秋田弁、笑っていいものやら(改版)

先日、あるセミナーの懇親会で右に座っていた人からAIとは?という話がでてきた。一口にAIといっても、アプリケーションもさまざまだし、データ処理の本質(人が開発したソフトウェア)からみると、何がAIなのか見当もつかないことも多い。広告にはAIヘアドライヤーなるものがあるが、そこに搭載されたAIとはいかなるものなのか?ちょっと考えてみれば、どの程度のものなのか想像もつこうというので、Artificial Intelligence=人工知能と呼ぶほどのものであるわけがない。

一般論でしかないが、画像処理屋として禄を食んでいた経験から、顔人称(画像処理)を例にしてAIの技術的な本質について拙い説明をさせて頂いた。経済学をご専門とする方だったが、仕事かなにかで関係することでもなければ、十分ご理解を頂いけたと思っている。話も終わって前に並んでいたつまみをつつき出したら、右斜め前にお座りの年配の方が、ちらっとこっちに目をくれてから、右隣の人に小さな声で何か言っている。細かなことはわからないが、「話が早くて分からない……」が聞こえてきた。
まあ、よくある話でなにも驚きゃしない。ちょっと物理や技術的な、あるいは経済や思想に関する話になった途端、手持ち知識ではわからないということからなのか、情報処理機能を停止してしまう人がいる。そぶりからしかわからないが、理解できないのは話の速さ云々よりキーとなる用語を知らないからとしか思えないことが多い。

確かに話は速いだろうが、もう若い時のような速さはない。ニューヨークに駐在していたときに甲状腺機能亢進(バセドウ病)を発症して、慌てて帰国して手術した。その結果、甲状腺ホルモンが極端に減って全てが鈍った。三十歳だった。首を切って一週間、退院しようとしたら、ろくに食べてないのに太ってしまって、ズボンが腿で引っかかって上がってこなかった。基礎代謝が落ちて、歩く速さも話すのも自覚できるほど遅くなった。三十半ばで転職した会社の大阪支店の営業マンからは話が速くてついていけないといわれていたが、それは関西弁基準のまったりした速さを基準とした話だろうとしか思えなかった。
東京の下町で生まれて職人文化の言葉で育ったが、小学校一年で田無に引っ越して下町の言葉から東京の普通の話し言葉になった(はず)だと思っている。速いと言われても、東京弁とでもいったらいいのか東京の方言のせいで、どうしようもない。それは東京の日常会話の言葉で東京弁、「標準語」なんていう気はない。

みんな東京弁を使いやすくした日常語を共通語として話している。地方の方言で育った人でも方言を同じくしない人たちとは、意思疎通を円滑にするために共通語を使わざるを得ない。学術用語や専門用語は伝統文化などの特殊な場合以外は方言とは関係なく共通語として使われている。誰も全てを知っているわけではないが、共通語での話についていけないのを話の速度のせいにするのは、どこか筋違いのような気がしてならない。
いまは昔と違って、これなに?と思うとき専門書を探すこともない。Googleのおかげで、知らない業界のことでも専門外の領域のことでもインターネットで手軽に調べられる。調べる習慣のある人は専門外の話にもついて行ける可能性が高いだろうし、逆も言えると思っている。

こんなことを考えていたら、なんとも説明のしにくいおかしなことに気がついた。祖父の時代までで、今はもう聞くこともなくなってしまった東京の下町の職人の立て板に水とでもいうのか、ちょっと荒っぽい、いなせな話しっぷりを聞いても、その抑揚のない、スッとした口ぶりについていくのが苦しい。きちんとついていったとしても、話しっぷりや口調から笑いを誘われるとは思わない。それは元々の母語が似たようなものだからなのかもしれないと思う一方で、じゃあ地方の人が聞いたらどうなんだろう。つっぱって品のない言葉に聞こえるかもしれないが、笑いはしないだろう。ところが、東京の人間だからということではないと思うのだが、下記のYouTubeで聞く秋田弁にはどうしても笑いを抑えられない。
<秋田県方言>
https://www.youtube.com/watch?v=NXXFDocbhFU

秋田弁で生活してきた人や秋田弁に近い方言で育ってきた人、あるいは秋田弁に慣れた人には当たり前の口調で、特殊なケースでもなければ誰も笑わないだろう。
個人のじつに勝手な想像なのだが、東京で生まれ育った人なら、笑うことが差別になる可能性を分かっていても、ほとんどの人が笑いをこらえられないだろう。笑いを誘うことを目的としてのYouTubeなんだし、細かなことを気にせずに笑えばいいじゃないかと思いはするが、どうも差別云々で後ろ指を指されるような気がして、こらえた笑いになってしまう。
では、共通語を母語としない方言で育った人たちはどうなんだろう。たとえば関西や九州の人たちもおおらかに笑うのか、それともうっとこらえて俯いて隠れ笑をするのか、それともちっともおもろくないのか?気になってしょうがない。

「ちきゅう座」に掲載して頂いた拙稿『「ふてぇ野郎」と「不逞老人」』に書いたが、方言に対する差別意識はない。
『全国アホ・バカ分布図』(新潮文庫)、松本修著にあるように、各地にみられる方言は日本の貴重な文化遺産だと思っている。
http://chikyuza.net/archives/117305
2022/7/17