運だけじゃねぇー

思い出すたびに、なにもないことが幸いすることもあるのだなと思う。なにか特別なものがあるのではないかと散々考えたがなにもない。あるのは新興宗教の人によくある仕事のことも含めて日常生活(多分)ではかなり無口だということと、何を言っているのか分からないということだけだった。無口というとちょっと正しくないのだが、口数は少ない。少なくとも仕事の場では少ない。ただ、宗教の場では、驚くほど(フツーの人には意味のない)雄弁になる。職場では、少ないだけではなく、フツーの人には、彼が何か言い出したとしても、何を言わんとしているのか容易には理解できない。ひん曲がった頭のなかで、この件に関しては、こういうふうにひんまがった理解というか背景があるからこう言っているのだろうとうまく想像できたときにのみ、何を言わんとしているのかをそこそこ推察できる。このフツーをちょっと超えてしまった想像する、したかない練習を重ねて、やっとたまには話について行けるようになる。フツーの人にはしようのない練習なのだが、その新興宗教の信者の人達は苦労しているようには見えなかった。練習をしてきたようにも、しているようにも見えない。頭のなかのひんまがり方の共通なところがあるからに違いない思っている。
その何もない人が、宗教的な面もあってかと思うが、愚直に一つのことをしていたら当たってしまった。ちょうど飛んでくるボールも見ずに、ボールにバットを当てようなどという工夫もせずにバットを振り回していたらボールの方からバットに当たってきたような感じで、彼が人から聞いて始めたビジネスがあたった。客の業界の技術的、価格的状況、彼の製品の主要部品であるLED素子の技術進歩が彼の製品をコストとそれから得られる効果を実用的なものにした。ある産業界の歴史的一時点に偶然い合わせた。その業界のちょっとした革命のような大波に一度乗ってしまうと、逆に降りられない。客からこれが欲しい、あれが欲しい、こうならないか、ああならないか。。。という要求に追われる。赤色しかなかったLEDに多様な色(波長)のLED素子、もっと輝度の高いLED。。。。LEDの素子メーカもものすごい勢いで新製品を出してくる。その新しい製品を使って、おたおたしながら客の要望に答え続けてきたら、株式上場までいってしまった。
従業員の数も200名近くになり、販売先も米国、ヨーロッパから東南アジアや中国などに広がり、京都の一中小企業にもかかわらずその業界では世界に知られた会社になってしまった。事業がここまで成功しなければ、あそこまでの醜態を晒すこともなかったろうにと憐憫の情がないわけでもない。もともとなにもない人で、まともに相手になにかを説明できる人ではなかった。話をできる、できないという以前に、話をするためにまともに考えを整理する能力がないない。フツーの人は彼のような人を多分、簡単にバカと呼ぶのだろう。
株式上場のスケジュールがはっきりした頃から言動に違いがでてきた。株式上場といっても、元々がニッチのニッチの業界なので、いくらやっても事業規模は知れている。知れてはいるが、今や一端のアントレプレナー気取り、線を引くだけの技術屋だったのが、平成のエジソン気取りだからたまらない。彼の新興宗教の教祖さまは義経かキリストの生まれ変わりと言っているというのを聞いているので、まだかわいいものかとも思うのだが、仕事で振り回される方にしてみれば、“殿、ご乱心を、道楽もほどほどに”と怒鳴りたくもなることがしょっちゅう起きた。
基本的な能力の限界から仕事では無口、よく言えば口下手なので、議論やロジックで相手を説得出来ない。説得できないので、社内にはまともな議論の場もなければ、ロジックで話を進める習慣もない。主に新興宗教の関係者からなる茶坊主集団を社内のあちこちに作って、何を言っても最低限の相槌はしてくる、上手い下手はあっても積極的な賛同の意をおおっぴらに誇示する痴れ者が幅を利かす。まともに議論で話をしてくる者は、己の権力に楯突く奴としか思えず、話し合いや議論をする能力もないので権力で放り出す。こうして、多少でも能力のある人材は閑職に回されるか、いなくなる。個人事業に毛の生えた程度の事業なら茶坊主としての能力以外の何もない人達でもなんとかなったろうが、成功したがゆえのその規模も、ビジネスの複雑さも大きく超えてしまった。
日本だけではなく、米国市場でもヨーロッパ市場でも圧倒的な立場を築きはしたものの、その後のマネージメントにまともな人材がいなかった、いなかったというより彼よりできる人材を疎外したので、崩壊の道をたどった。無視していた競合が力をつけてきて、10年後には競合数社に大きな遅れをとった。
上場益を手にして気が大きくなったのだろう、本業とは別に個人で企業を興し、個人所有の株式を担保して得た金をドブに捨てた。タニマチ探しの研究者(大学?)に引っかかって成り立ちっこないプロジェクトにつぎ込んだ。個人では持ち切れない額の負債を背負い込んで、個人で作った会社を上場した会社に買い取らせて個人負担の一部を解消するようなことまでやったが、数年前に脳血栓かなにかで療養生活に入ったと聞いた。マインドがどうのという、多分宗教からの視点での評価なのだろうが、訳の分からないロジックで多くの人達が理不尽な扱いを受けてきた。自業自得。憐憫の情を持つ人も少ないだろう。
LED素子業界の進歩に乗せられ、画像処理業界の急成長に引っ張られ、各部署を任せられる人材にも恵まれ、なにもないのに、これほど運が良い人もちょっといないのではないかと思っていたら、なにもないはやっぱりダメで自分で自分の運を潰してしまった。運がいいだけのバカじゃ、やっぱり続かない。