木下都議、へんに国際人のような(改版)

都議会議員選挙が終わったとたん、木下都議の不始末を伝えるニュースが目につきはじめた。何があるわけでもないのにと思いながら、ついいくつか読んでしまった。どれも直に庶民感情に訴えるもので、日本らしさに誇りに近いものを感じるが、それ以上に背中合わせの危うさのほうが気になってしょうがない。

十一月二十二日、ついにと言っていいのか、木下都議が辞表を出した。ご本人や関係者でなければ知り得ないことも多いだろうが、マスコミが伝えるとことから想像すると、とても本意からとは思えない。代理人が説明したように、木下都議は法律によって身分が保障されている。リコールするにも一年待たなければならない。それが法律であって、有権者が何を思おうが、マスコミが何を伝えようが、都議会が辞職勧告を何度したところで、誰にも木下都議を罷免する権限がない。

マスコミの論調を列記すれば概ね下記になる。
「無免許運転常習」「免許停止中に当て逃げ」「都議会の辞職勧告決議を無視」「都議会正副議長名の三度にわたる召喚に応じない」「都議会に出席せず雲隠れ」「自身の主張が先にたって、反省の色がみえない」「都民からも辞職すべきと言われている」

どれもふつうの人たちのふつうの庶民感情を代弁したもので、その通りだと思う。ところが法律が常に庶民感情を反映しているわけではない。法律の専門家でもなし、マスコミが伝えてきたことしか知らないが、状況を素直に整理してゆけば次のようになる。
無免許運転常習も当て逃げも法で罰せればいいだけで、道義的責任を問われたところで法律上は辞職しなければならない理由にはならない。こう言ってはなんだが、利権を握って私服を肥やしている与党の政治家より木下議員のほうが害が少ない。直接間接に人様の税金や利権を操って、一部の社会層や組織の利益を優先して庶民の生活を貧しくしている先生方よりはマシだろう。期待するだけ無駄だとは思うが、可能性としては否定し得ないんじゃないかと思っている。

何人もの著名人からも「まともな説明もしないで、自分の都合ばかりを主張している」という非難の声を聞いて、和を重んじる国民感情はいいけれど、ちょっと心配になる。マスコミが伝えてきた木下議員の姿勢は、仕事でさんざんやり合ってきたアメリカ人の思考と驚くほど重なり合っている。自ら(自社)の過誤から起きた具合の悪いことが露顕したときのアメリカ人の言動は木下議員がしてきたこととよく似ている。零細企業で社会的責任が限られているからといことではない。アメリカを代表すると言っても過言ではない大企業でも、世界をまたにかけた巨大コングロマリットでも何もかわらない。あの人たちの言動をまとめると下記になる。

非を認めれば、公に損害賠償の根拠を認めることになるから、平気でウソをついて、あらぬ方向に視線をずらすことに腐心する。法律の解釈の違いだと主張して自分(たち)の非は認めない。その典型がトランプ前大統領で毎日朝から晩までウソをつき続けて、今もしている。知っている限りだが、アメリカ人は絶対に「I am sorry」とは言わない。なぜ謝らないのかと訊いたら、「お前は何をいっている、馬鹿か」と言い返される。アメリカの文化では、非を認めて謝ったら、責任を取りますと明言することになる。彼らが口にするのは、せいぜい「車がぶつかったので、自分が車をぶつけたわけじゃない」「事故が起きたので、自分がその原因を引き起こしたわけじゃない」あたりまでになる。

都合の悪いことは、組織を上げて「ほおかむり」「人の噂も七十五日」と決め込んで、何を言ってこられても無視し続ける。
相手は費用と労をいとわずに提訴してくるはずはないと高を括る。
敗訴する可能性が大きすぎるか、市場の評判が大きく傷がつく心配でもなければ、資力にものを言わせて時間稼ぎに終始して、最悪でも根切りに値切って示談に持ち込む。

十年ほど前のことだが、お世話になっていた四十万人からの従業員を抱えたアメリカのコングロマリットでは、従業員全員に「この三ヵ月の間に社にとって何か悪い噂を聞いたことがないか」と調査していた。なぜそんな調査をしなければならないのかと考えれば、遵法ギリギリかその先に一歩を踏み出している可能性が高いからとしか思えない。
一度、「頻繁なソフトウェアのアップデートで、サポート期限が何年もしないうちに切れること対してユーザから不満の声が上がっている」と報告したら、ちょっとした騒ぎになった。勘違いから報告してしまったことだと書き直された。サポートは当時(多分今も)二バージョン前までしか提供しないから、毎年マイナーアップデートすれば、購入後三年目にはサポート期間が切れる。その後もサポートが欲しいなら、年間サポート契約を結んで金を払えということだった。ビールの製造設備や火力発電所などで使用するソフトウェアで一度導入したら、十年やそこらで更新は考えられない製品だった。

二十代の中頃から還暦すぎまでアメリカ人と付き合ってきた。ときにはヨーロッパの会社や中国の会社とやりあうこともあったが、誰も彼もがアメリカ人とよく似ていた。誰も非を認めない。言い訳どころか、そんな理屈が通ると、まさか本気で考えてんじゃないだろうなという馬鹿げた屁理屈を並べだす。問題となっていることとは、どう考えても関係のないことをもち出して、非は自分ではなくどこか、誰かにあると主張し続ける。大方の日本人は、その執着の強さに呆れて疲れて、時間と労力の無駄にしかならないと責任の追及を諦める。これを日本人の美徳だなんて言われるのも嫌だし、そもそもそんなものはある種の精神的奇形でしかないだろう。理に基づいて正しいことは、主張すべきことは主張しなければならない。手間もかかるし時間もかかるが、そうでもしないことには、正しいことが間違っている、そして間違っていることが正しいこととして大手を振ってまかり通る?倒した常識のもとで生きていくしかなくなってしまう。

木下議員の態度を勝手な言い分と非難している著名人たち、日本から一歩出て、切った張ったのビジネスの世界(政治の世界と言いなおしてもいい)の、ときには騙し合いに近い押し合い圧し合いを知らずに来ているのか、あるいは忘れてしまたんじゃないか?そんなことで、あきれ果てるほどしたたかな経営者やトランプやプーチンなどの有象無象の権力者とやりあっていけるとは到底思えない。あえて言うまでもないことだが、日本の国民感情は日本のもので、世界では遵法しかよりどころがないことご存知だろう。
こんなことをいいだせば、すべてがひっくり返ってしまうのだが、その遵法にしたところで法律なんてのは、時の権力者や権力組織が作ったものでしかない。ただそれ以外になにがあるのか?あったところで、強制力があるとも思えない。
2021/11/26