出来るヤツは教えない(改版)

七十二年から四十年以上にわたって日本とアメリカとヨーロッパの伝統的な製造業で禄を食んできた。アメリカの会社では頻繁にセミナーやトレーニングに呼ばれたが、日本やヨーロッパの会社では日常業務を通したOJTしかなかった。両極端なトレーニング文化の間を行ったり来たりして、誰が、どんな人たちが教えるのかついて考えたことがある。考えたなんていうのも恥ずかしいが、なんのことはない、気がついてみれば、巷でよく耳にする言いぐさでしかなかった。こんなことを言い出せば、すぐ例外を持ち出す人もいるだろう。どちらも一般論で当然例外もある。それを分かっていての話であること、ご承知いただきたい。

一つ目は、「出来るヤツは教えない」。なかには個人の努力で培ったものを、おいそれと伝授する気にはなれないというものあるだろうが、出来るヤツは、やらなきゃならないことに忙殺されていて、教えたくても教えている暇がない。これをひっくり返してみれば、「出来ないヤツが教える」になる。こういっちゃ失礼になるが、新兵訓練の教官はいくら優れていても、泥沼の戦場で生死の縁を渡り歩いてきた老練な兵士にはかなわないだろう。

二つ目は、「仕事は見て盗め」。暗黙知を形式知にして知識の標準化を進めて、徒弟制度から体系化した学校教育を充実してはきたが、いくら進めたところで「盗め」はなくならい。ただその重要性は漸減していって、個人の創意工夫によるところが多くなっている。

グーテンベルクの活版印刷技術が情報や知識の敷衍に革命な役割を果たしたが、インターネトを使い慣れた今となっては、所詮物理的な紙を媒体としたものでしかない。コンピュータと通信技術の進化から生まれたインターネットのおかげで、誰でも個人で情報や知識を文字でも絵でも図でも音でも電子データとして一瞬にして世界中に送受信できるようになった。インターネットで英語まででていけば、下手な学校なんかで得らえる知識をはるかにこえたものが得られる。師匠と弟子、先生と生徒の関係にもとづく薫陶という人格形成に関わるところまで求めないのであれば、日常生活どころかプロとしての仕事をしていくうえのことでさえ、必要とする情報の多くがインターネット上に公開されている。

誰でもさしたるコストをかけることもなく情報や知識を得られる社会になったとたん、氾濫する情報や知識の中から何のために何を拾いだすのか、そして拾いだしたものを使える知識として構築してゆく、今までとは違った種類の能力が求められえる社会になった。インターネットが普及する前には想像でもできなかったが、努力さえすればほとんどの人たちが行けるところまで行ける時代になった。問題はその行きついた先からどこに向かって何をどうしてゆかなければならないのかを思考する能力をどう培うかという競争になった。

行けつけるところまで行ったところが競争のスタート地点になってしまったのに、そのスタート地点に行けつけないというのか、行きつくために必須の知識のない人たちがいる。誰も全てを知っているわけではないが、国語や英語や数学に物理や化学や社会、いってみれば社会一般の基礎知識がないと情報を情報として認識しえないし、認識はし得ても、咀嚼できない。基礎知識なしには手にした情報を使える知識にまで昇華出来ない。最低限の基礎知識の習得には体系だった教育がかかせない。なんの基礎知識もなしでOJTで遭遇して得た知識を積み重ねても、体系だった理解に至るには時間がかかるし、個々のバラバラの経験値としてしか身につかないことも多い。

社会人になって十年二十年、誰もが社会人としての基礎知識もあるし、仕事を通して培ってきた知識や知恵もある分別のある社会人だと思っている。それが実業家ともなれば、従業員以上に社会に精通していると思っているだろう。事業が順調に拡大していても、いつまでも続くわけでもない。そこで将来の成長の足掛かりに異業種への進出を考える。なかにはこれまでの事業で行き詰って、なんとか異業種に転換しなければと思っている人もいる。事業を立ち上げて経営してきた自信もあれば自負もある。異業種のなんたるかも知らずに出て行って飯が食えるほど甘い世界じゃないことはわかってはいるが、若い時のように知らない世界に飛び込んで、一から勉強するようなまどろっこしいことをしている余裕がない。半年か長くても一年で目途をつけなければならない。さっと準備してジャンプスタートをきりたい。

