そこまで稀薄な人間関係なのか(改版)

還暦を機に一線を退いて気がついた。長年にわたってエンジニアリングと経営に集中し過ぎた。人文系の素養が低すぎる。四十年以上もの間、読んだのも書いたのも単刀直入に要件に伝えることを目的としたものだった。そこでは、事実を事実として、検証した結果やその結果をどう判断し、どのような施策をとらねばならないかという、多少なりとも人文系の知識が必要とされることもあるが、要点を曖昧にしかねない修辞は徹底的に排除されなければならない。要件のはっきりしない修辞まみれの文章は忌み嫌われる。文章の骨皮筋右衛門、脂もなければ潤いもないドライな世界で生きていると、小説が修辞の塊りのようにみえて、読もうかという気もおきなくなる。

経験したこと、考えてきたことを書き残しておこうと思い立って、日本語を勉強しだした。あれこれ読んでいて『文章読本』なるものを知った。いくつか読んでいったら、そういうことかと思うものがでてきた。
「気取ってない風を装って、ちょっと気取って、話すように書けばいい」
言ってることはわかるが、そう言われて書けるものなら、文章読本の類なんか読みゃしない。
しょうがねぇなって思っていたら、「歴史に洗われた名著を読め、名文にひたれ、そこからおのずと文章のありようがみえてくる」というアドバイスがみつかった。

「歴史に洗われた名著」ねぇって思いながら明治期の小説にまでさかのぼって、あれこれつまみ食いしてみた。その程度で立派な作品の評論なんて、おこがましいほどにもほどがある。分かってはいても、なんでという気持はなくならない。一言二言、後日読み返したときに、あの頃はこんなことを思っていたのかと思いかえすためにも書き残しておくことにした。

<修辞の大海に溺れそうになった>
時代背景や社会と思考に違いを感じるだけならまだしも、主題といえるほどのものもなく、修辞の才を誇示しているのではないかと揶揄したくなるものもある。
例えてあげれば、『秋津温泉』藤原審爾著なのだが、免疫がないからか止めどなく続く美しい表現に疲れる。Webでみたら、藤原審爾は「小説の名人」らしい。でもそこは修辞にまみれて肝心の主題はなんなんだというところだった。

<歴史的価値を超えるものなのか>
『フランス物語』永井荷風を読んだとき、誰も時代を越えられないという現実を突きつけられたような気がした。
あの永井荷風ですら手もなくフランス文化に憧らされた時代があった。今でも似たような憧れが残滓のように残っているのを感じるだけになおさらで、時代の違いを知るための歴史的書物としての価値を超えるものがあるとは思えない。高度成長期末に社会にでて、欧米の会社を渡り歩いてきたこともあってだろうが、そんなものに憧れていて済むような時代じゃないと思っている。

<結核や戦争で死に直面したことから>
堀田善衛や尾崎一雄に大岡昇平や吉行淳之介……を読むと死の縁を生き抜いてきた凄みに思わず腰がひける。違う世界、違う時代なのに、明治や大正期に感じる違和感とは違う。全く違う社会で生まれ育ったのに説明しがたい親近感がある。

<向こう三軒隣りの私(たち)小説と軽妙さに違和感がある>
「歴史に洗われた名著を読め、名文にひたれ」はいいけれど、同時代的に生まれ続けているものを知らずしてと不安になる。そこでたまに「文学界」や「新潮」の類に目を通すようにしているが、古希を過ぎた者には新しすぎるのか、軽妙さだけでは説明のつかない、今風私小説というのか私たち小説とでも呼んでいいのか、文学界のどこに位置すべきなのか、気になってしょうがない。手の届く範囲の舞台設定に作者の社会経験と視野の限界を感じる。
その視野の狭さ、ネットラブコメに近いものがある。
気晴らしにネットラブコメを読んでいる。そこでは学園ものが目につく。著者の直接体験が高校や大学、そこでの部活やサークルにバイトとその延長線に限られていて、実の社会がでてくることはない。若い作家の作品がこのネット小説の延長線に位置しているような気がしてならない。

「文学界」二〇二一年十二月号に鴻池瑠衣に『フェミニストのままじゃいられない』が載っていた。作者も知らないし何も知らない。図書館で何気なしに借りてきて読んだ。舞台設定にまさかと感じて、途中まで読んで返却してしまった。 あの小説で何を言いたかったのかが気になって、また借りてきた。読み通して、結局なにを言いたいのかもわからなかった。読者の能力の問題なのだろうが。

恐れ多くて書評などできるわけがない。それでも違和感だけは言わせていただきたい。
まず設定に無理がある。
零細企業でもあるまいし、準大手ゼネコンに就職して営業に配属された新卒が、一年後に海外駐在?可能性、事情によってはあるかもしれない。ただ常識で考えれば非常に少ない。新卒研修だけでもニ、三ヵ月はかかる。一年にも満たない実務経験では、やっと指示された簡単な業務でもどこまでこなせるのか不安が残る。まして相手は社内ではなく、顧客やパートナーや外注先。
ゼネコンはマルチベンダーの最たる業界で、元受け、下請け、孫請けから現場作業まで、細かく数え上げれば三桁の数の企業が分担して建設工事に携わる。プロジェクトによっては、元受けが数社というJV(joint venture、ジョイントベンチャー)のこともある。

