引きずる自分に呆れる自分(改版)

町屋で生まれて、共同炊事場に共同トレイの木造二階建てのアパートで祖父母に育てられた。アパートの周りは似たような人たちの二階建てと零細町工場が入りくんでいた。祖母が熱心な創価学会員で、孫を一人置いてというわけにもいかなかったのだろう、よく座談会に連れていかれた。そこは誰もかれもがなんだかんだで知り合いの小さな町内会のようなところだった。それを人情味があるだのこうだのという話を聞くと、そんなもんなのかなと思いはするが、根柢にあるのは貧しさでしかなかったような気がしてならない。

小学校二年になるちょっと前に養父に引き取られて田無に引っ越した。養父は軍医として戦後蒋介石の軍閥を経て人民解放軍に徴用されて、華北から華中へそして上海にまで従軍した人で、中国の共産主義のなんたるかを中央政府の腐敗から一般大衆の長いものには巻かれろといういやらしまで見てきた人だった。日本軍とソ連軍に国共軍で経験したことを、ときたま思いだしたのかのように聞かされた。華国鋒が首席になったというテレビのニュースをみて、「おかしい、あいつとはよく一緒に飯を食ったが、そんな大物じゃない」とボソッといったのを覚えている。
死と向かい合わせのなかで右も左も、上も下もみてきたからだろう、満州で死んだはずだったのが……、おまけの人生だといいながら三遊亭のまま七十四歳で他界した。医者の不養生を絵に描いたような人だった。

「三つ子の魂百まで」でいけば、よくて工業高校でも出て下町の職工か、職工崩れ。ぼんやりした保守からもうちょっと右にいったところだったろう。そこに養父の社会観から大きな影響を受けて、十代の後半にはかなり左によった左翼の理屈がのった。自分ではただリベラルでいたいと思っているが、下町の町内会の心情とできるだけ格差の少ない社会をと思う気持ちが混ざり合って、なにかのときに軋みだす。

双子の娘が幼稚園でお遊戯をしないと女房が呼び出されたことがある。年少から年長までニクラスずつあって、二人は違うクラスにいるのに、二人ともお遊戯の時間になると、教室の隅にいって一人遊びをしていたらしい。女房から話を聞いて、育て方の問題でもなければ、幼稚園が合わないということでもない、間違いないオレの遺伝だと思った。
人前で歌を唄うなんて冗談じゃない。自分を否定することになる。やだっていってるのに、接待で営業に連れられていった先のクラブで、馬鹿な客に一曲唄えとごり押しされたことがある。「一曲唄わなきゃ注文ださない」と言われて、営業に泣きつかれた。ふざけるなと蹴とばそうとしたが、店に迷惑をかけるわけにもいかない。しょうがないから下らない歌を一回だけ唄った。もう二十年以上前のことだが忘れちゃいない。馬鹿な客は年もいってたら、とっくにあの世だろう。あと何年かして、もしあの世でで会うようなことがあったら、糞オヤジただじゃおかない。挨拶代わりにバットでぶん殴ってやるつもりでいる。

そこまで唄うなんてことはと思っているのに、どういうわけかたまに頭の中で歌を反芻していることがある。反芻していることに気がついて、なんだお前という気持ちがある一方で、そうなんだよな、お前ということを確認することになる。ただ反芻してしまっただけなのに、下町の町内会と戦場をくぐり抜けてきた養父の影響のバランスが町内会に傾いたような気がして、いやになる。

比べるなんて恐れ多くてできないが、町内会と養父から引き継いだものに堀田善衛の「リンゴの歌」に近いものを感じる。
堀田善衛が『めぐりあいし人びと』のなかで、「リンゴの歌」を聞いて日本に絶望したと書いている。ちょっと長いが、主要部を書き写しておく。

「ようやく佐世保に着いたのですが、船内で伝染病が発生したというので、一週間ほど沖で足どめとなってしまいました。あまりに退屈なものだから、船底に引揚者たちを全員集め、その中央にミカン箱を一つ置いて、日に一度は船に様子を見に来ていた警官を呼んできて、「日本で今いちばん流行っている歌をうたえ」といったんです。するとその警官は、ミカン箱の上に乗って、『赤いリンゴ……』とうたい出した。それを聞いて、私は心底ショックを受けてしまいました。 私は、まがりなりも中国での内戦をくぐってきて、祖国を回復するために革命――革命といっても、共産党による政治革命ではなく、しいていえば文化大革命的なものを構想していたんですが――を起こさなければいけない、そんな気持ちでいたものですから、あの敗戦ショックの只中で、ろくに食べるものもないのに、こんなに優しくて抒情的な歌が流行っているというのは、なんたる国民なのかと、呆れてしまったんです」

なんたる国民なのかといわれる下町の町内会の文化を根っ子のところで引きずったまま、「君が代」を聞けば、条件反射なんだろう、凛とした気持ちなってしまう自分がいる。その自分の上になんたる国民かと呆れる、軍隊行進曲のような国歌は御免だが、せめて「君が代」の題と歌詞だけでも変えてもらえないかと思っている自分がどんとのっている。
引きずっている自分と呆れる自分をどうしたものかとイヤになってこんなことを書いている自分もいる。なんの才もなければ、これといった知識や能力なんかありゃしないのに、自分は何なんだって気にするだけの、これっぱかしでしかないにしても考える自分が面倒くさい。

p.s.
<なぜ反芻してしまうのか>
なんで好きでもない歌を頭の中で反芻することがあるのかと考えると、その歌に曝された時間でしかないような気がする。
「がんばろう」と「インターナショナル」は、労組の集まりのたびに一緒に歌わされたことから、「ひょっこりひょうたん島」は中学の頃に毎日のように視ていたから、そして童謡は育児の過程で染みついてしまったということだと思う。 ただ、それだけのことで、歌おうとは思うことはない。
2021/12/2