男子三日会わざれば...

ご存知の中国の故事成語をそのまま使わせて頂いただけで、女性を除外してのことでないことを最初にお断りしておく。
卒業してそのまま入社して十年以上お世話になった会社を辞めた。基幹産業で給料は安かったが、機械屋を夢見て選んだ会社だった。当時日本の大手五社に数えられた名門工作機械メーカだったが、三十ちょっとまわって多少なりとも社会が見えてきた者の目には名門ゆえの古色蒼然とした体質が耐え難かった。入社時に勝手に思い描いた、将来を賭けたいという魅力は遠に失せていた。自分なりに一所懸命やってはみたが、結局、機械屋にはなれなかったという悔いが残った。悔いはあったが、自分には合わない会社や仕事にしがみついてもしょうがない。将来を思えば伝統的な製造業の時代でもなし、えぇーいと全く違う業界に飛び込んだ。
五十万点以上の製品(群)を持ち、当時、従業員定着率98%を誇り、米国のビジネス本でExcellent companyと評されていた産業用制御専業メーカのマーケティングとして十年以上さまざまな業界の市場開拓に走り回った。もうやり尽くした感があって画像処理業界に転身した。あれこれやっていたら、ひょんなきっかけで米国系のコングロマリットの一事業体の日本支社からお呼びがかかった。コングロマリットもその事業体も、ビジネス(?)の世界では超のつく、世界でも最も高く評価されていた会社だった。以前、同じ業界にいたので、そこの内部事情もかなり聞き得る情報網を持っていた。巷の評価とは裏腹に、その事業体がどれほど傷んでいたのか大まかな見当はついていた。仕事を請け負ってベストを尽くしたとしても勝算がないのは分かっていた。それでも、なぜその事業体がうまく行かないのか、いったいそのコングロマリットはどのような経営思想(外面ではなく事実)を持って経営されているかを知りたかった。
その事業体の合弁相手が日本企業で、それも工作機械用の制御装置メーカだったことから、仕事を請け負えば、工作機械業界の近くに舞い戻ることになる。戻れば、昔の会社の同僚達に戻ったことを隠し通せない。必ず知れ渡る。引導を渡して、振り返ることもない過去として封印したものを解くことになる。会いたくない連中にも会うことに、最小限に留めたとしても世間話の一つも、昔話の一つもしなければならなくなるのが目に見えていた。仕事を請け負って、なにがどうなっているのかを知りたいという欲求と、忘れ去った、捨て去った世界には戻りたくない気持ちの押し引きがあった。ただ、二度とないビジネスの知識を得るために、これ以上のケース・スタディはあり得ない。折角の知り得る機会を捨てるには惜しすぎる。知りたいという欲求が自分のなかの葛藤に整理をつけた。
仕事を初めても、そっちの方には手をださずにいたのだが、会いたくない連中とまとめて会わざるを得ないときがきた。シカゴとヨーロッパの都市の持ち回りの展示会と合わせて、その業界では世界の三大展示会の一つに数えられている展示会、二年に一度の業界の展示会があった。一週間の会期の数日は会場につめなければならない。会場には日本の全ての工作機械屋が集まる。そのほとんど全てといってもいいほどの人達がこっちの出展小間に挨拶も兼ねて立ち寄る。逃げようがない。できれば会いたくなかった連中と会ってたわいのない世間話、昔話をした。
名門だった工作機械メーカは数年前に(やっと)倒産していた。流石に名門と言われていただけあって、引導を渡して、見切りをつけてから倒産に至るまで二十数年かかった。かつての同僚、同期入社は何人かのグループのような感じでまとまって同業他社や関連業界に身を寄せていた。構造的な不況産業と言われて久しい業界のなかで凋落していった会社が倒産するまでしがみついていた人達に共通した、人としてのやつれのようなものは隠せなかった。口ぶりも自分を卑下したものが多かった。
在職時には、こっちは技術屋になりそこなった、それも労働運動で会社に睨まれた厄介者。相手はそれなりに社内で、寮で幅を利かせていた同僚や同期。当時、彼らからは常に蔑みの目でみられ、彼らの人を見下した言動に辟易していた。それでも心して誇りを失わず平静な言動に努めていたのを思い出す。当時のことは二十余年経っても忘れない。しっかりオブラートに包んで心のなかにしっかりしまいこんできた。そのイヤな思い出がその後の二十年以上の歳月の切磋琢磨してゆく基礎になった。そういう意味では心から感謝している。
二十年を超える年月の間にそれぞれ人として、職業人として成長した(はず)にもかかわらず、当時と同じか、たいして変わっていないかのような、蔑む側と蔑まれる側の立場をそのままにして話そうとする寂しい人達がいた。そこには、彼らが二十代に見せた、若さに任せた、良くも悪くも単純な活気はなかった。言葉の節々に失って久しい痛ましさまでが滲みでていた。それでも、昔の上下関係のまま。。。
二十余年が生んだ違い、成長の違いを見せないよう、感じさせないように気を使いながら、相手をたてて世間話のようなたわいの話をしたが、それにすら気が付かない。いったいあの人達の二十年はなんだったのかと思うと寂しいやら情けないやら、なんとも言いがたい思いにかられた。
戦時中ならいざ知らず、三日でどうのはないだろうが、二十年以上だ。お互いに一皮も二皮の向けていて当たり前。刮目して。。。という言い草すら知らないのではないか。誰も責任を持って歳はとれないが、それでも、そこそこ歳相応にはといえる歳のとり方があるはずだし、歳はそうとらなきゃいけない。少なともその努力はしなければならない。
彼らに会えば間違いなくこうなるのが分かっていた。分かっていたから会いたくなかった。無沙汰していて機会があればお会いしたいし、また、お話をと思う方もいらっしゃるのだが。
2013/3/3