海外のプロジェクトでは現地の行政官庁や業者との調整も必要となる。言語の障壁もあるし、文化や習慣の違いもある。国内では想像もしないことが当たり前かのように起きる。
海外支社では駐在員の数が限られるから、日本にいるように専門分野ごとに要員を配置できない。必然として駐在員は一人で何役もこなさなければならない。少数精鋭部隊のなかに前年入社の新人を入れたら、足手まといになる。海外支社はOJTにしても社員教育に工数を割く余裕がない。即戦力以外は受け入れらない。
アルバイトでもあるまし、見た目がよく似ているだけの舞台俳優が、同僚に気づかれることなく、翌日から入れ替わることは不可能と断言してもいい。ましてそこは海外支店。現地社会から孤立した日本人社会で、人数が少ないこともあって、人間関係は緊密になる。初日から社員なら当たり前の話が通じない。一週間もすれば、別人であることを誰もが疑わないだろう。

殺人事件に関与する人たちに対する戯曲家と演出家と俳優の解釈の違いを描いているが、その違いから三日目の舞台で、殺害された夫が生き返って妻を絞殺する即興劇がおきた。衝動的な即興劇で、どう劇を続ければいいのか、起こした本人も分からない。まだ五十分程劇を持たせなければならない。この劇で華々しいデビューと目論んでいた戯曲家の夢がふっとんだのは間違いないが、それで何を言いたいのか。
常識ではありえない設定に後をどう始末したものかと悩んでしまう結末。どうせなら、どんでん返しの後始末まで用意してもえなかったものかと思う。文学とは遠い世界で生きて来た素人の感想、あんたにゃわかりっこないと一蹴されるのを承知で、ひと言言いたくなってしまった。

無理な設定にはっきしない主題。それはそのまま作家の社会経験と社会に対する認識のありようをさらけ出しているようにしかみえない。主題と設定は修辞(文学的な言辞)では補い得ない。
哲学の哲学と同じように文学の文学からも付かず離れずということかもしれない。

ちょっと長くなるが、気になる個所を書き写しておく。
鴻池瑠衣
『フェミニストのままじゃいられない』
文学界2021年12月号
P10
「配偶者入れ替え連続殺人事件」
「いつの事件」
「九〇年代」
P11
夛田は人前での演技を、もう十年以上続けている。
学生の時から始めた。インカレの演劇サークルに入っていた。高校生の頃から憧れていた。俳優になりたいという夢を叶える絶好のチャンスが巡ってきたと思った。
卒業後も芝居を続けた。知り合ったツテでさまざまな会社、業界を転々としたけれど、生活のための仕事と並行して、三十歳になった今年まで舞台演劇への出演を単発的に繰り返している。生業にできるほどの実力も運もない。いつか声優、ナレータの仕事など舞い込んできやしないかと期待していた時期もあったが、オーディションにはことごとく落ちた。業界はそれほど甘くはなかった。しかし、それでよかった。
「なんでまだお芝居続けてるの?」と池谷や取引先の人から尋ねられても、夛田の方こそわからないので答えようがなかった。役者とはなんたるか、とか、演技とは、舞台とは、などといった思想を持たないままここまで続けられたのは、振り返ってみれば不思議なことなのかもしれないが、そんな不思議な自分を、これからも不思議なまま放っておこうと夛田は思う。舞台の上に立ったときこそ本当の自分になれる、という役者の常套句が、身も蓋もない真実であることを今や実感している。だらか、わざわざ自分を俯瞰的に理解しようとする試みが馬鹿馬鹿しく思えてしまう。

P14
第二幕
「貴子とマサキの恋物語」は、実話を元に作られた演劇作品だ。
連続殺人犯の死刑囚、遠藤藤子が九〇年代から二〇〇〇年代にかけて起こしたいわゆる「配偶者入れ替え連続殺人事件」を、脚本家の垣内志乃が戯曲化、演出家の加藤鶏冠手が舞台化した。
舞台の題材となった事件は、遠藤藤子逮捕の二〇〇七年に発覚。当時、民放各局のワイドショーで連日取り上げられ話題となり、彼女の周辺人物も取材を受けて地上波に度々顔を出した。
事件の名を現在、検索エンジンにかけると、さまざまなページがヒットする。例えば、テレビのニュース番組の一シーンを切り抜いた動画がある。警察官たちに手元のジャケットで隠され、連行される犯人が、彼女の自宅のマンションのロビーから出てパトカーに乗せられる様を映し出している。その時、遠藤藤子は俯いていなかった。背筋を伸ばし、昼間のマンション前の通りに颯爽と姿を現した。日差しに少し目を細めるが、それでも陰鬱な印象で、まるで彼女が彼らを運んでいるように見える。彼女はカメラを見つけると、それまでの微笑を引っ込め、ただ虚空を眺めた。 「夫や交際相手次々に殺害 女に死刑判決 『ゆがんだ愛情で身勝手』」
殺人の罪 東京都杉並区 遠藤藤子(43)

