大工の勘違い(改版)

入社して三年で海外市場担当の子会社に左遷されて、勤務地が我孫子の本社工場から丸ビルになった。仕事は試作機の設計から海外からよせられる障害報告や苦情の処理になった。研究所詰めだったこともあって、工場で生産されている現行機種すらよく知らない。ましてや十年も十五年も前の機械のことなどわかるわけがない。丸ビルにいては仕事にならない。毎週二、三日は本社工場にいって品質管理や設計担当者に相談していた。本社に戻れば組合事務所に顔を出さないわけにはいかない。左遷される前と同じように社会党右派の労組を左旋回させようとしていた。労務にしてみれば、子会社に放り出したはずなのに煩くてしょうがない。六年目にはアメリカの孫会社に追い出された。

独身の駐在は三年という不文律があったから、いくら引きずったところで四年も過ぎれば帰ってこれる。七十七年のことで、独り者でもそれなりの荷物がある。行李の一棹二棹もあればなんていう時代じゃない。親友に頼んで一トントラックで寮から私物を田無のマンションに引き上げた。そこは、オヤジが思いつきでかったもので、我が家の物置になっていた。
日本に帰ってもやることないし、当分こっちいるかとう話になっていたが、甲状腺機能亢進症で手術しなければならないことが分かって、慌てて日本に帰って来た。八十年四月、マンションで一人暮らしが始まった。ちょっと小ぶりな3DKだが、独り者があれこれするには十分な広さだった。

ニューヨークから持ち帰ったスピーカを中心にオーディオシステムをつくりはじめた。毎週のように秋葉原ででかけては手ごろなコンポーネントを探していった。早々にチャンネルディバイダ―を特注して、高音域と低音域に専用のパワーアンプとスピーカを組み上げた。あれこれ迷ったが、そこまではなんということもなかった。お決まりだと思っていたカートリッジはいつまで経っても終わらなかった。
カートリッジがレコードの溝から、しっかり信号を取り出せなければ、どんなアンプやスピーカシステムをもってきても、どこか抜けた音にしかならない。クラッシック向きの優等生のカートリッジでジャズやロックは苦しい。その逆も真で、いったいどの音が本物なんだという、ありっこない本物を求めるようなことになるのを承知で、ターンテーブルにはトーンアームを二本載せた。ウルトラライトのトーンアームには繊細なMC(Moving Coil)型カートリッジを、ウルトラヘビーのトーンアームには馬力のMM (Moving Magnet)型カートリッジを付けた。どっちのカートリッジからの信号をアンプで処理してスピーカを鳴らすかをスイッチ一つで切り替えられるようにした。実体験してみなければ分からないだろうが、カートリッジによって、これほどまでに音が違うのかと驚かされる。

MMのドンシャリのせいでMCが貧相に聞こえる。MCに活を入れなきゃとヘッドアンプを替えて、違うメーカのMCに替えてみた。なんどか替えていってMCが気にいったものになってくると、こんどはMMのドンシャリが気になりだす。再生音でしかないのに、本物の音を求めるお馬鹿な作業にはまってしまった。
カタログや評論家という怪しい人たちのゴタクを参考に買い替えるのだが、使ってみなければ、いいのかよくないのかというより、求めていた音に近いのかどうかは分からない。散々考えて数万円かけて一度使って終りということも一度や二度じゃない。録音条件との相性なのか、カートリッジがレコードを選ぶなんてこともあるし、カートリッジにも当たりはずれがある。特にアメリカのメーカのものはあてにならないことが多かった。なんども痛い思いをして巷の評論家のお手盛りを真に受けることもなくなった。そんなことをしていると、自分の耳も気になりだす。オーディオ雑誌には耳鼻科の医院の広告の一つや二つあってもいいじゃないかとすら思いだした。

システムが大きくなると、ひと動きするにもそれなりの金がかかる。手を加えようにも予算がたたない。そんな袋小路のようなところに入り込んでしまったとき、ろくでもない遊びを思いついた。オーディオの本や雑誌をいろいろ見ていて、スピーカのエンクロージャ(箱)の自作については知っていた。遊びに一個作ってみるかと、改めて雑誌の特集号を買ってきて、あれこれ見ていったら、初心者向けの手ごろなのが載っていた。

凝った本箱や椅子を作ったこともあって、木工細工はお手のものだった。ところがスピーカのエンクロージャには、合板を寸法通りに切って、後はボンドで付ければ一丁上がり、じゃない問題があった。スピーカーユニットを取り付ける穴を綺麗にあける工具がない。どうしたものかと考えてお袋に聞いたら、患者さんに建具屋さんがいるから相談にいってみたらと言われた。ちょくちょくうちに来てはオヤジと酒を飲みながら競艇の話をしていたオヤジさんで知らない相手じゃない。

自分で切りたいが、ぐちゃぐちゃの穴は見たくない。自在錐は数千円で買えるが、卓上ボール盤もなければハンドドリルもないし、そもそも作業台がない。ここは専門に任せてしまうのが一番だと、一枚ごとの寸法を描いた図面を持って行った。暇という訳でもないだろうが、数日もしないうちに一ミリの誤差もなく切ってきてくれた。早速ボンドで張り合わせて箱ができた。
十六センチのスピーカユニットをつけて音を出して驚いた。余裕をもったエンクロージャだったこともあってか、そこらで売ってるうん万円もするスピーカと比べても遜色がない。クラスAオペレーションの百五十ワットのパワーアンプ、役者が違う。数千円のスピーカのコーンの振動がそれこそ鳴られているようにみえた。ジャズやロックにクラッシックに歌ものもかけてレコードとの相性を確認した。ちょっとコーンの紙臭さを感じるが、よく言えば癖のない特徴のない滑らかな音だった。

