使い走りの雑兵から二級市民に(改版1)

仕事で走り回っていたときは、もうこれ以上はやりようがないところまで突っ走っていた気がする。あれもこれもとやりながら、次をどしてやろうかと考えているところに、即対処しなければならないのが割り込んでくる。待ったなしの仕事をいくつも抱えて、自分の限界を確かめるような毎日だった。

炎上して手のつけようもないのが転がってくると、優先順位があるからなんていってられない。打たなければならない手を要素ごとに分解して、任せられることをあちこちに振って、残ったところをさらに分解して応急処置で時間をかせいで、次の手、その次の手の準備に走った。
やらなければならないことを優先順に楔型にならべて、前後を入れ替えながら、あふれそうになるのをこぼれないように前へ前へと押し込んでいく。ぱっぱぱっぱと片づけて、なんとか時間の自由度を保とうとした。いつまでやっても終わりはないから、八時をまわったところで、急ぎの仕事ももう明日と切り上げて軽く夕飯にしてしまう。

コーヒーをすすって気分一新、やるかと一月がかり、ときにはそれ以上のスパンで取り組んできたプロジェクトに手を付ける。もう電話もかかってこないし、事務所に残っているのも少ない。十時をまわるまでの二時間ほど、十五分刻みの短時間勝負をいくつかくり返して、一歩でも二歩でも先に進めなければと気だけは焦る。最後は、あす関係者に振る作業の整理と依頼や確認のメールで、今日もご苦労さんで一日が終わる。

出社して一時間ぐらいは、アメリカやヨーロッパから入ってきた電話メッセージとメールの処理で終わってしまう。即処理しなければならないことでも飛び込んでこなければ、十時すぎから一時ちょっと前まで、前日からの仕事の続きをしながら、作業の順位を整理してあれこれ片づけていく。
マーケティングのはずだったのに、気が付けば営業やエンジニアリングから、ときには物流からアメリカ本社と掛け合ってくれというトラブルシューティングのよろず便利屋になっていた。やってもやっても転がり込んでくるゴタゴタ、なんでオレがと思っている余裕もない。なんでこんなことになってしまったのか。

周りをみれば、多少のバタバタがあったところで、ルーチンワークでみんな平常運転。みんなと同じとはいわないにしても、グライダーのようになめらかに滑空していくような仕事の仕方ってのもあるんじゃないかと思いだす。
こんなことを続けていれば、いくらもしないうちに潰れるだろうと思いながらも止められない。仕事で倒れるのなら本望、ほとんど燃焼願望に近いものがあった。それは卒業して入った工作機械メーカで味わった閉塞感への反動から生まれたものだった。

学歴もなければ、これといった伝手もない。なんの資質や才能があるわけでもない。高度成長が生み出した工業高専という職業訓練校をでて就職したら、そこは国公立にたまに早慶という学歴社会だった。与えられた仕事はそのひとたちのための下働きだった。思想問題から三年過ぎには子会社にとばされて、職工さんにまじって現場で鍛えていただく機会もなかった。
切った張ったの戦場に出してもらえれば、ささやかか勲功を上げてなんてこともあるかもしれないが、戦前からの名門企業でそんな都合のいい役どころは回ってこない。何をどうしたところで、成果は学卒の上司のものになるだけで、雑兵はいつまでたっても使い勝手のいい雑兵で終わる。
プロ野球でたとえていうなら、育成にも入れない用務員。いくら頑張ったところで練習にも参加できない。キャンプや練習試合でアピールしてなんてのは夢のまた夢だった。

技術屋になる夢のかけらをゴミ箱に放り込んで、十年お世話になった工作機械メーカを辞めた。学歴もへったくれもない自分の能力だけが頼りの技術翻訳の世界に飛びこんだ。受験勉強もしたことないのが、三十すぎて英語の勉強を始めた。常識で考えれば無謀なチャレンジで背水の陣だった。なんとかしなければと、毎晩アメリカの大学の教科書を読み続けて、翻訳屋としてなら食っていけると思っていたところにアメリカの制御機器メーカの日本支社から話があった。

