赤ちゃんの粉ミルクで下痢した(改版1)

健康のためには低脂肪牛乳の方が、そして高齢者にはカルシウム強化された加工乳の方がという話を聞いていて、若いときに粉ミルクでえらい目にあったことを思い出した。

三十をちょっとまわった一九八〇年代中ごろ、駅からも実家からも歩いて五分程度のマンションで独り暮らしをしていた。不動産屋か誰かにほだされてオヤジが気まぐれで買った新築マンション。四年経っても誰も住まないまま倉庫のようになっていた。ニューヨーク駐在を終えて帰ってきたとき、どうせ空いてるのならとそこに落ち着いた。翻訳屋仲間には格好をつけて独り暮らしといっていたが、飯も掃除も洗濯もどころか、給料が振り込まれる口座もお袋任せで小遣いもらっていた。三十すぎても親離れしないで離れに住んでいたようなものだった。

たまに食べものを買ってくることもあったが、せいぜい紅茶やコーヒーに牛乳と口寂しいときの菓子の類までだった。深夜でも早朝でも腹が減ったら、ちょっと表に出れば深夜営業の飯屋も弁当屋もあって、食うには困らない。
大きな仕事になると新橋の事務所への通勤時間がもったいなくなって、書類を持ち帰って仕事をしていた。十二時一時を回っても、もうちょっとおいかけるから、だんだん夜が長くなって朝が遅くなる。二日三日も経てば昼と夜がひっくり返ってしまう。朝刊がきたら、すがにもう寝なきゃと睡眠薬を一錠飲んでベッドに入る。ついさっきまで紅茶飲んで、コーヒー飲んで眠気をとばしていたから、機械のように電源ブレーカを切るようにはいかない。いつのまにやら睡眠薬が常備薬になっていた。都合がいいというのかよくないというのか、オヤジが内科で開業してたら、飲みすぎるなよといいながら出してくれた。薬の助けも借りてしっかり寝てすっきりした頭で起きる。ただ目がさめるのは四時すぎ、ときにはもうすぐ六時なんてこともある。

夕方から翌朝まで原稿と取っ組み合いしながら翻訳していた。タイプライターを数時間も打ち続けていれば、目も疲れて頭も回らなくなる。誰と話すこともなく、黙々と独り作業の翻訳、肉体的な疲れはしれているが、緊張を保ちきれない。生産性が落ちるだけならまだしも誤訳しかねない。そこで、気分転換にコーヒーか紅茶を入れて、煎餅かなにかかじって一息入れていた。

晩酌もしないし、家で酒を飲む習慣もない。酒なんか飲んでいたら勉強できない。朝から夕方までは事務所で仕事、夜は家で勉強の時間だった。技術翻訳屋にならんがために、毎晩のようにアメリカの大学の教科書や技術資料を読んでいた。テレビもあればつい視ちゃうから、押し入れにしまい込んでしまった。仕事と勉強に明け暮れていた。

コーヒーならブラックでもいいが、紅茶にミルクがないと飲みにくい。牛乳は欠かせないが、不規則な生活のせいで、何度か腐らせてしまったことがあった。飲み切りの小さなパックでは直ぐ飲んでしまって、買い置きにならない。千mlのパックを買ってくるのだが、しばし飲み切れないで賞味期限がすぎてしまう。どしたものかと考えて、粉ミルクにすればと思い立った。こうしてみようかと考えてもグズグズしていることが多いのに、その時は、数日前に牛乳を腐らせてしまっていたこともあって、一日もはやくという気になっていた。翌日仕事帰りに駅前の西友によって、赤ちゃん用の小さな缶の粉ミルクを買ってきた。

缶を開けたら、ぷーんと独特の匂いが広がった。乳児用のミルクだからなのか、香りだけでなんとなく幸せな気持ちにしてくれる。人工調味料とか甘味料に毒されているはずがないと思うと、それだけでも嬉しくなった。さっそくお湯に溶かして一口飲んだ。なんだこれ、不味い。赤ちゃんって、こんなまずい物を飲まされているのかと、ちょっと可哀そうになった。母乳に似たような味に調整しているはずなのに……。多少なりとももっていた憧れがくずれてしまった。これじゃ、コーヒーや紅茶にいれてしか飲めないじゃないかとがっかりした。それでも赤ちゃんにはいいんだから大人にだって健康に悪いはずがないと何度か飲んだ。

どういう訳かそのたび?に下痢をした。まさか赤ちゃん用の粉ミルクがとは思えなかった。何度か下痢をして、もしかしたら粉ミルクのせいかもしれないと思いだした。まさかと飲んだら、やっぱり下痢をした。どう考えても原因は粉ミルクしかない。それでも、まさかと何度か確認のために飲んだ。やっぱり下痢をした。赤ちゃん用の安全な、健康にいいはずの粉ミルクで、だいの大人が下痢するか?そりゃないだろうと、また何度か試してみた。間違いない。他の原因は考えられない。

