一緒にされたら迷惑だ

70年代初頭に当時大手工作機械メーカの一角をしめていたメーカに就職した。工作機械は、機械を作るために機械、Mother machineと呼ばれていた。若者にありがちな稚拙で単純な発想で、金じゃない(工作機械メーカは安月給で知られていた)、機械屋に、それも機械の機械屋になりたいと思っていた。仕事に対する熱意はあったが、それ以上に社会のなかでの企業のありかたから、労働組合のありかた、一技術屋として、一社会人としてどうあるべきかの方に大きな関心があった。前面にはでなかったが、70年代の学園紛争を通過して社会にでてきた、特に東京の若い人達が似たような志向を持っていた。当時、フツーの人がこっちの話を聞けばリベラルと理解できず大雑把に左翼としか思わなかっただろう。後になって思えば、そんな学生を、それも大した学校の卒業でもないものを、よくあの前時代的な社会認識に凝り固まっていた会社が採用したものだと思う。
自宅から通勤すれば片道二時間くらいかかるので、最初から独身寮に入った。その会社には事業所が二箇所(いずれも千葉県)あって、寮はその二箇所の中間地点の陸の孤島のようなところにあった。学卒者用に新しく建てられた寮だった。そのため、先輩と言っても、三期上までしかいない、日本全国から集まってきた若い人達しかいない寮だった。同期入社のなかにも北海道から九州出身者までいた。
バブルの前だったが、それでも独身寮にいればそこそこの可処分所得があった。ローンで車を転がすのがなにより好きというものもいたし、毎晩呑んだくれているのもいた。日常的に麻雀とテニス、飲みの人達もいれば、ギターを引いてフォークがどうのという人達、月々のゴルフ、夏には海に、冬にはスキーに。当時、まだ海外旅行には手が出なかったが、みんな元気に遊んでいた。
研究所の試作設計に配属されたこともあり、会社としての主業務である日常の製造に関与する機会はなかった。日常の諸雑から切り離された状態が幸いした。工作機械についても、その主要構成要素についても、市場全体もその個々のニッチも何も知らない状態から、工作機械はどうあるべきか、開発すべき仕様を検討するための市場分析から始まる諸作業、決定のプロセスはいかにあるべきか、要素技術として何に主眼をおいた技術開発をしなければならないか。。。職場は出力する場で、その出力をするための知識やエネルギは寮の一室での孤独な作業になった。毎晩仕事に直接関係した本や資料を、また社会はどうあるべきかとい素朴な疑問にヒントを与えてくれるのではないかという本、経済学から社会学、思想や歴史の本を毎晩読んでいた。
同期からも先輩からも最初はあれこれ誘われた。人並みに色々してみたい気持ちはあったが、精神的にその余裕がなかった。地方出身の同期や先輩、地元出身の人達とも興味というか社会を見る、その見えた景色から自分の現在の位置を探しだす、将来の位置を考えるといった思考方法にあまりに大きな埋めがたいギャップがあった。思考を深めてゆく基礎知識を得るために、どうしても本を読まなければならなかった。平日の夜と休日の自分の、一人になって本を読んで、考えるための時間が貴重になっていった。
御用組合は、先代の委員長で、会社の後押しと資金援助で国会議員になった社会党右派の政治家の強い影響下にあった。労働組合の委員長以下の役員連中とは沖縄復帰の問題で言い合ってからは埋め難い溝ができた。多少近くにいた同期や先輩連中とも、遊びでなにかを一緒にしようという気にもなれないし、その時間もなかった。分からないから本を読んで考える。考えて、読んだ本の延長線か、その支線、あるいは全く違う方向から似たような問題を論点としている本を読む。読んでは考え、分からないから、説明つかないから、知らなければ次のステップに行けないからと、また本を読む。この繰り返しが終わらない。
ある時、酒の席だったと記憶しているが、当時、国内営業の(学閥の乗って将来を嘱望された)係長だった人から、よくある質問をされた、「お前、酒も飲めないし、麻雀もしない、パチンコもしない、ゴルフも、テニスも、スキーもしない、車を転がすわけでもない。野球をやってるわけでもないし、サッカーもないだろう、お前、一体なにやってんだ?土日とか寮でなにやってんだ?」 これ以上余計なお世話もないだろう。「あんたの精神生活、社会認識では想像もつかないことだろうけど、毎晩、毎週末、結構忙しく読書と思考と。。。なんですよ、。。。」と言う気もなれない。「まあ、これでも結構忙しいんですよ。」とくらいしか言いようがない。まともに話をしても分かる相手ではない。社会人として、一個人として、己が所属している社会がどうあるべきかと考える、一社会人としての責任を感じながら生ていゆくという当たり前のことを考えることなく過ごしている人達には、こっちの日常生活のありようが想像できない。
歳もとってそれなりに公私ともの知り合いと飲みに行くことも増えた。多くの知り合いがもう分かっているので、今更ゴルフに誘うこともなくなった。それでも、知り合って間もない人から、ゴルフをやらないのか、一緒に行きましょうよという話がでることがある。昔と同じようにその類のことは何もしないんですよと答えるまでで、それ以上の話をする気はない。中にはそれでも、何度も同じ呼びかけをしてくるのがいる。あたかも全ての人が、自分と似たような嗜好、行動形態を持っているとしか考えれない程度の知的レベルのがいる。煩いって言ってしまいたいのだが、おバカには何を言っても通じない。遊びしにしか興味のない人達にこっちの精神生活について、ああだの、こうだの言われる筋合いはない。ああだの、こうだのと言ってくるだけのものがあるのなら、いつでもお相手しますよ。ただし、地球の周りを太陽が回っているというような馬鹿馬鹿しい話だけはご遠慮させて頂きたい。時間の無駄以外のなにものでもないだろうから。一言、“あんたらと一緒にされたら迷惑だ”。