事業を立ち上げてはみたものの(改版)

八十六年に日米の合弁会社に転職してからの四年間、あれこれ雑務に近い仕事もあったが、重かったのは新型CNC(Computerized Numerical Control)開発プロジェクトだった。コマーシャルマーケティングとしてマニュアル作りを始めて直ぐわかった。プロジェクトは完全に崩壊していた。技術屋としての常識があれば、誰の目にも明らかだった。日本支社でエンジニアもどきにもならない素人が三年以上ままごとのようなことをやって、開発できませんでしたで終わった。そこでやめてしまえばいいものを、日本側の合弁相手の思惑に押し切られるかたちでクリーブランドの事業部が開発プロジェクトを引きつがされた。
新型CNCには、世界標準となった感のある日本製CNCとのプログラムの互換性が求められた。アメリカ本社にもイタリアの合弁会社にも、日本製CNCの詳細仕様が分かる人がいなかった。コマーシャルマーケティングとしてマニュアルの作成だけのはずだったのに、やり直しのプロジェクトではプロダクトマーケティングの主担当にされてしまった。クリーブランドに駐在してソフトウェアエンジニアリング部隊に細部の細部にいたるまでの開発仕様を指示する羽目になった。

五年の歳月と数億円かけて、一九八九年秋にはなんとかファーストリリースにまで持ち込んだ。リリースはしたものの、そんな基本機能だけのCNCなんか売れるわけがない。見込生産の旋盤やマシニングセンター用のCNCは、あっちで一台、こっちで二台というビジネスではない。月百台とはいかなくても数十台の標準採用か否か、言ってみればAll or Nothingのビジネスで、標準採用を検討してもらうためには、何年にも渡る赤字を覚悟のうえで、莫大な費用を一気に投入して日米欧の主要市場に販売・サポート体制を構築しなければならない。もし受注生産の特殊な機械に一台でも採用されたら、十年以上にわたって保守部品も含めてサービスを提供しなければならない。

やり直しプロジェクトの主担当にされたこともあってCNCには我が子のような思いがあったが、そんな思いでビジネスは続けられない。始めたところでいつ止めるかでしかない。それでもマーケティングとしては市場投入しなければならない。どうしたものかと思いながら準備をしていたら、アメリカの親会社が日本では販売しないと決めた。やっと開発の泥沼から抜けだしたのに、今度は市場開拓という泥沼に入っていかなければならないのかと思っていただけにほっとした。

ほっとしたまではいいが、販売しないとなるとやることがない。どうしたものかと思っていたら、とんでもない辞令がでてきた。「ドライブビジネスを立ち上げろ」
ドライブといってもピンとこない人が多いだろう。産業用制御機器屋でドライブといえば、一般にモーターの回転数(速度)を制御する装置を指す。交流用と直流用があるが、交流用をインバータと呼ぶことが多い。CNCのようにモーターの速度と位置を制御するサーボシステムに比べれば簡単なものだが、工作機械専用のCNCと違って、あまりに汎用で市場開拓と言われてもどこから手をつけていいのかわからない。

オイルショック以降、日本は国をあげて省エネを推進してきた。インバータ化もその一環で、世界でもっとも進んでいた。そこに開発したばかりのインバータが一機種だけで肝心のモーターがない。日本のご同業はモータ―とインバータのセットに制御盤やエンジニアリングまで提供していた。そのインバータにしても、〇・七五kW以下のものから三十五kWまでをシリーズ化して上手に作っていた。そこになんでこんなに大きいんだという厳ついアメリカ製のインバータ。同業の価格の二倍以上もして、競合などしようがない。

