危険度というのか被害から二通りに分けられる。一つは暴走で、起きたときには自動車事故さながらの衝突になって機械の主要部分を破損することもある。あちこち壊れてしまって、障害を起こした原因もなくなってしまうから性質が悪い。もう一つは、一連の動作が途中で止まってしまう障害で、こっちは障害状態がそのまま残っているから原因を突き止めるも、比較でしかないにしても楽だ。ただどちらも障害がめったに起きないケースでは、どうやって障害を起こすかがトラブルシューティングの始まりなる。起きた時には衝突という障害の場合は非常停止ボタンに手を当てて万が一に備える必要があるから気を抜けない。

「うーん、分からないな。やってみるか」
「藤澤さんさあ、これデジボルをこっちとあっちにつけて、配線をゆすってみようかと思うだけど。やってもらえるかな」

何をと思っていた、さっさとデジボルを違うところにつけて、

「ほら、盤の左に配線が束になってるだろう。その配線をゆすって」

「その後、上に上がってダクトを開いて配線をみたいだけど、どこかに足場の台ないかな」

もしこのセンサーがボケていたら、客が言っているように工具交換がここで止まるというのをチェックしたが、なにもおかしなところはない。センサーの位置を微妙に前後にずらして、言っている障害が起きることを確認して、前後のまん中にしっかり固定した。原因はこのセンサー系しか考えられないが、センサーはちゃんと動いている。配線のどこかなのか、もしかしたらソフトウェアかもしれない。
あれこれやったが、障害を起こせなかった。原因になるかもしれない所は全てチェックした。これ以上やりようがない。菅原さんが客に状況を説明して、客も渋々納得したというのか、しょうがないということで終わりにするしかなかった。

二人で東京駅に向かう列車に乗って世間話をしていた。ちょっと間が空いて菅原さんが、
「明日は午後一の出社でいいから」

えっ、なにと思いながら、
「えぇ、午後一って」
「いや、今日は寒川に一泊したことにして、明日午後一の出社にするから」

なにを言われているのが分かるまでのちょっと時間がかかった。ああ、そういうことと気がついて、
「了解です。じゃあ午後一で」

こんなことしてと後ろめたいが、先輩にそう言われればなんとも返す言葉もない。まさか自分だけ朝から出社するわけにもいかない。

緩い会社で出張経費精算は申告通りでアシスタントの女性が事務的に処理して、上司がめくら判を押して終りだった。これといったエビデンスを要求されることもなかった。それは一年前まではいた本社でも飛ばされた子会社でおなじだった。
菅原さんだけじゃない。課長も部長も誰もかれもが当たり前のこととしていたと思う。安月給のなかで、ちょっとしたお小遣いをひねり出すインチキ。横領だといわれてもねーというのがみんなの気持ちだったろう。もう半世紀ちかく前の話だが、いまもなにが変わったとも思えない。それは屋久島だけじゃない。日本中、もしかしたら世界中どこにでもあることで、固いことを言いだしたらみんなが困る。厄介なヤツでと除け者にされることもあれば、いじめにあうことも覚悟しなけりゃならない。

p.s.
<どうせ税金で持ってかれちゃうんだったら>
画像処理(マシンビジョン)の用途は多岐にわたるが、半導体関係が圧倒的な比重を占めている。半導体は投資の波が極端に振れる業界で、溢れる注文に忙殺されたかと思えば、二三年後には一年以上注文ゼロで干上がってしまう。そのシリコンサイクルと呼ばれる需要の大波に合せて中途採用とレイオフがくり返されていた。

半導体景気まっただ中の二〇〇〇年、アメリカの画像処理屋の日本支社に呼ばれていって、あまりの人心の荒れようにたまげた。話には聞いていたが、度が過ぎる。社長からして毎日のように会社の金で飲み食いしていた。社長が経費精算すると、チェックがアメリカの本社になってしまう。そこで、いつも経費精算係として連れ回された。直属の部下が精算して、承認するのは上司の社長。誰も文句を言えない。
それはDirector連中もManagerも営業マンも同じで、サムライの中には毎月七十万円以上飲み食いしているのまでいた。
利益を計上すれば、その分税金が増える。だったら、営業経費でもなんでもいいから使っちゃえ、使える時に使わなければ、使えなくなった時にはレイオフになってるかもしれないじゃないかという刹那的な空気が充満していた。
社長だ部長だといったところで、アメリカの本社の都合でいつ馘首になるかわからない。シリコンサイクルの突風のなか伸るか反るかの外人傭兵稼業、バカ騒ぎでもなけりゃやってられない。

六人しかいないマーケティングの年間予算が一億六千万円もあった。ホームページ作って、テレマを使った市場開拓と市場データベースを構築した。ロボット買ってコンベア作らせて、デモ用のパソコンもカメラもレンズも照明も、必要となれば何でも買った。日本中の展示会やセミナー、雑誌や新聞広告……、何かイベントがあれば当たり前のように飲み食いがある。予算消化といくらやっても使いきれない。そこに、十月末にアメリカの本社からあと四千万円使えといってきた。アメリカの年度末はカレンダー通りで十二月三十一日。あと二ヶ月、どうにも使いようがない金があった。あり余る予算を使うのに疲れた最初にして最後の経験だった。
泥沼の匍匐前進で生きてきた傭兵にも矜持ってものがある。そんなところにいつまでもいたら、実践感覚が鈍ってしまって二度と戦場にたてなくなる。宴会部長ってがらでもなし、二年でお暇した。
見ようによっては、税金を納める責任を他社に押しつける予算消化といえないこともない。民間企業の利益と法人税のはなしで、屋久島やお世話になった工作機械メーカのように人様の血税じゃないところがちょっと違う。
2021/3/30