P15
一方でサークル公式の公演に出演した役者の中で、卒業後それを本業として大成した人物は当時まだ一人もいなかった。垣内は、自分がその最初の一人になるのだと心に決めていたけれども、結局、脚本家としての道を選ぶことになった。そうした要因に、「配偶者入れ替え連続殺人事件」があったのは間違いないだろう。『貴子とマサキの恋物語』の公演が差し迫った今、彼女はそう思う。ずっと、その舞台化が目標だったと言えるかもしれない。

P17
「結婚しようとした相手との結婚が、親の反対で不可能になったので、代わりの男と結婚して、その人を殺して、別の人間にすげ替えて、それを何度も繰り返して、っていう」

P18
実際の事件の概要はこうだ。
都内の会社に勤めるOL藤子には、結婚したいと望んでいる男性がいた。飯田毅という、四つ下の、芝居をしているフリータだった。彼とは、藤子の大学の同窓生が主宰しているある舞台演劇をある日観に行った際に知り合った。共通の友人からの紹介だった。飯田は、舞台上で一際輝く出演者だった。
話してみると、藤子は飯田と気が合った。小説や映画などの創作物の趣味が同じだったし、両者ともヴェルディ川崎のファンだった。何度か二人で会ううちに、自然と交際に至り、もはや互いに、相手なくしては生きていけない、という確信を抱くようにまでなった。
やがて決心して、彼女はそのことを両親に告白した。だが、頑なに反対された。

当時彼女は、とある準大手ゼネコンの総合職として入社五年目を迎えていた。配属先は人事部で、新卒採用に携わる仕事をしていた。
その中で見つけたのだ。ちょうど良い人間を。
藤子は、エントリーシートを精査している時、遠藤大輝をいう私立大学生に目をつけた。
遠藤大輝は飯田より一つ年下だった。経歴や出身地はまるで違うけれども、顔が飯田にそっくりだ。実際に会ってみて現実との落差にがっかりすることもあるだろうが、なぜか彼に限っては、実物が似ていることを直感的に理解した。黒子の位置は違う。しかし、耳の形は同じである。遠藤大輝の顔の特徴は、彼と飯田をすり替えることが可能なではないかと想像させるには十分だった。そんな想像をしてしまう藤子は異常なのだが、実際にそう考えたのだから仕方ない。

P19
遠藤大輝は藤子のおかげで無事就職し、営業に配属された。入社一年後に彼は海外の支店に異動させられる。この人事異動もまた藤子による策略だった。その際にも彼女は、また別の社員とも寝たし、かつて関係をもった社員に対してその事実をネタに強請るような真似もした。
海外で暮らすのが、藤子のかねてからの願いだった。両親の目の届かぬ場所で、羽を伸ばしながら生活するのをいつも夢みていた。

遠藤大輝と結婚した藤子は、夫の戸籍に入り、その後世間で知られるように遠藤に姓が変わった。遠藤藤子は退職し、ベトナムに赴任する遠藤大輝に付き添って出国した。ハノイでの暮らしが始まった。
海の向こうで二人の新婚生活が始まって七ヶ月経った一九九六年十一月。群馬県唯氷郡松井田町の山中で、男性の遺体が発見された。北陸新幹線の工事現場からおよそ三キロ離れた場所であり、建設作業員によって通報された。
身元はすぐに判明した。その七ヶ月前から行方不明の、飯田毅だった。実家の父親から彼の捜査願いが出されていた。遺体は激しく腐乱しており、鳥獣に食い荒らされた形跡もあり、一部白骨化していた。傍には遺書があり、飯田毅という、東京の小劇場で活躍する役者と判明。彼の周辺の聞き込みから失踪直前の思い詰めた様子も報告されていたので、事件性は無いと判断されてそのまま荼毘に付された。
飯田毅は戸籍上死亡した事になったけれども、その正体は彼ではなく、遠藤大輝が。遠藤大輝としてこの世に生をうけた人物の遺骨が、赤の他人の家の墓に納められた。

本物の遠藤大輝が殺されたのは、遠藤藤子たちのベトナムへの出国の前日だった。夫の海外赴任に際し、しばらく会えなくなるからと藤子の両親に顔を見せに行く途中、遠藤大輝は大量の睡眠薬で眠らされて、遠藤藤子と飯田によって、群馬県の山の森の中の木にロープで吊るされたのだ。つまり、遠藤大輝を名乗る人物が、ハノイの支店に着任した時点で既に、本物の彼を飯田は入れ替わっていた。

二年後、ハノイの遠藤大輝に本社への異動の内示があった。彼はそのまま退職し、日本へ帰ってきた。
2022年5月7日