ただのツッパリ?(改版)

東日本大震災までの六年間、新浦安駅前のオリエンタルホテルの真裏にあるエルシティに住んでいた。エルシティは十数階建てマンションが七棟もある大きなマンション街(?)だが、駅からの騒音は大きなオリエンタルホテルとブラトンホテルにさえぎられて静かなところだった。駅の反対側はダイエー(現イオン)を始めとするショッピングセンターがあって華やいだ街だった。映画館もあればHISやブックオフまで揃っていて、駅周辺で日常生活が済んでしまうところだった。
駅に近い棟で、不動産屋の言では駅まで徒歩二分。玄関をでれば直ぐそこにオリエンタルホテルの和洋中華それぞれの大きなレストランにクリーニング屋や美容院まであって重宝していた。隣駅にはディズニーランドがある。電車なら五分、自転車でも二〇分もあれば着く。年パスもって土曜日の夕方ちょっと行くかという感じで夕飯に出かけていた。

そんな穏やかな日常に数百人の団体客がわっと押し寄せてくることがある。地方の中学生や高校生の修学旅行で、シーズンともなれば、二、三日おきにその数百人が入れ替わる。流石に結婚式場になっているチャペルの周りで騒ぎになることはないが、ホテルのコンビニから駅への陸橋には、駅の向こうに小冒険にでかける仲間を待っているのか、生徒たちのグループが群がっていた。
仕事帰りでそんな集団に出くわすと、陸橋を渡るにも集団を一つずつ右に左に?分けるようなことになる。外出時には制服着用が規則なのだろう、みんな制服姿だった。六十年代末の学園の余波で、東京高専(母校)でもやっと制服制帽から解放された思いがあるだけに、制服には軛のイメージしかない。

制服が進学校を決める際に副次的にしても判断基準の一つになって久しい。そのせいもあってか、詰襟やセーラー服が妙に新鮮に見える。制服なんか夏服と冬服を揃えるだけでもかなりの出費になる。替えまで用意でできる家庭は多くないだろうから、どうしてもワンシーズン着たきり雀を避けられない。若いだけに基礎代謝も盛んだろうし、発汗も多いから清潔に保つのも難しい。個性を尊重した教育なんて言うんなら、さっさと制服なんかと廃止してしまった方がいいと思っているが、私服にしたらかえって高くつくと心配する人たちもいる。

目にする制服を努めて素の気持ちで見ようとしていたが、どうみても野暮ったいし垢抜けない。どことなくタイムスリップ感が漂っている。たかが時の流行に支配された些細な文化の一面じゃないかと思いはするが、そっちに一緒にという気にはなれない。
今風にいえば、イケてない制服の集団群の中に、たまになんでそんなふうにとしかいいようのない、へんにいじった制服をあたかも自分ちのアイデンティティのように着込んだ集団がいた。詰襟の上着の丈が不自然に長かったり、だらしなく下がったズボンからワイシャツをはみ出して、ニッカポッカ作業着もどき……。

中学や高校の若さで体制に上手に順応して、大勢に紛れて波風たないところに身を置いてなんのに将来があるとも思えない。体制や大勢に反発するのは結構。どんどんおやんなさいと応援したい気持ちがある。でも、なんで制服の変形なのか。どうせ突っ張るんなら、修学旅行なんて「おのぼりさんの団体旅行」じゃないかって、すっぽかすぐらいの気概はないのか。制服をいじってサマになってるなんて粋がってるようじゃ、どうころんでも地場の不良が精々。どんな社会の住人になったとろことで、チンピラかその使いっぱしりにかならないんじゃないか。
東京という巨大都市から発信される時々の商業主義に乗せられて右往左往してたら先がない。もって生まれた地の文化をもとに自分たちの文化をという考えが多少でもあれば、制服なんかに手を入れてにはならないだろう。そんなもん、ただのツッパリじゃないのか。

こんなことを思うのも歳のせいかもしれないが、振り返ってみれば制服着せられて制帽かぶらされて、うんざりしていた自分がいたのも紛れもない事実。もうすっかりカジュアルになって清々してはいるが、大勢から距離をおこうとする気持ちは強い。いい歳をしてツッパリでもないと思いはするが、もって生まれた育ったときに身についた性質は変わらない。
2022/8/4