小さな缶だが、捨てるには惜しい。どうしたものかと考えていて、赤ちゃん用のミルクについて祖母に聞いてみた。母は結核で生きるか死ぬかというような状態で出産したため、祖母に育てられた。母乳を与えられたことがあるのかどうか訊きもしなかったが、粉ミルクで育てられたことは間違いない。それを与えてくれたのは祖母だから、その辺りは詳しいだろうと思った。

「このミルク飲むと下痢しちゃうんだけど、そんなことってあるんかな」
いい年して、この孫は何考えてんだろうとでも思ったのか、訊かれていることがよくわからなかったのか、それとも耳が遠くなっていて聞き取れないのか。大きな声でゆっくり話した。
「牛乳買ってきても、つい腐らせちゃうから、粉ミルクにしたんだけど、飲むと下痢しちゃうんみたいなんだ」
「この粉ミルクが原因なのかどうなのかわからないんだけど、どうもそんな感じなんだ。飲むと下痢しちゃう」
わかったような、わからないような顔をしている。
「で、飲めないから捨てるしかないんだけど、どうする。試してみる」
下町で震災と戦争で二度も焼き出されて、モノの無い時代を生き抜いてきた人、捨てるにはもったいなすぎると思ったのだろう。
「捨てる?もったいない。あたしが試してみる」
といって、持っていった。

一月ほどして祖母に会ったときに、聞いてみた。
「あのミルク、どうだった」
「うん? あれ、あれはやっぱりだめだね。なんでなんだろうね。赤ちゃんにはいいのに、大人にはダメなのかねぇ」
祖母には悪いが、そう聞いてほっとした。オレだけじゃない。何でだかわからないが、赤ちゃん用の粉ミルクは大人には合わない。

なんでと疑問に思ったまま、数十年。思い出してWebで調べてみた。すぐに丁寧な解説が見つかった。
長野県医師会のサイトだから、どこかのメーカの色は付いていないだろう。

https://www.nagano.med.or.jp/general/project/topics/detail.php?id=355

ホームページによると、下痢の原因には「乳糖不耐症」と「牛乳アレルギー」の二つの可能性がある。
Webで斜め読みしただけで、解説する知識はもちあわせていない。キーとなる個所を転記しておく。

「乳糖不耐症(にゅうとうふたいしょう)」は、牛乳の中に含まれる「乳糖(ラクトース)」を消化吸収のため分解するラクターゼという消化酵素の、小腸での分泌不足が原因で起こります。消化不良・腹部不快・腹痛・下痢・おならなどの症状がでます。
一般に、大人になるとラクターゼ分泌が減少することが多いため、子供のころは冷たい牛乳も平気だったけど、大人になってからいけないという人がいるのも特徴です。

「牛乳アレルギー」ですが、これは食物アレルギーのひとつです。原因となる食物を摂取した後にアレルギー反応が起こり、腹痛・下痢・じんましん・呼吸困難・アナフィラキシー反応などが起こる、より深刻な病態です。

要は消化酵素が足りないから下痢をしたということらしい。消化酵素がどのように作用して乳糖を分解するのか分からないがほっとした。アレルギーでもなさそうだし、特異体質でもない。多分よくある話なのだろう。

何が分かった訳でもないのに、状況や症状の名称が分かれば、それだけで分かったような気になってしまう。なってしまえば、それ以上の追求はしない。ときには名称がアルファベットの略語だったり、聞き慣れないカタカナだと煙に巻かれたような気がして、何を意味しているのかWebで調べることになるが、漢字なら語の意味からおおよその想像はつく。知らなければならないことが多すぎて、特段必要としない限り深追いする余裕がない。多くの知識がその程度のものでしかない。

Webが充実してきたおかげで、誰に訊くまでもなくかなりことがわかる時代になった。必要なのはPCとネット回線だけ。便利な時代になったもんだと思いながら、テレビも電話もなかった昔の人たちにはちょっと申し訳ない気がする。でもその一方では、インターネットやスマホが当たり前の時代に生をうけたこれからの人たちが羨ましくもなる。

Webで調べて大した手間をかけることもなく、分かったような気になるのはいいが、そのまでで流れて行くのが怖くなることがある。分かったつもりになっていることがどこまで本当なのか事実なのか確認しようとすると、玉石混淆どころか、ときには稚拙なデタラメや学術の風を装った怪しい情報を篩い分けるに予想外の手間暇がかかることがある。情報を得やすくなったということは、デタラメでもガセでも情報として発信するのも容易になったことにほかならない。
見つけた情報の目的だけでなく、発信の背景や時々の事情に加えて経緯や発信者や組織の社会的や経済的立場まで想像する癖がついてしまった。情報をすなおに額面通り受け取れなくなってしまった――疑い深くなったのが、ちょっと寂しいような嬉しいような、こうしてたわいのないことを書いている自分ですら、額面通りからはかなり外れた存在なんだろうなという、なんとも落ちつきの悪い気持ちでいる。
2021/5/1