今はどれほど違うんだろう(改版)

日本語がわからない。日本で生まれて日本で育って棺桶の蓋の影がちらちらする年になって、わからないということに気がついた。日本語で生活しているのに、思いついたことを書き残しておこうとしたら、句読点ひとつどう打つべきなのかはっきりしない。漢字にすべきなのか、平仮名のほうがいのか、それともちょっと強調した方がと危険を承知で片仮名にしてみるかなんてのは、たかが数行のうちになんどもでてくる。

わかりやすい例として数字がある。百均は100均ではなく百均だろう。百均と書いてニ、三行下で百円にしたはいいが、何行もしないうちに三百三十五円が、そして千五百二十三円がでてきたら、三三五円、一五二三円にするのか。それとも百均を100均にしてぜんぶアラビア数字にするのか。
ホテルの部屋が、たとえば1111号室(十一階の十一号室)だったとき、1111号室はもう固有名詞のようなものだけど、一一一一号室とするのもへんだろう。それが縦書きになるとますます厄介で、1111でも一一一一でも縦に並べると座りがわるい。領収書には宿泊代として税込みで7,150円と書いてある。それを縦書にすると、七一五〇円になる。ところが、一万円札で払うとき、一〇,〇〇〇円とは書かないだろう。
二三日を二、三日とするもの目障りで、できれば避けたい。文脈から分からないわけがないと思っても、なかには二十三日と読む人がいるかもしれない。うっとうしくても読み間違えがないように二、三日とすべきかと考えてしまう。
ただの数ですらはっきりしないのに文章ともなれば、自分の日本語が心配でなんて話ではなくなる。

人文系の知識というほど大袈裟なものでもない、普通の人たちにしてみれば常識にすぎないことだろうが、知らないことが多すぎる。あわてて、つけ刃でもと思って、谷崎潤一郎の『文章読本』を手始めに、あれこれ読んではみたが、サルでもわかるなんとかというような本もないし、近道がないことがわかった。気取ってない風を装って、ちょっと気取って、話すように書けばいいなんて言われて書けるものなら、文章読本の類なんか読みゃしない。
言葉は小手先のごまかしでどうにかなるようなものじゃない。考えてみればあたりまえのことで、それは文化の基本というより、文化そのもので哲学さえもが言葉の上になりたっている。

どの本にもきまって、歴史に洗われた名著を読め、名文にひたれ、そこからおのずと文章のありようがみえてくると書いてある。その通りと思いつくまま読んでいて、あの口の悪い(誉め言葉です)の丸谷才一の『文章読本』(中公文庫)があることを思いだした。慌てて読んでいったら、とんでもないものがでてきた。下手な要約は真意を損ないかねない。ちょっと長いが、書き写すことにした。(著作権侵害で訴えないでください。)

189ページ
  「たとえばここに、大内兵衛の『法律学について』の一節がある。彼は大学の法学部出身者の見識と覚悟が低いことを罵ってから言う」

「私は、こういった法律学徒の人生観・世界観なるものについて、イヤというほどその社会的意義を見せつけられたのは、昭和七年、八年より一〇年前後にかけて起った美濃部博士事件のいわゆる天皇機関説問題であると思っている」
「美濃部博士の学説といえば、大正八年より昭和一〇年までの日本における、政府公認の学説である。という意味は、この一五年間に官吏となったほどの人物は、十中八九あの先生の憲法の本を読み、あの解釈にしたがって官吏となったのである。そしてまた、その上司はそれを承知して、そういう官吏を任用していたのである。これは行政官だけのことではない。司法官も弁護士も同様である。しかるに、いったん、それが貴族院の一派の人々、政治界の不良の一味、学会の暴力団によって問題とされたとき、すべての法学会、とくにそれに直接した人々がどういう態度をとったであろう」
「上は貴族院議員、衆議院議員、検事、予審判事、検事長、検事総長等々により、下は警視総監、警視、巡査にいたるまで、彼等のうち一人も、みずから立って美濃部博士の学説が正当な学説であるというものがなかった。いいかえれば、自分の学説もまたそれであり、自分は自分の地位をかけても自分の学説を守るというものがなかった。もう一度いいかえれば、美濃部先生の学説はその信奉者たる議員、官吏のうちにさえ、その真実の基礎をもたぬものであった。だからこそ、彼らは、上から要求されれば自己の学説をすてて反対のことをやったのである。そしてそれについて自己の責任を感じなかったのである。何ともバカらしい道徳ではないか。何ともタワイのない学問ではないか。そんなことから、私はかたく信じている、日本の法学は人物の養成においてこの程度のことしかなしえなかったのであると。同時に、そういう学問ならば、いっそうないほうがよいのではないか。そのほうが害が少ない」

