ソ連史とウクライナ史―貸出予約(改版)

二月中頃からだったと思うが、急にウクライナとロシアの緊張を伝えるニュースが増えだした。そしてロシアの侵攻が始まってからは、目が離せなくなった。ルーチンワークのように見てまわるサイトが増えたこともあって、最近は流し読みするものが多くなった。あっちもこっちも似たような記事とその延長線のようなことを伝えてくるから、一つ二つ読めば十分。それ以上は時間がもったいない。

ニュースがつたえてくる醜悪極まりないロシアの蛮行とウクライナの悲惨な状況に不感症になったわけじゃないと思うが、驚くようなニュースがめっきり減ってしまった。似たような記事を読み続けて感覚が麻痺してきたのかと気にはなるが、そこそこ先を予想できるようになってきたらだろうと思っている。世界各地から発信された情報を漁って整理してゆけば、大まかにせよどういう方向に推移していきそうなのか想像できようになる。
巷の一私人、ウクライナやロシアに関しても何を知っているわけでもない。世間一般の常識程度の知識しかもちあわせていない。なんで緊張感が薄れてしまったのか。その程度の感受性と能力だったとは思いたくない。なんとかしなければと、ロシアのプロパガンダサイトで反対側からの景色を見てみたが、あまりに稚拙でそんなものを真に受けるほどおバカじゃない、よしてくれというものしかでてこない。

するっと流れていってしまうニュースでも、あれこれ有機的に結び付けられれば、背景や思惑、それを生み出している打算もみえてくるかもしれない。そこで、基礎知識としてウクライナの地理や歴史をおさらいしておかなければと、Webでいろいろ漁っていった。日本語では限りがあるが、英語にまででていけば、それなりの情報や知識が得られる。時間をみてはそんなことを繰りかえしていて、そうだ、ここは一冊、軽く新書の類でもいいから目を通しておくかと定番の本を探した。ウクライナの歴史と入力して検索すればアマゾンが充分過ぎるほどの本をリストアップしてくれる。学者や研究者でもない巷の好きものには新書や入門書がちょうどいい。

三月三十日、豊島区の図書館で『物語ウクライナの歴史−ヨーロッパ最後の大国』(中公新書 1655)を予約した。似たようなことを思いつく人がいるだろうとは思っていたが、予約順位は二十二だった。 貸出待ちの人が前に二十一人いる。貸出期間は二週間で、次の予約が入っていると貸出を延長できない。蔵書が三冊あるから、延滞する人がいなければ、21x2/3 = 14 で14週間後に借りられる。ひと月四週間としてざっと三ヵ月半、お盆まで待たなければならない。

特別急ぐわけでもないが、ちょっと先が長い。どうしたものか考えていて気がついた。変な喩えになるが、障害事件があったとき、なんでそんなことが起きたのか、あるいは起こしたのかと調べるのは被害者側ではなくて加害者のほうだろう。被害者にもなんらかの非があったとしても、事件を起こしたのは加害者で、加害者側の原因を調べるのが先決だろう(と思っている)。この世間一般の常識からすれば、歴史の本に限定してみても、まず読まなければならないのは、あるいは読んだ方いいのはウクライナの歴史ではなくロシアの歴史じゃないのか。それも古代史ではなくて現在に直結する近代から現代史じゃないのか。

そこでウクライナ史と同じプロセスでWebでロシア史の本を探した。蔵書に『ソ連史』松戸清裕著、筑摩新書を見つけて予約した。なんと予約順位は一だった。先に予約している人はいなかった。四月三日の夜中に予約して五日には貸出準備できましたとメールが届いた。
あらためて蔵書をみたら、ウクライナの歴史もソ連史も蔵書は三冊。ウクライナ史は三冊とも貸出中。ソ連史は一冊借りたが、二冊は図書館の書棚で借り手をまっている。

ロシアが一方的に始めた戦争とうより侵略。NATOがどうの東西冷戦がロシア系住民が……とご説明される先生方もいらっしゃるが、出来る限りバイアスを排した目でみれば、ウクライナ戦争の主原因はロシアにあって、ウクライナの責任はあったにしろしれている。なにが起きているのか、なぜ起きているのか、その背景は歴史はとみたほうがいいのは、まずはロシアの側だろう。と思うのだが、どうなんだろう。人の心理なのか、ついウクライナに目がいってしまうということなのか。

p.s.
原稿を書き直している今日、五月三十日、図書館の予約順位をみたら、十一位になっていた。予約したのが三月三十日で予約順位二十二位だったから、二ヶ月で十一位上がった。そして三冊あった蔵書が二冊になっていた。誰かが返却しなかったのか、あまりに傷んで廃棄されたのかはわからないが、豊島区の図書館にはしばし定番中の定番の本がない。
2022/5/30