傍目を気にしない親切(改版)

九十五年の秋口、画像処理のなんたるかを知るためにACのインディアナポリス支店にでかけた。レンタカーを拾って予約しておいてもらったモーテルに向かったが、よそ見運転していてもぶつかるもののない道路で気持ちまでだれてくる。こんなところで生まれて育ったら、おおらかなでいい人にはなっても、東京のラッシュアワーにもまれて仕事をできるようにはならないだろう。
インディアナポリスは大きな環状高速道路465に囲まれている。環状線をインターステート・ハイウェイ・ルート(以後ルートに省略)65が北西から南に、ルート70が東西に、北西から南東にルート74が抜けていく。そこに北東からルート69が、南西からルート74が入ってくる。インターステートハイウェイの番号は二桁で、東西に走る線は偶数で、南北は奇数となっている。三桁は下二桁の支線を表している。
広大で平坦な土地に計画的に作ったからだろうが、これだけのインターステートハイウェイが集まっているのにニューヨークのようなゴチャゴチャ感がない。路地を抜けるようにして育った日本人には広すぎてつかみどころがない。走っていると方向感覚がおかしくなる。

十数人の研修者を前にしてトレーナが開口一番、真面目くさった顔で「Welcome to the center of the earth」に続けて「We are now Indianapolis, the center of the earth」。Center? 何を馬鹿なことを言ってるんだと、つい隣の人の顔を見てしまった。ダレたセミナーになるのがわかっていたから、最初だけでも注意を引きたいがための冗談だったと思っていた。後日トレーナと同僚の数人で話していて驚いた。どうもインディアナポリスに住んでいる人たちは、見渡す限りの草原の中にポンと出現したかのようなインディアナポリスがご自慢らしく、Center of xxxと言っているらしい。

画像処理システムは、六、七年前に開発されたハードウェアにソフトウェアで図体だけはデカいが、機能も性能も数世代前の代物だった。ご同業の画像処理はどれもPCボード一枚か片手で持てる大きさなのに、両手に余る大きさと重さ。こんなもの博物館でも展示スペースを食い過ぎるといわれるんじゃないかという不格好な、くすんだ黒い箱だった。
トレーナはアプリケーションエンジニアで、画像処理がどのようなプロセスで取り込んだデジタル画像データを処理しているかについては、ほとんど何も知らない。こう言ってしまうとちょっと失礼になるが、自動車教習所の教官を思い浮かべればいい。自動車がどのような仕組みで動いているかについては運転に必要なところまでで、それ以上踏み込むことはない。自身の体験をいくつかなぞるだけで、画像処理そのものの説明がろくにない三日間のトレーニングで、さっさと流してしまえば二日でお釣りがくるものだった。PLCやモーションコントロールのように大きな事業部なら専門の講師も雇えるが、画像処理事業体にはそんな予算もないのだろう。

セミナーがだるいと、全てがだれる。二日目のセミナーが終わったら、韓国支社のソウル支店からきたアプリケーションエンジニアに相談された。「モーテルまで送ってもらえないか」聞けば、社内規定でレンタカーを借りられないから、誰かにモーテルの行き帰りのお世話にならなきゃならないという。だったら夕飯にステーキにでもと出かけた。世間話に夢中になっていて、ついステーキハウスの駐車場でエンジンをかけたままロックアウトされてしまった。慌ててもしょうがない。出来ることは限れている。心配しきりの同僚を横目にステーキハウスのマネージャに状況を話して、レンタカー屋に電話を入れてもらってロックスミス(錠前屋)を手配した。ロックスミスの手配がつかないで、ガソリンがなくなってしまうなんてことにはならないだろうから放っておきゃいい。車のことなんか忘れて韓国支社のことや日本の状況を話しながら飲んでいたら、ロックスミスが来てなんということもなく開錠してくれた。