業界誌やビジネス誌にも目を通してきたし、知り合いの話も聞いたが、どうすればいいのかあるべき姿が思い浮かばない。賭けになるのは分かっているが、失敗はゆるされない。経済紙やインターネットをみていると、経営コンサルタントや経営指南や産学協同で活動している先生方が頻繁にでてくる。知り合いから聞けることは聞いてしまったし、ここは先生に相談に乗ってもらった方が手っ取り早いんじゃないかと思いだす。
小さいながらもオーナー経営者として事業を展開してきた自信があるが故にそこに待ち構えている落とし穴に気がつかない。どうしていいのか分からない実業家を食いものする社会集団が手ぐすね引いて待っている。


もう十年以上前になるがGEの一事業体の日本支社を切り盛りしていたことがある。GEでは事業の買収売却は日常茶飯事で事業くっついて入ってくる人もいれば出ていく人もいる。レイオフされる人たちもいれば、見切りをつけて転職する人たちも多い。出入りの激しいGEのなかでも中国は異常だった。北京オリンピックが開か選れた二〇〇八年の従業員のターンオーバーが一五〇%を超えていた。それはすべての従業員が辞めて、新たに入ってきた従業員の半数がその年のうちに辞めたことを意味している。そこまで人の入れ替えが激しいと、業務の継続性が失われるだけではすまない。社内情報が人と一緒に出てゆくし、なかには機密情報を持ち出す人もでてくる。多分日本の従業員の個人情報もなんども流失していただろう。

週一以上、ひどいときには一日に数件、飛び込み営業の電話が個人の内線に直接かかってくる。金融商品や先物取引、金やレアメタルもあれば不動産投資もあった。聞いてもしょうがない投資話で、相手しているのもバカバカしい。一度あまりに頻繁な電話に部下の一人がきれた。かなりの口調で迷惑だから、二度と電話をしてくるなと言った。言われて当たり前の電話だが、言われた方は生活がかかっている。腹を立てて、嫌がらせのワン切りが続いた。仕事にならないから内線番号を変えざるをえなかった。

かかってくる電話、要件に入れば断られるのが分かっているから、なかなか要件にははいらない。何度も要件はといっても、ああだのこうだのと意味のない話がつづくから、こっちから不動産なのか、金融商品なのかしらないけど、金がないから話を聞いてもしょうがないといっても、粘るヤツがいる。あるとき、その粘り方が上手で、コイツ、まともな会社の営業マンになれば、かなりの成績をあげられるんじゃないかと思いだした。どんなツラをしているヤツらがこんな仕事をしているのかにも興味もあって、一度会ってみることにした。

ワンルームマンションの投資話だというから、だったら、金融商品や株式や先物取引に比べて、ワンルームマンションの投資がこれこれこうで有利だと、そして同業他社と比べても、うちが有利だとうデータをまとめて持ってこい。そうすれば話だけは聞いてもいいからと伝えた。
そこまでのデータなんかそろえる能力のあるブローカなんかいやしない。大手銀行や証券会社にしても不動産会社にしたところで、そんなデータをまとめて提示なんてできやしない。

中学生の夏休みの自由課題のような資料を二枚持って、上司というおまけまでついてきた。一階のエクセルシオール カフェでご苦労さんのコーヒーをだして、聞いたところで何もない話を聞いた。時間がもったいないから、早々に話を切って言った。
「ありがたい話しなんですけど、なんせ金がないんですよ。この年して未だに借家住まいですからね」
「ローンってば聞こえがいいけど借金でしょう。借金ってのがイヤでね、自分の住む家だって買う時にはキャッシュで買いますよ」
「そんなにいい物件なら、どうですいっそ御社で銀行ローン組んで買って、賃貸にだせばいいじゃないですか。そっちのほうがよっぽど確実に儲かるんじゃないですか」

