翻訳したことのない翻訳屋(改版)

米原万里というロシア語―日本語の同時通訳者がいることを知って、『言葉を育てる』を拝読した。米原が対談という形をとりながら、同時通訳の舞台裏をあけすけに語っていた。同時通訳という魔術のようなことが、どうしてできるのかという対談者の質問に対して、当たり前のように「言葉ではなく意味を、情報を伝えるということに徹すればできるのよ」と答えていた。
「情報伝達に徹すれば……」に救われる思いがあるが、ことはそうかんたんじゃないんだという気持ちのほうが強い。通訳ならそれで通るが、翻訳はそう言い切れない事情があることを分かっていてのご発言と信じている。

音として得た情報を伝えることで事が済むと吹っ切れるのは同時通訳の世界で、技術翻訳の世界では不幸にして目から入ってくる情報があまりに不完全で、情報の精査どころか欠けている情報をどこかから持ち込まないと、伝えなければならない情報を提供できない。たかが三年半だが、三十半ばまで技術書類の翻訳者として禄を食んでいた。翻訳者なのに、どうしても翻訳できなかった。忸怩たる思いがある一方で、しなかったことを誇りに思っている。翻訳者が翻訳しないで?と思われる方が多いだろうが、多少なりとも技術翻訳の現場をご存知なら想像がつくと思う。翻訳できずに、日本語の原文をヒントに英語で技術書を書き上げていた。そして、しばし普通の翻訳者が請求する字面翻訳の何倍かの料金を請求していた。

通訳と翻訳の違い、そして翻訳者が何をしなければならないのかに入る前に、通訳の二種類の違いに簡単にふれておく。ご存知のような通訳には同時通訳と逐次通訳がある。同時通訳者の大手派遣会社の養成校に三年近く通っただけで、通訳をメシの種にしたことはないから、巷の素人でしかないが、通訳とはなにかについて大きな誤解をしているとは思わない。

通訳は、耳から入った情報を頭の短期メモリーに放りこんで、持っている知識との整合性を極端な言い方をすれば、パブロフの条件反射のように一瞬のうちに確認しなければならない。蓄えておける情報量も時間も限られている。
人によって意見が異なるかもしれないが、同時通訳と逐次通訳のどっちが難しいか、あるいは神経を使うと訊かれれば、逐次通訳だと思う。同時通訳では聞いたことを次から次へと、途切れることなく別の言語に置き換えた情報として口から吐き出さなければならない。耳から入った情報を吟味している時間的余裕がほとんどないこともあって、同時通訳の精度にはある程度の妥協がつきまとう。

同時通訳が使うメモリーの容量は逐次通訳のものよりはるかに小さい。それはメモリーというより、シフトレジスターに近い。シフトレジスターと言われてもなんのことやら見当のつかない人も多いだろう。それは小さな小部屋のようなメモリーが横一列に並んでいるハモニカのようなものをイメージすればいい。耳から入った情報が一番左の小部屋に入って、次には入ってくる情報によって一つ右の小部屋に押し出させれる。そしてつぎからつぎへと右に押し出されていく過程で翻訳されて、口からでてゆく。入ってくるなりどんどん口から押し出さないと、流れ込んでくる情報を処理しきれない。聞いたことがもしかしたら間違っているかもしれないなどと考えている余裕がない。ときには訛りの強い英語で否定詞(例えばcan’tのt)を聞き逃すこともある。話者の速度についていく必要から極度に張り詰めた緊張が続いて、通訳を終えたときには、聞いたことそして話したことを覚えていないということさえ起きる。
逐次通訳では容量の大きな、と言ってもしれているが、メモリーを精度よく活用して、聞いたことを咀嚼する時間的余裕がある。話者の話をいったん中断してでも、間違いの少ない通訳が必要なときに逐次通訳が使われる。

通訳と翻訳の最大の違いは、受け取った情報の編集作業にある。通訳は瞬時に消えていく音の時間の流れに逆行できない。翻訳では受け取る情報が時間の経過によって消えない。ここから情報を正確に伝えんがために語や句の逆行どころか、章を跨いだ編集や不足している情報を補うことまでせざるをえないことがある。言語の置き換えということでは同じだが、できることとしなければならない作業には大きな違いがある。「情報を伝える」ために、原文に書いてあることを敢えて無視することもあれば、原文には書いてないことを訳文に入れなければならないことがある。拙い経験からだが、ことがあるというより必ずあるといったほうが正しい。請け負った仕事の全てでそうせざるを得なかった。なぜそんな面倒なことをしたのか? 理由は簡単で、和文の原文が当てにならないからに他ならない。