天皇機関説の詳細は知らないが、必要にして十分だろうというレベルの知識はあると思っている。ここで二つ気になることがある。
一つ目は、天皇機関説を断罪した人たち、東京裁判を前にして、どうしたのだろう。天皇機関説を是とすれば、天皇の戦犯容疑を回避できるが、そこまでの恥知らずというか、ウソでもなんでもご都合次第の徒党だったのか。

一つ目は呆れはてた、あまりにも情けない歴史の一コマですませることもできないわけじゃないが、二つ目は今のことで、気になってしょうがない。上は参議院議員から......巡査に至るまでの中核にどんと座っている今の知識人や教養のある人たち、かつての同族とどれほど違うのか。多くは仕事を通して知り合った人たちだが、早々に野に下った不器用な人たちを除けば、五十歩百歩のような気がする。
それはお前の思い違いだ。この痴れ者が、これこれこれこうでこう違う、と説明してくださる方がいらっしゃればと思っている。もしかしたら一人や二人奇特な方がいらっしゃるかもしれないと思いながらも、現実にてらして表題を「今も昔もたいして変わっちゃいない」と変えたほうがいいような気がしている。

明治維新以降、慌てて西欧からの文化や技術を取り入れたが、当時ヨーロッパで盛んに使われていた言葉を漢文の素養をもとになんとか日本語(?)に置き換えるのが精一杯だったろう。彼の地で使われていた言葉を生み出した歴史的社会的経緯や当時の政治経済状況との関係まで含めて理解する能力や時間があったとは思えない。当然のこととして言葉の上っ面を弄り回したやっつけ仕事が当たり前になった。そこから都度の都合でありあわせのペンキを塗って来たツケが回ってきたということでしかない。かたちの上での言葉。その言葉の上滑りのなかでそつなくその都度体裁を整える術に磨きをかけてきただけだから、事実に照らした論理的整合性なんて邪魔なだけだろ。

「美濃部先生の学説はその信奉者たる議員、官吏のうちにさえ、その真実の基礎をもたぬものであった。だからこそ、彼らは、上から要求されれば自己の学説をすてて反対のことをやったのである。そしてそれについて自己の責任を感じなかったのである」
なんどか読み返して気がついたのだが、大内兵衛の苦言、日本の文化の特異な性格に触れようとしていないように見えてならない。まさか気がついていないわけでもないだろう。真実の基礎をもたぬもなにも、責任を感じるも感じないも、そもそも日本には言葉の意味をつきつめないで、その都度適当に解釈する文化が、中国から漢文を持ち込んだときから脈々と続いている。砂上の楼閣のような日本の文化そのもののあやふやさに対する自省なくしては、日本の政治や学問から巷の日常生活に至るまで、自分たちについて語りようがないんじゃないか、と思っている。
ついでに言わせて頂ければ、言葉のあやふやさを問題にしだしたら、議論がなりたたない。成り立ちようのない議論もどきで、ときにはこれ以上のウソはないというのを平気で口にしてやり過ごしてきたのが日本の文化じゃないのか。大内兵衛にしてもこれを言いだすわけにはいかなかったろう。
2022/2/5