とりあえず

ほかにも色々あるが、“とりあえず”だけは仕事の場では使いたくないし、使われたくない言葉だ。本来の意味は真っ当だったのが、いつの間にやらいい加減な、だらしのない意味を含むようになってしまって、今や、本来の意味で使ったとしても、聞いた方はだらしのないこととしかとらないことの方が多くなってしまった。
“とりあえず”は、もともとは、即、最優先の意味だった。やらなければならないことが色々がるが、そのなかでもこれは大事、最優先で即実行するというときに“とりあえず”これをやろうというように使った言葉だった。今では、居酒屋での最初の注文の“とりあえず生中2つ”のような使われ方が一般的になってしまった。それでも、次のような場合、“とりあえず”と聞いた方は、本来の意味で捉えてくれる可能性が残っている。残ってはいるが、その両義的な危険を分かって“とりあえず”を使える人もそう多くはないだろう。技術的にかなり難しい製品を開発してきた会社が、やっと製品化できた。それで懇意にしてきた顧客に行って、「“以前からお話ししていた製品がやっとできました。”とりあえず“御社にご覧頂こうと思い持参しました。」と言ったら、聞いた方がまともな見識のある人なら、そうか、うちに一番先に報告に来てくれた。。。と思うだろう。これは、”とりあえず“の本来の意味が生きている珍しいケースだと思う。
転職して、カントリーマネージャー(日本支社のトップ)に合弁相手の日本企業に挨拶に連れてゆかれた。そこで合弁会社の経営陣に紹介された。カントリーマネージャーの紹介に呆れた。「“とりあえず”営業部長をしてもらってます。」ここでの“とりあえず”は、生中2つの“とりあえず”だ。散々懇願されて行った会社だ、せめて、「営業部長として頑張ってもらってます。」くらいのことは言えよ。カントリーマネージャ、出世欲とそれを支える熱意だけはあった人だった。人間的には悪い人ではなかったが、欲が勝ちすぎた。偉くなりたいという“なりたい”はあっても、“なって、なにをする”がない。なっての前に、来週、来月、三ヶ月後、来年、市場の、自社の何をどう判断して、何を求めて何をするという知的生活を送るための基本のない人だった。半年もしないうちに予想だにしなかったことが起きた。カントリーマネージャーがプッツンして辞めてしまった。“とりあえず”が“とりあえず”のカントリーマネージャーにならざるを得ない羽目になった。
辞めたカントリーマネージャーは日本の難関校と言われる大学を卒業して、米国の大学に留学してMBAの肩書きを持った優秀な人材だった。その優秀な人が悲しいかな何をどう見て、何をどうするかの基礎がない。あるのは“…になりたい”と“とりあえず”の効果があるなしに関係のない意思決定。基本がないので、先の意思決定と今回の意思決定の間に二律背反が起きる。あまりの無知に二律背反が起きても、起きていることにすら気が付かない。そこでは彼の上司もそのまた上司も同じ人種だった。客で大騒ぎの問題が起きているにもかかわらず、しばし“とりあえず”すら出てこない。対策を決めかねてのことだが、何もしないで放って置くというか、時間だけが経過することがよくあった。
物事に真正面から取り組むことを避ける。真正面から取り組めば上部組織や関係組織との言い合いになりかねない。事なかれ主義というのか、大きな民僚組織のなかでは、どのような問題であれ、真っ正直に問題解決に取り組むのではなく、うまくすり抜ける才覚が求められる。その結果、日常的に効果があるのかないのか分からない、時には効果がないどころか、逆効果しかあり得ない“とりあえず”の施策が繰り返される。まるで思いつきのように整合性のない施策を決めて、実務部隊に命令する。そんなことをしたら、実務部隊の疲弊がつのるだけじゃないかという心配はいらない。施策の有効性云々ではなく、各人が勝手に自分の負荷を調整してサボタージュする。長くて三年くらいしか在籍しないマネージメントと違って何年も実業務に携わってきた、良くも悪くも擦れた人達で、何を言われてもやりたいことと、やれることまでしかやらない。適当にあしらっておけば、どこかの国の大臣のようにそのうちいなくなることを経験的に知っている。“とりあえず”のマネージメント、経営、人事、社長 。。。“とりあえず”の組織が“とりあえず”の目先の金だけで動きまわる。その会社、金融筋から見れば世界的な超優良企業、賞賛すべき例としてケーススタディには随分使われているが、使っている先生方もそれを聞いている学生も、戦場を知らない。社会に出ても抽象化された金までしか見えない所に留まって実の戦場を知ることもない。そこからまた“とりあえず”が始まる。
実を知ることなく、知ったかのような格好をつけて“とりあえず“の施策の連続、そこには何時まで経っても根本的な改善とは言わないまでも、ただの変化でいいのだが、その変化すらない。泥縄式の”とりあえず“でお茶を濁して、うまく逃げる。外資でこの”とりあえず“にうんざりしてきたが、ちょっと後ろに引いてみたら、この生中2つの”とりあえず“、日本のお役所から硬直した大手民間企業で毎日起きていることのような気がしてきた。
どのみち簡単に首のすげ替えのきく首相や大臣、知事に。。。社長や役員だ。人材難もここまできたかと寂しくなるが、“とりあえず”xxxしてもらってますとでも言うしかないのかな。