同じことは株や金融商品にも言える。「推奨株です……」「資源国ですから長期にわたって高配当を期待できますから……」と聞いて、真に受けるほど世間知らずじゃない。
「そもそもなんでオレに得させようっての。そんな義理なんかないじゃないの。そんなにも儲かるだったら、人に紹介なんかしてないで、借金してでも自分で買った方がいいんじゃないの」と押し返したことが一度ならずともある。
情報や知識が金を生む社会で禄を食んでいるブローカ連中、自分の金のために仕事してるんで、他人に儲けてもらえることを目的になんかしちゃいない。顧客が儲けたらリピート客になって、ブローカ冥利に尽きますってんでやってるわけじゃない。堅い、おいしい儲け口があるのなら、自分で儲けようとするだろう。自分の儲けを減らしてまで、他人に儲けさせてあげるブローカがいたら、一度でいいから話を聞いてみたい。
ブローカ連中、自分が儲けるの忙しくて、他人なんか構っちゃいない。ここに「出来るヤツは教えない」の一つの典型がある。できないヤツが他人に教える振りをして糊口を凌ぐか、うまい汁を吸うって話でしかない。

自分で理解できるまで調べて考えて、自分の責任でというのが実業家のありようだし、宿命だろう。誰かがこう言ってましたから、この方がいいって聞いたんでよく知らない業界に入って行って事業?実業家を自認する人がすることじゃない。
Webを漁っていたら、こんなものまででてきた。
https://twitter.com/katakatakoton/status/1518948084524347394?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1518948084524347394%7Ctwgr%5E%7Ctwcon%5Es1_&ref_url=https%3A%2F%2Fwww.nazomate.com%2Fwhat-is-noboru-koyamas-career-and-reputation%2F

「桂田精一社長は有名百貨店で個展を行うほどの元陶芸家で、突然ホテル経営を任され、右も左もわからないド素人。 知床遊覧船の社長の桂田精一、コンサルの小山昇からコストカットを指南されたようだ」
「さすが一流のダイヤモンドオンライン、記事をすぐに削除したそう」
「#知床遊覧船事故 #小山昇」

競馬にいってなけなしの金を張る時、スポーツ紙だけじゃって、「勝馬」とか「競馬エイト」とか真剣に見るだろう。中には面倒になって予想屋に金払ってなんて人もいるだろうけど、自分の知識と予想を信じてってのがギャンブルの楽しみ方じゃないのか。ただの偶然というのもあるだろうけど、それでも自分で予想するわけで。

巷のサラリーマンの仕事でも似たようなことがいえる。仕事というものは与えられた環境下で、何をどう見て、どう判断して、し得ることとし得ないことの見きわめから、最善の策次善の策、時には環境そのものを変える画策しての繰り返しになる。切った張ったの世界で、この繰り返しに明け暮れる日々を送っている人たち、傍からみれば「仕事のできる人たち」になる。その人たちのほとんどは自分と率いている部隊の仕事に忙殺されていて、仕事の仕方をこまごまと教えている余裕がない。散々調べて考え抜いた末に仮説としてこういうことじゃないかという画策から、こういう手を打ったらどうだろうという相談は受けるにしても、ろくに調べもしないで、あまりにあたりまえのことを訊いていてくる足りないヤツに構ってなんかいられない。授業料払っている学校じゃない。切った張ったのビジネスの戦場で、自覚のないヤツは足手まとい以外のなにものでもない。そんなのが世間話のように何か訊いてきたら、ひと言「ググったのか」と聞き返す。
「出来るヤツは教えない」「教えている時間がない」「教えるのは仕事のできないか暇なヤツ」
2022/6/2