皮層から根源へ

毎日なんらかのかたちで社会問題や経済問題から財政問題。。。世界レベルの問題から始まって一地域の一握りの方々にしか直接関係しない“問題”を耳にする。聞けば聞くほど、世の中問題だらけで、この先どうするんだろうと素朴な不安にかられることがある。多くの立派な人達が、様々な問題を指摘してそれぞれ対策とでもいうものを提案してもいる。ただの掛け声に過ぎないもあれば、どう考えても実施しようのない、ダラ話のようなのが多い。どうも聞いていると、問題を指摘し、対策を云々言っている立派な方々は、対策が実施されようが、されまいが、うまくジャーナリズムに乗って、ああだのこうだのと言うことによって碌を食んでいるだけじゃないかと思えてくることがある(失礼)。そのような人達のなかで多少でもフツーの神経を持っている人がいたら、もし、主張していた対策が実際に講じられるようなことになったら、本当に効果があるのかが心配になってというより、多分ありっこないのが分かっているので逃げ出したくなるんじゃないかと、いらぬ心配までしてしまう。
そのような人達を何と呼ぶのか知らない。中には、少なくとも肩書きは(一応)ちゃんとしていて、どこかの大学の教授だったりする人もいる。何かの専門知識をかわれて(?)、マスコミにでてきてしまったのか、ご自身から売り込んだのかは知る由もない。ただ。おっしゃることを聞いている限りでは、ほとんど“うん、うん、起きていることはおっしゃる通り、それで?”というレベルまででその前も先もない話、お笑いタレントより多少はまともという程度の話に終始している。
市井のフツーの人がフツーに日常生活を送っていれば、嫌でも気づく、目の前の起きている現象−社会問題と言って取り上げら得る現象に言及するのはいいが、その現象を引き起こしている原因、その原因を原因たらしめている、しばし一筋縄では行かない社会構造や経緯などに真に掘り進むもうとはしない。真っ当に問題の原因、そのまた原因まで突き詰めようとすれば、仮にその能力があったとして並大抵の作業では終わらない。また、突き詰めたことを市井の人にオープンに説明しようとすれば、いくつかの別の種類の問題に遭遇する。問題の根源をオープンにすると、しばしばご自身や関係者、社会の利権構造に巣を食っている人達の社会的、経済的立場を毀損しかねない。その上、話を聞く側−市井の人達が目に見える現象までしか理解する能力をもたず、現象を引き起こしている原因の原因、根源的な原因まで理解するのに必要な知識を持ち合わせていないし、そもそも理解しなければという意思がないことに気づく。
テレビでも新聞でも他のマスコミでも、(極端に言えば、なんでもそうなのだが)、碌を食んでゆくには、市井の人達の身近な、人ごとでなく自分たちに直接関係する(卑近−失礼)な問題を、誰でもが思うような−違和感のない解説にとどめ、提案も、対策も市井の人達の視線というか世界とでもいう範疇のものに収めなければならない。さらに、全ての発言がスポンサーや行政。。。利害関係者の既得権益を危険に晒すようなことのない範囲に止めることも処世術として必須だろう。
ところが、そんな小利口な人達のダラ話に興じて、長年に渡って問題を真正面から捉えることを避け、目先の欲に終始して、ごまかしてきたのがいよいよ行き詰ってきた。まだ、多少の時間は残されているようにみえるが、問題を根本的に解決するのにかかる時間を考えれば、そんな時間はないに等しい。日本が日本で対処し解決できるはずの問題でですら、問題の根源にまで言及することを避け、問題を先送りしてきた。現代日本の歴史は何かと聞かれたら、問題先送りの歴史と言っても言い過ぎじゃないだろう。自分の頭のハエも追いかけられない社会とその構成員にグローバル化した、日本が日本で、日本だけでは対処しきれないどころか世界中でどう対処すべきか具体案のない問題がつきつけられている。
つきつけられている多くの問題の一つに国際金融問題がある。リーマンショックに始まる国際金融問題は、それ自体でどうしていいのか分からない規模の問題だが、それ自体は現象として現れた問題の一つに過ぎない。日本が日本で対処できるようなものでないのははっきりしている。世界の中での問題解決に沿った、少なくとも世界の中での解決のありようを分かった上でしか日本の日本での対策はあり得ない。特別な努力をしなくても日常的に見える問題、日本の問題にしか見えない問題も、実は多くが世界の問題解決の一環としての方策しか実効がない。根本原因にまで遡っての対策と整合性のない対策は対策足り得ない。
国際金融問題は基軸通貨としてのドルの垂れ流しに端を発している。国際貿易の決済を円滑に保つためには、ドルが米国以外の国々で保有されなければならない。この保有されなけばならないドルの量は国際貿易の増加に対応するかたちでしかないはずなのが、ベトナム戦争からオイルショックを機に垂れ流しの箍(たが)が外れた。世界貿易機関(WTO)の推計によれば、毎日の国際貿易総額が三百億ドル程度、為替売買の総額が三兆ドル。貿易総額の中にはユーロ圏やドル圏でのものも含まれているので、実業に関係なく利益を求めて動きまわるドルが実業の百倍以上ある。ちなみに日本の国家予算(年)は確か一兆ドルくらい。 (一日と一年の違いにご注意を。) その時々の利益を求めて動きまわる、このとんでもない額の資金をどう制御するのかの答えがどこにもない。答えがどこにもない方が都合のいい、根本的な問題解決に向けた話を潰したい国際金融機関、その手先の学者もいれば政治家もいる。ついこの間もその手が立派な大統領候補だった。
日本の景気対策や失業対策、地域新興政策も含めて多くのことを世界の大きな流れの中の一要素として見る視点をもたなければならい。世界の最も基礎となっている基盤が大きくズレ動いている、軋み合っているのを知らずに、あるいは無視して、日本の日本という美辞麗句のようなものを振りかざして目の前の症状に右往左往しても時間とリソースの無駄にしかならない(もっともそれで禄を食んでいる輩も多いのだろうが)。これは、ちょうど、内臓疾患がもとで一見単純な皮膚病のような症状を示しているのに騙されて、藪医者が内蔵疾患に気が付かずに皮膚病として治療しているようなものだろう。
目の前に見えるものはただの症状で、その症状を引き起こしている原因を解決しなければ何も解決しない。もう、そろそろ藪医者にかかるのも、誰にでも見えることまでしか理解し得ない、頭の近視の先生方を当てにするのも終わりにして、一歩でも根本問題の解決に向けて歩き出すしかない。一人前の料理人を育てるのは舌の肥えた客だが、一端の先生方を育てるのは市井の人達だ。先生方がだらしがないってのは、市井の人達がだらしがないっていうことに他ならない。