午後遅いフライトだが、モーテルにいてもやることがない。早々にエアポートにいって、見てもしょうがない店でも見てまわるかとチェックアウトした。エアポートに向けて走っていたら、大きなショッピングモールがでてきた。女房に気の利いたブランドの二つ折りの財布を買ってこいと言われていたのを忘れていた。日本で売ってる二つ折りの財布では、ありすぎるカードを収納できない。二人ともアメリカ、ときにはヨーロッパのブランドのものを使っていた。時間は十分すぎるほどある。さっと降りてモールに入っていった。よくある四面にデパートの入ったフルスケールのモールだった。あちこちみて、これなら女房も納得するだろうというものを見つけてほっとした。まだまだフライトには早すぎるが、さっさと行ってしまおうとモールからでて、停めておいた車に歩いていった、つもりだった。あちこち歩いたが車が見つからない。もしかしたら、入っていったところとは違うところから出てきたのかもしれない。モールに戻って違う出口から出て、こっちかもしれないあっちかもしれないと歩き回ったが見つからない。モールの四面にある広い駐車場を見ていったが見つからない。どれも歩き続けられるような広さの駐車場じゃない。時間はあるが、いつになったら見つけられるのか心配になってきた。でも探すしかないとトボトボ歩いていたら、後ろから来た車から声をかけられた。なんどか見た車だった。なんで駐車場をのろのろ走っているんだろう、おかしなおじさんだと思っていた。
「どうした、車が見つからないのか」
「さっき停めたんだけど、どこに停めたのか分からなくなっちゃって」
「まあ、たまにあることだ。乗れ」
乗れ?なに?と思っていたら、
「歩いて探したら大変だろう。早く乗れ。探しに回ってやるから」
なんで駐車場を回ってるのかと思ったら、奥さんが買物から帰ってくるのを待っているんだけど、モールに近いところは空いてないし、あっちの遠くの方に停めて歩いていくのも面倒だから、だらだら動かしてるんだという。
笑いながら、これもHoney do listの一つだからという人のよさそうな田舎のおじさんだった。周回にも慣れていて、見落とすことのない速さでサーっと回ってくれた。十五分ほどで見つかって、なんどもお礼を言ってエアポートに向かった。

アメリカでは何度も素の親切をうけたが、とくにこれはと思うものがもう一つある。ニューヨーク支社に赴任した七七年の夏、クリーブランドの客で事故を起こした。数百キロはある鉄の塊りを膝の上に落として、倒れたまま立ち上がれなかった。救急車でクリーブランドクリニックに担ぎ込まれた。幸い打ち身だけで数時間後にはびっこを引きながらも歩けた。やっとの思いで、ニューヨークのラガーディア空港に戻ってきたが、広い駐車場の隅に停めた車までびっこを引きながらが苦しい。足が不自由なのをみて、バスの運転手さん、停留所以外では停めてはならない規則を無視して遠く離れた車まで乗せて行ってくれた。同乗していた客がどう思っているのか気になって、ざっと見わたしが、誰もがこの親切を当たり前のことだという顔をしていた。このときのことは「男の向こう傷―はみ出し駐在記(12)」に書いた。
http://chikyuza.net/archives/52279

ある日、調布から新宿に向かっていた。もう三時も回っていたからだろう、席は空いてはいないが立っている人もたいしていない。急ぐわけでもないから各駅停車に乗って本を読んでいたら、乗ってきた人が前に立った。靴からして女性で何気なしに見上げたら、三十を出たあたりのふっくらした女性だった。あれ、もしかしたら赤ちゃん?いや、ただちょっとふっくらしているだけかもしれない。気になって、ちらちら見たが、どっちなのか分からない。赤ちゃんだったら席を譲らなければと思いながら、もしただのふっくらさんだったらどうしよう。そんなんで席を譲ったら、叱られそうだし。こんなどっちなんだろうと悩むこともめったにないが、席を譲らなきゃと思う時、周りの人たちがどう思うかが気になってしょうがない。席を譲られてもおかしくない年になって、下手に席を譲ると周りに座っている若い人たちや同年配に見える人たちはどう思うのか、と周りを気にせずには席一つ譲れないのはどうしてなんだろう。

親切一つにも周りの目を気にしなければならない日本と周りに目があることなど考えたこともなく素のままの親切があるアメリカ。この違いはいったいどこからくるのか。
2022/8/13