PLC(Programmable Logic Controller)を中心に据えた制御機器の営業部隊が日常的に見聞きするモーターはせいぜい五馬力(三・七kW)で、十馬力を超えるものはめったにない。まして百馬力だとか二百馬力の用途など、営業マンも代理店もエンジニアリングパートナーも誰も考えたことがなかった。ごつくて重くて高いだけのインバータ、どう考えても売れるわけがない。このままいけば来年にはレイオフだという噂話まで聞こえて来た。
本来営業部隊の後ろに控えて、営業部隊とその先の代理店やエンジニアリングパートナーを押し上げていくのが責務のマーケティングが、飛び込み営業を始めるしかなかった。市場があること、客がいること、そして今にも注文が出てくることを実証してみせなければ誰も動こうとしない。一人であれこれやっているうちに百馬力を越えれば日本のご同業より安いことに気がついた。大きなモーターを使う大きな機械ならと重厚長大産業や印刷機械やタイヤ製造設備ならと踏み込んでいった。

九十年代初頭には半導体の進歩と歩調を合わせるかのようなソフトウェア革命が誰の目にも明らかになっていった。制御機器の機能や性能が向上しても単体価格は落ち続ける。五百万円のPLCシステムに百万円のアプリケーションソフトウェア開発費はいいとしても、二百万円のPLCシステムに百万円のソフトウェア開発費はバランスが悪すぎる。ハードウェアの価格が半分になったからといって二倍売れるわけじゃない。単体製品の販売では営業コストに見合った売上を維持できない。ソリューションビジネスに脱皮しなければならなのに、代理店経由の単体販売しかできない文化で固まっていた。単体販売を継続しながらシステムビジネスの能力を作り上げる必要に迫られていることに誰も気がつかなかった。
モーターなしのインバータなんか売れるわけがないと思いながら、あちこち回って気がついた。単体製品ではなく、システムソリューションを求めている客がいる。市場はあるが日本支社が独力でシステムエンジニアリング部隊など構築できない。どうしたものかと考えぬいた末に、ミルウォーキー郊外にあったドライブシステム事業部を日本市場に引っ張り出すことを思いついた。

国内市場が飽和して海外市場にうって出なければならないところに円高ドル安で、重機械メーカもエンジニアリング会社も生き残りをかけたコストダウンに奔走していた。売れっこないインバータを引っ提げて出ていって偶然そこにい合わせた。時の運と関係者の協力と支援のおかげで、日本支社の売り上げの三割を占めるまでになったが、ほんらい営業の後ろに控えているべきマーケティングが先頭にたって市場開拓を進めれば、営業部隊との関係がぎくしゃくする。五十万円、百万円の案件を追いかけ回している営業マンを尻目にマーケティングが数千万円単位のリピートビジネスを構築してしまった。問題にならないわけがない。

一人で始めたシステムビジネスがやっと軌道に乗り始めて、人材もそろってきたと思っていたら、ドライブシステム事業部の手抜きにあってトラブル処理に追われだした。レイオフ間違いなしと思われていたのが起死回生のシステムビジネスで大成功、のはずだったがトラブルまみれのなかで解任された。七年間も走り続けて疲れ果てた。ニ、三ヵ月ゆっくりさせてくれと思っていたら、今度は六年間も製品開発をしてこなかった画像処理事業部の立て直しに走り回ることになった。三年かけて売上を二倍以上伸ばしはしたものの、十年前に開発したコンピュータ製品なんかんかいつまでももたない。

ケツをまくって辞めてから三年、画像処理事業部が画像処理専業の会社に売却された。四年後にはその専業メーカの日本支社で社長の右腕としてマーケティング部隊を牽引していた。
四年後にはアメリカのドライブビジネス専業メーカを吸収合併したことから、ドライブシステム事業部がおまけのように合併先に移管された。たまげたことに数年後には吸収合併した企業体を売却した。二万人以上の人たちが資本と経営陣の都合で右往左往させられた。

八十年代末から七年ほどの間にあまりに多くのことが錯綜しながら進んでいった。いくら思いだそうとしても、記憶の多くが三十年以上の歳月に風化されて、まるで発掘した化石の小片のように散らばっていて収拾がつかない。一つひとつを組み合わせていったが、どこもここも整合性があるようでないようで、どうにも落ち着かない。
三年以上なんとかしようとしてきたが、どうしてもうまくいかない。欠けたところをつなぎあわせて創作物にせざるをえなかった。事実がないわけではないが、事実ではないという読みもの『事業を立ち上げてはみたものの』になってしまった。
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2022/6/11