正直怖かった。日本以上の学歴社会の出先。技術も英語も秀でた人たちのなかで生きて行けるのか。あるのは不安だけだった。こんなことをいうとしかられそうだが、行ってみればなんてことはなかった。誰も彼もがサラリーマン、自分だけが頼りの翻訳屋の切羽詰まったところはない。組織のなかの一員としてそれなりにやってればなんとでもなる。明日は分からない独り稼業を三年以上やってきたものには、このなんとでもなるとうのが気の抜けたビールのようでもの足りない。

人間、なんらかの目標がないと、その日その日に流される。ところが、自分の考えでそれなりの目標を立てられるのかと問われれば、おおかたなんとかになりたいというまでで、これといって何をしたいというのはなかなかない。医者になりたい、金持ちになりたい、偉くなりたい。なかには宇宙飛行士になりたいという若い人たちもいるだろう。でも宇宙に行きたいはいいけれど、いって何かをしたとして、そこから何をどうしたいのかという疑問はなくならない。取るに足りない偏った知識のせいだろうが、なんとも想像がつかない。

型にはまった速成教育を受けてきただけの、どこにでもいるノンキャリア、悲しいかな自分から何をできるようにという将来設計をする能力はない。結果として起きたことは受け身の必要から生じた勉強だった。問題やトラブルを持ち込まれれば、あるいはトラブルを解決しなければならない立場にたたされれば、解決せんがためにその都度情報を漁って知識をという生活になる。毎日新しい状況にふりまわされて、知らなかった組織上問題や技術的な課題も、さらにはそこから市場の特性やアメリカと日本の文化の違いを使える知識として吸収していった。

仕事は水に似たところがあって、流れやすいところに流れる。放り投げれば、あとはなんとかしてくれるだろうという便利屋がいれば、そこにはなんでこんなものまでというものまで流れて来る。やればやるだけ仕事が増えて能力の限界を超えていく。限界を超えたところから能力のストレッチがはじまる。ストレッチが戻る間もなく次のストレッチからストレッチへと続いていく。
アメリカの社会には、この絶え間ないストレッチを奨励する、そしてそのストレッチされた能力を評価するプラグマティズムがある。ストレッチされた能力をもって試合に出てストレッチを重ねて、結果を出し続けられる限りは選手として使ってもらえる。この「結果を出し続けられる限り」というのがミソで、ケガでもしようものなら、いくらもしないうちにお払い箱になる。

いくら結果を出し続けたところで、それは出せる結果まででしかない。一歩後ろに下がってみれば、所詮日本支社のノンキャリア。アメリカ本社からみれば、有色人種のSecond class citizenに過ぎない。だったら、日本の会社でNative citizenとしていればと言えないところが苦しい。Native citizenであろうとすれば、雑兵以下の使いぱっしりにしかなれない。

チャンスをつかめるかもしれないアメリカの会社とチャンスに手を出す機会もない日本の会社。雑兵で甘んじるのか、それともレイオフの危険を承知で、Second class citizenとして戦功の機会を求めて外資に身を売るのか。どっちを選択するかは人それぞれだろうが、迷うことはなかった。やるだけやってダメならしょうがない。やろうともしないでは悔いだけが残る。

迷うこともなく渦中にいたが、戦場を離れてみれば、なんのことはない。私生活をおっぽりだして、人様のつくったゴタゴタの後始末に走しずりまわっただけでしかない。オレの人生はなんだったんだなんて考えると、今さらながらにバカバカしいことをしてきたもんだと呆れかえる。そのときそのとき出来る限りのことはしてきたじゃないかという一つまみの充足感が、冗談じゃないという気持ちのあちこちに消えないシミのように残っている。
もう古希もすぎてパンツのゴムもだらしなく伸びきったし、棺桶のフタの影もちらちらしだした。お呼びがかかるのもそう先のことではないだろう。走り続けた反動もあって、この期におよんでオレはなんなんだったんだって思いが強くなる。なにがなんでも書き残さないままじゃ終われない、という思いが今日の一日をささえている。
2021/1/28