一語いくら、一ページいくらで請け負う翻訳で、そんなことをしていたら、メシの食い上げになってしまう。誰も慈善事業で翻訳しているわけではない。食っていくためには、頂戴する料金に見合うまで(予算内)の仕事で収めなければならない。当然のこととして字面で日本語から英語、あるいは英語から日本語へ変換して翻訳でございますという仕事が当たり前のこととして起きる。
一人前の板前を育てるのは舌の肥えた客だというのと同じように、翻訳者を育てるのは翻訳されたものを評価できるクライアントで、あくまで個人的な経験からだが、一度評価してくださったクライアントは翻訳者の手があくまで仕事を待ってくれる。だらしのない翻訳が上がってくると、チェックというより書き直しが多すぎて、手間をくってしょうがない。分かるクライアントは、できる翻訳者しか使おうとしない。ただ、舌の肥えた客ばかりはないのと同じように、字面翻訳もチェックできないクライアントも多い。そこから必然として起きることが起きる。こう言っては失礼になりかねないが、翻訳は「悪貨は良貨を駆逐する世界」だと思っている。三年半もやれば十分。長居をするところではないと足を洗って、エンジニアリングの世界に戻った。

科学技術の踏み込んだ領域の翻訳に必要とされる知識は、社会一般の常識の範疇ではない。原文の日本語に書いてありましたから、調べた辞書にはそうかいてありましたから、そう訳しただけで、原文が意図した情報が英語で記述されているかどうかについては責任をもちかねます、というのが翻訳者の建前で本音でもある。翻訳されたものをクライアントがチェックして訂正して、最終的な責任はクライアントが負うものという常識のようなものがある。

たかが数万円の翻訳に、一万円近くもする英語の専門書を買ってきて、斜め読みして基礎知識をということまでしていた。日本語の原文だけを読んで訳したのでは、翻訳として書いた英文が、自分でも何をいっているのかわからないものになりかねない。いくつか実例を挙げておく。

「調整の上、ご使用ください」という、いやでも目につく大きな銘板があった。操作を誤れば人身事故になりかねない機械の真正面に貼ってある警告だが、この文章からは、何をどう調整するのか分からないし、適正調整値も分からない。耳慣れた日本語としてはするっと通ってしまうが、警告としては何の役にもたたない。書いた技術者には、もし事故にでもなったらという意識というのか自覚がない。こんな銘板を書くくらいの人が書いた取扱説明書や保守説明書のたぐいは、個人のメモ以下の殴り書きのようなもので、情報というより英語で書かなければならないことを示唆しているヒントのようなものにすぎない。
英語に訳された説明書を手にした人は、まさか原文の日本語の問題とは思わない。そんな原文を翻訳依頼した会社の人たちは、翻訳がだらしがないからだと思うだけだろう。翻訳したものは通訳のように音として消えていってはくれない。

あきれる日本語にはことかかない。「ゴキブリCatch」という商品名には泣かされた。どうしたものかと悩んだ末に、クライアントにCatchを追い払うという意味の、たとえばExpellantか何かに変更できないものかと相談した。超音波でゴキブリが寄り付かないようにするという謳い文句、どこまで有効かはしらないが、少なくとも捕捉するCatchのままでは説明がなりたたない。
「ゴキブリキャッチ」ならKyachという変な造語も可能だが、Catchではどうにもならないと説明した。回答は、たかが巷の翻訳屋がなにをいっているんだという口調で、登録商標にしているから変更できないというものだった。そんなもの、どう書いたところで誤解を招く説明書しかならない。

全国紙の体を装った感のある経済紙のニュースに「……一、二台注文」というものがあった。百台の単位にでもなれば、一台二台の違いを気にすることもないが、ニュースで取り上げるほどの大きな設備で毎年売れるものではない。一台なら一台、二台なら二台と明記しなければ、ニュースの信頼性にかかわる。さらに、注文という言葉からは商談の状況――受注したのか、受注しそうなのか分からない。全国紙やマスコミのニュースでも、いざ翻訳しようとすると、はっきりしない文面に行き当たる。ましてや最近活躍が目立つライターなる方々の文章となると、基礎知識の欠如とでもいうのか、情報源のその先にある英語の専門誌に目を通していないとしか思えないものが目につく。

p.s.
<母語をしっかりしないと>
技術屋のというと、技術屋だけじゃないだろうという反論が聞こえてくるが、多くの技術屋の日本語が怪しい。主語も述語もなければ目的語もない。単数複数もないし時制もない。それはそれで融通無碍な立派な日本語だが、事実を事実として理解して頂く、そのために誤読の可能性をできるかぎり少なくと考えたことがないとしか思えない文章が多すぎる。英語が国際共通語になって久しいが、母語が曖昧なままで英語(外国語)の習得などできるわけがない。

「英語は不得意なんですね」とは言えるが、「日本語の意味がよく分からないのですが」とは言いにくい。それは、「あんた頭悪いんじゃないの」端的にいえば、「あんたバカだね」ということになりかねない。
時の首相や政治家に向かってなら言えそうだが、クライアントや上司にそんなこと言えやしない。ところが、仕事仲間の一人が役員も交えた会議で、なんど説明しても要を得ない社長の「オレがバカだからわかんないのかな」という逃げ口上に腹をたてて、「そうだ。あんたがバカだからわかんないんだ」とケツをまくった。町の零細企業ではない。一部上場のそれなりの会社においてのことだ。
2021/10/22