分かっちゃいるけどやめれねぇ(改版1)

二十代の中頃ニューヨークに左遷されて、半地下の日本的にいえば四畳半のような狭い部屋に住んでいた。独り暮らしで出張も多かったから、べーコンや卵を焼いたりすることはあっても、料理という料理なんか考えたこともなかった。それでも週末には決まってフラッシングの日本食料品店に出かけていった。
部屋で本を読んでいて疲れた時に煎餅や菓子がないと口寂しい。アメリアの菓子で済まそうと思ったが、甘すぎたりミントが強かったりで、どうにも口に合わない。煎餅と菓子を三、四袋スーパーのカゴに立てていれても、数歩の歩けば横に倒れてカゴの底に転がってしまう。なんどが立ててはみるが、カゴがちょっと傾いたとたんに転がってしまう。遠目には空に見えるかもしれないカゴを片手に、家族で驚くほどの買い出しに来ている人たちの列にならぶのが恥ずかしい。

五、六人も待ってやっとレジの前につくと、そこには美味しそうな大福がこれ見よがしに置いてあった。発泡スチロールのトレーの上に五個ならべてラップできれにカバーされていた。スカスカのカゴが恥ずかしいというのもあったし、たったこれだけのためにという言い訳ともつかない理由もつけて、それでも手を出すのが恥ずかしい大福をさっと取ってカゴに入れた。後ろ夫婦の目が気になる。いい年してお菓子と大福かよと、わらわれていようなバツの悪さがあった。大福なんかみっともないからよした方がという気もちと、なんとしても食べたいという気もちが押し合っても、一瞬にして大福の威力に押し切られてしまう。

買った大福、聞き分けのない子供でもあるまいしと思っても、下宿にまで待てない。左手をハンドルにして、右手で大福を口に、足元を粉だらけにしながら食べてしまう。大福のパックを紙袋から取り出すとき、一瞬は躊躇する。家に着くまで待てないのは躾けのなってないガキと同じじゃないか。十分十五分で下宿につくんだから、と抑えようとしても前に食べた大福の至福の味を思い出して負けてしまう。こんなことが急な病気で帰国するまで三年間も続いていた。

年もいって四十半ば、もう中堅社員の立場になっていた。ところが、つい食べてたくなってしまって、抑えるのが難しいという柔い精神構造は一向に変わらなかった。パンと紅茶で軽い朝食をとってくるが、歩きもいれれば事務所につくまで小一時間かかる。地下鉄の駅をあがって表にでると、抗しがたい誘惑が目にはいる。転職しても事務所が引っ越ししても、チェーンの立ち蕎麦や地場の立ち蕎麦屋がいい匂いを漂わせていた。腹が空いているわけでもないのに、一度味をしめてしまうと、蟻地獄に落ちたようなもので、ついつい入ってしまう。転職して事務所の周りに立ち蕎麦屋がなくなったときは、寂しい思いとやっと逃れられたという思いが交錯して、つい近間に立ち蕎麦屋はないかと探してしまった。

隔週で六時発ののぞみで新大阪まででかけていたとき、新大阪駅の地下で朝食カレーを食べてから大阪支店に歩いていっていた。ある日、いつものようにエスカレータでホームにあがって何気なくキオスクをみたら、小さな冷蔵庫に明治乳業のコーヒー牛乳が目に入った。ちょっと小ぶりで乳白色のプラスチック容器に入った一五〇ミリリットル。砂糖もたっぷり入っていて、目覚ましにはもってこいもものだった。
目にしたまでで、いつものように歩いて行ってしまえば、ホームの立ち蕎麦屋に寄ってになるのに、つい冷蔵庫のまえで止まってしまった。ほっと上を見れば、美味くはないが不味くもないケチなつくりのミックスサンドが、「私も一緒にどうおって」流し目でもしているようにみえた。右手にコーヒー牛乳を握って、左手にミックスサンドをもって、レジの列にならんだ。

出張にいくオヤジさんが缶コーヒーとスポーツ新聞を買っていた。レジの女性、忙しいのに慣れているのだろう、動きに無駄がない。
オヤジさんがどうぞという感じで横にずれてくれた。小さな旅行カバンのハンドルを左腕に通して両手がふさがっている。コーヒー牛乳を左の脇で抑えて、左手のサンドイッチを右手でとってレジの台に乗せた。右手で脇の下のコーヒー牛乳を掴んでレジの台にのせて、
「サンドイッチとコーヒー牛乳」と言ったら、
よく通る声で、
「ああ、ミックスサンド一つにカフェラテ一つですね」
カフェラテ?なんでカフェラテに力をいれて言うんかね。
昔ながらのコーヒー牛乳でそんな気の利いたものじゃないんじゃないと、あっけにとられた。
丁度いい大きさのスーパーバッグに入れて、渡してくれるときに、また
「はい、ミックスサンドとカフェラテ」
カフェラテの声が大きい。
カフェラテと言われると一五〇円のコーヒー牛乳がもうちょっと高級なもののような気がした。でも席にすわって一口すすったら、それは昔ながらの安っぽい懐かしいコーヒー牛乳だった。

翌々週の全く同じ時間のミックスサンドとコーヒー牛乳を二週間前と同じようにレジ台において、言った。
「サンドイッチとカフェオレ一つ」
眠気なんかどこにもない、軽い元気な声で、
「はい、ミックスサンドとコーヒー牛乳ですね」

おいおい、先々週コーヒー牛乳っていったらカフェラテっていってきたよな。ちょっと遊びで、カフェオレっていったら、今朝はコーヒー牛乳かよ。まさか誰にでもこのささやかな遊びをしかけているわけじゃないだろう。カフェラテとカフェオレにコーヒー牛乳、人によっては違うものだと、本物は違うにしても、思って戸惑うこともあるだろう。
若さにまかせた遊びはオジさんには眩しすぎた。これから新幹線でひと眠りというまだ六時前。

p.s.
<カレーパン>
小学校に併設されていたような感じだから、幼稚園というより保育園だったと思う。運動会が季節外れの寒さだった。家に帰ってトイレにいったらチョコレートのような小便がでた。びっくりして祖母に言った。そこからひと騒ぎになった。原因は分からないが急性腎盂腎炎だった。それから一年近く、六畳一間のアパートで寝たきりだった。うすーい米のとぎ汁のようなおかゆに、ちょっと良くなってきたら、醤油を数滴たらしてくれた。当時中華と呼んでいた夜泣きそばのようなラーメンがご馳走で育ったこともあってだろうが、寝ても覚めてもカレーパンが食べたくてしかたがなかった。

当時の思いが残っているのか、スーパーの総菜売り場でカレーパンを見るとつい一つカゴに入れたくなる。なんどか食べて、美味しいと思ったことは一度もない。こんなものをどうして、あんなに食べたいと思ったのかと思いながら、食べてがっかりするカレーパンについ手がでてしまう。そして、思っていた以上のがっかりに、まるで寝込んでいたときからの自分にがっかりするような気になることがある。もうカレーパンは止そうと思って、数か月もするとつい手がでてしまう。
ある日、一口喰ってマズイと思った瞬間、植木等の「スーダラ節」の一節、「…わかっちゃいるけどやめれねぇ」が口をついてでてきた。
2021/7/20