大ロシア帝国と共産主義とロシアの行く末

二月からだからもう一年ちかくになるが、ニュースを読んでいて、しばしなぜこんなことになっているのかと考え込んでしまう。知っている人たちや分かっている人たちには、起こるべくして起きていることでしかないのだろうが、巷の一私人、情報も知識も限られていて、どうにも説明しきれない。若い頃から持ち続けている理解というのか、思いこまされていたというこということでしかないのかもしれないが、こうだろう、こういうことでしかないのだと結論をだしてしまうのが怖い。

つらつら考えていて、確か藤村信が雑誌「世界」に寄稿していた「パリ通信」を整理した単行本があったはずだと思いだした。書かれていた内容は忘れてしまったが、今の自分の思考のいくらかは間違いなくパリ通信が核になったはずと思っている。何ヵ月かに一度世界に掲載されたパリ通信が待ち遠しかった。もし、子どもが生まれたら、信と名づけようとまで思っていた。それほど藤村信に傾倒していた。

図書館の蔵書に『ユーラシア諸民族群島』を見つけて借りてきた。1993年6月25日 第一刷発行とあるから、書かれたのは三十年以上前になる。藤村信の独特な書き言葉が懐かしい。つらつら読んでいって驚いた。今日のロシアの、ウクライナの、バルト三国や東欧、そして中央アジアからバルカン半島、さらに中近東で起きていることを予言したかのような内容だった。
本の紹介なんて恐れ多くてできない。内容を端折って整理してなんて能力もない。全編にわたって、考えさせられることが多すぎる。藤四郎にできることは、藤四郎なりに気になったところを書き写すぐらいでしかない。それにしても、あれもこれもというわけにもいかない。下記一つで、全体の様子は察しが付くだろう。

P28
ソ連とその共産主義体制が死んだのは、諸民族の存在を理解できなかったからであると、まず、言うことができるでしょう。ソ連と東ヨーロッパのなかには多種多様な諸民族があって、かれらが世界の共同体のなかでみずからの運命を自由にきめていきたいと希望していることがわからないし、そう理解することをゆるさない教義の体系であったのです。
ロシア共産主義が諸民族の抑圧と同意語であることをもっとも痛切に実感したのは、戦後の東ヨーロッパ諸国の市民でした。スターリンはチトーの反抗をナショナリズムと非難しましたが、たしかにチトーをささえたのはユーゴスラヴィアを形成する諸民族のナショナリズムでした。スターリンの死後、東ヨーロッパとソ連のなかにおこったクレムリンに対するあらゆる反抗は一九五六年ブダペスト市民の蜂起から、ポーランドの《連帯》を経由して、バルト三国の離脱にいたるまで、ことごとくが民族意識の色彩をつよく帯びた運動でした。
ロシア共産主義が支配圏のなかの民族の現象をいたるところで誘発させた原因とさぐることはさしたるむずかしい課題ではありません。ソ連に成立した共産党体制というのは、ロシアをすべての上におくという一点において皇帝時代の神聖ロシアと少しも変るところはありません。それは共産主義に名を借りた大ロシア主義でした。スターリンがかれのナショナリズムを「一国社会主義」と命名してソ連の国是としたときに始まって、そして社会主義の祖国をまもるために、いわゆる大祖国戦争(第二次世界大戦)を戦って勝利をあげたときから、共産主義はまごうことなき大きな大ロシア主義の異名になりました。
そしてこれは歴史の逆説といってもよい、ひとつの運動法則ですが、大ロシア主義がソ連とその版図のなかの諸民族の現象を鎮圧し、窒息させようとすればするほど、ソ連の共産主義は皇帝の時代とまったく同質の大ロシア主義に転化していきました。クレムリンが東ヨーロッパでおこなった皇帝支配の様式は、ソ連内部でおこなわれてきた帝国支配の延長にすぎません。ロシア共産主義のイデオロギーは、アーリア民族主義のイデオロギーとほとんど変わるところはありません。
あらゆる共産主義の到達地点はどこもおなじであって、それは国権ナショナリズムとなづけてしかるべきものです。ソ連共産主義が到達したように、中国共産主義は漢民族中華思想に変化していきます。


マルクス主義はマクロ経済学の一つ体系であると同時に政治思想でもある。その政治思想の基礎には社会を階級としてみる視点がある。この視点が階層社会のありようを明確に描きだす力を生み出すが、それが民族問題(あえて言えば個人も)を軽視する弊害を必然としてもたらす。国民国家が現代ヨーロッパを作り上げる基礎となったが、多くの国民国家は単一民族から構成されているわけじゃない。スペインはいうにおよばず、フランスでもベルギーでも、イギリスでも民族が自立を求めて国民国家の存続を脅かしている。それが極右勢力の政治基盤となっている。
戦後独立した多くの発展途上国も大変だが、ロシアほどどうにも手のつけようのない国はないだろう。大ロシア帝国の時代から東欧から極東まで支配を広げてきたが、その結果として民族と人種と部族と宗教の、さらに時の権力者の無定見な施策がうんだ、歪んで収まりのつかないジグソーパズルのような始末におえない国をつくりだした。ソ連崩壊どころか大ロシアが歴史上の産物になる日が近いだろう。ロシアの大ロシアへの勝手な思いが、ロシア人自身も含めて、多くの人たちに災禍をもたらし続けてきた。それは小さなロシアを自認するまで続くだろう。

p.s.
ロシアの、ウクライナのことを口にするには、『ユーラシア諸民族群島』が必読の書だと思っている。もうちょっと早く思いだしていたらと悔やんでいる。
2023/1/19