ここまでのものならと仕上げに手間暇かけた。隣のマンションの一階に金物屋があった。オヤジの患者さんの店で、なにかあるたびに相談にいっては、百さんという親切なオヤジさんのお世話になっていた。目の細かなサンドペーパをかけて、砥の粉を塗って、またサンドペーパ、目の細かなエメリークロスで下仕上げをした。
塗装をとペンキをみたが、市販のスピーカのような色じゃ面白くない。気の利いたものはないかとみていったら、乗用車の修理用のスプレー缶があった。中間色とでもいうのかさまざまな色やトーンものがある。深みがあってなおかつ目の覚めるようなワインレッドにした。マニュキュアにしてもおかしくない華のある色だった。軽くスプレーしてはエメリークロスで滑らかにして、またスプレーを繰りかえして、調度家具のような品のあるエンクロージャができあがった。

これに味をしめて、今度は断面が六角形のエンクロージャをと寸法を描いた紙をもっていった。寸分たがわず綺麗に切ってくれた。板を組み合わせていけば、四角じゃないから「こぐち」と「こぐち」の合わせ目にV字の溝ができる。そこをどうやって埋めるか。溝を口で説明するより、実物を見てもらったほうが手っ取り早い。中央の板に上下に並んだ二つの丸い穴、その左右に斜めに付けられた板の中央に丸い穴、計四つの丸い穴があいた六角形に天板と下板のついた箱を持って相談にいった。

金物屋、店は広いが客はめったにいない。商売になっているとは思えないが、マンションが立つ前からの店で地主だったから、いくつかの部屋の家賃収入もあるのだろう。穴に手をいれて箱をぶら下げて店に入ったら、珍しく客がいた。五十がらみ職人さんが百さんとあれこれ話してる。遠目にしても、ぽっと突っ立って二人を見てるのも気がひける。こんどはどんな色にするかとスプレー缶を見ては、話が終わるのを待っていた。やっと話もひと段落ついたようなので、百さんの方に戻って行ったら職人さんが帰るところだった。手にしていた箱をみて、何?という顔をして、
「にいちゃん、それ、鳥の巣箱にしちゃへんだし、なんなんだい」
「えっ、あ、これ、……、スピーカの箱ですよ」
「へっ、スピーカ?にいちゃん、自分で作ってんか」
「ええ、いい形でしょう」
溝がオヤジさんに見えるように、持っている位置を変えて、
「百さんに、この溝を埋めるコーティング剤をと思って」
オヤジさん、なんとなく納得したようなしなかったような顔をして出て行った。

セメントのようなコーキング材で隙間を埋めてしっかり乾燥させた。数日後、砥の粉とサンドペーパにエメリークロスを買いに戻った。
前と同じものだから、どれにするかという話もない。百さんがこれで間に合うかなといって持ってきてくれた。
「この間のオヤジさん、覚えてる」
「あの職人さん?」
「あれ、腕のいい大工なんだけど」
「あのにーちゃん、何者なんだっていうから、エンジニアだって話だよって言っておいたんだけど、それでいいんだよね」
まあ、恥ずかしいけど、エンジニアと言えないこともない。できれば使い物にならないと前置きしなきゃと思っていたら、
「あの箱をみて、考え込んじゃったみたいでさ」
なにを?
「いやね、もう三十年以上大工やってけるど、あんなにきれいに丸く穴を開けられたことないからって……」
そりゃ、大工とは違う。建具屋の仕事だから、一ミリ以下の精度で切りあげてくれる。
「作ってるの」と訊かれたから「ええ」と答えただけで、自分で切ったとは言ってない。

へんな形のスピーカの癖というのか、レコードを選ぶのには腰を抜かすほど驚いた。オーケストラをバックに歌手が前にでて歌うというのはよくあるセッティングで特別なものではない。あるレコードでは歌手がオーケストラの中に紛れて歌っているかのように引いてしまう。レコードによっては前に出過ぎじゃないかということもある。四人のグループサウンドでも似たようなことが起きる。メインボーカルが引っ込んで、平面的な音になるものがあった。それはMCでもMMでも同じだった。

大工の視点から見ての早合点だが、似たようなことは誰にでもある。
人は多くのことを言葉で理解して言葉で記憶する。その記憶があって、はじめて目の前のあれやこれやを理解できる。記憶は過去の経験に基づいている。大工のオヤジさんにとっては、「作る」のかなりの部分が「のこぎりで引く」作業になる。そこから「作る」が「のこぎりで切る」と同義語もどきになってしまう。記憶がなければ理解できないが、その記憶があるから勘違いが生れる。
学校にいっているのが、即勉強していることを意味しない。先達の名著を熟読することが、即学んでいることに、ましてや考えていることにはならない。勘違いは失笑をかうまでですむが、それが思い込みにまでなると、まるで頭の乱視でもわずらったかのようになってしまう。
2022/1/26