「民主主義」あっての社会主義や共産主義(改版)

学生運動から文化的、物理的に離れたところにいただけで、ノンポリってわけじゃなかった。職業訓練校の詰め込み教育に疲れて、参加する機会もないまま社会に出てしまった。何を知っているわけでもなかったが、卒業したときには、世間一般の目で見ればかなり左によっていた。それなりに本や雑誌は読んでいたし、今も読み続けているが、如何せん能がなさすぎる。古希を過ぎても、未だに何が社会主義なのか、なにが共産主義なのかよくわからないでいる。

二十歳で就職した工作機械メーカで目にしたのは、本や雑誌に書いてあったものとは全く違う世界だった。労働者とは労働組合とはこういうものなのかと腰を抜かすほど驚いた。労組幹部は、会社との馴れ合いのなかで労組を昇進への裏階段として使っていた。組合委員長にいたっては、会社の支援まで受けて我孫子市議会に立候補するつもりだった。若い工員たちは、学歴コンプレックスもあってのことだろうが、ニュースで見聞きする学園紛争に憧れていた。やり場のないエネルギーを抱えたねっかえりで、これという思想もなければ考えもない。労働運動だとか社会主義なんてものは言葉として知っているだけだった。青年婦人部の集会のたびに、お決まりの「がんばろう」や「インターナショナル」に続けて、さあという感じで姿勢をあらためて「同期の桜」歌っていた。

入社して数ヶ月経ったとき、はじめて組合総会で委員長の長話を聞かされた。しっかりしたよく通る声はいいが、何をいっているのか分からなかった。「われわれ労働者としましては…」「…と考えている次第ではありますが、」「従いまして、昨今の経済事情も踏まえ…」「この不景気を組合員一丸となって…」。定型句を並べているだけで、三流政治屋のゴタクと何も変わらない。いつまで続くんだと時計をみたら、十五分も経っていた。意図不明の雑音を聞き流して壇上でわかったような顔をしている組合幹部と世間話に興じる工員たち。時間が過ぎるのを待っているだけで、誰もまともに聞いちゃいない、というより聞きようのない話だった。
それは班会議でも同じだった。上からの連絡事項を聞き流すだけで誰も何も言わない。何か言えば責任が生じる可能性がある。みんな面倒なことはイヤだし、何を言ったところで、したところで何が変わるとも思っちゃいない。労働者とか労組なんて他人事のように思っている。中には職人気質でいい仕事をという人もいたが、大勢は残業代稼ぎと手を抜くことにしか興味がない。社会主義の理念や理論や思想なんてのは、どこかのだれかのお飾りぐらいにしか思っちゃない。
翌年にはオイルショックで帰休制が始まった。民間企業の労組にはストライキどころかデモする元気もない。総評(社会党)の方針だったのだろう、官公労が「国民春闘」と銘打って、民間企業の労働者の分も俺たちがという時代だった。不景気をもろに受ける工作機械メーカとしての日立精機とその労組、特殊性はあるにせよ、労組としても組合員としても当時の日本の社会によくあった風景だったと思っている。

沖縄が返還されたとき、沖縄が必要としていたのは鉄道などの社会インフラの充実であって、海洋博なんてお祭り騒ぎじゃない。ところが、日立精機では労組が音頭を取って、海洋博ツアーを給料天引きで組んでいた。組合員の多くがなんの疑問を持つことなく参加していた。なんてやつらだって腹が立って、組合総会でマイクをとって委員長に食ってかかった。入社二年目にして、こんなことしてれば、遠からず左遷になる。四年目に入ろうかという時、輸出業務専門の子会社にとばされた。
左遷の辞令がでる半年ほど前に活動家の一人が社員食堂の脇で唐突に言ってきた。「おい藤澤、なあ、こっちにこないか」なんのことかわからずにいたら、「ミンセー(民青)じゃない。最初からピー(P=Party=党員)のつもりだ。どうだ?」ミンセー?ピー?なんのことかわからない。周りを気にして小さな声で言い返した。「なんだ?」おいおいお前なーという顔をしてぼそっといわれた。「ヨヨギ」ああ、そういうことかとやっとわかった。まあ似た者同士だろうし、労組の連中よりは付き合いやすいだろうと思った。 委員長とやり合ったこともあって、もう労組には居場所がない。自分の意見を言わない人たちや胸をはって「同期の桜」を合唱する人たちとは一緒にやっていけない。

理念や理論はわかる。ただ党活動というものがこんなにめんどくさいものだとは思わなかった。たまに養父から党活動のことを聞いてはいたが、聞くとやるとでは大違い。日本共産党は絵に描いたような上意下達、有無を言わせぬ体制でやってられない。何をどうみて、どう考えて、何を言うのかを決めるのは党。それがマルクスを始めとする先達が描いた理想の社会で、共産主義理論なんか?馬鹿馬鹿しくて話にならない。毎週の班会議でああだのこうだの言い合って、異端児だった。自分の意思で、みなきゃならないものを、どうみるか、みたものから何を考え何を言うのか、全て個人の責任でしなきゃならないことで、上から言われた通りなんて莫迦な話はない。未結集党員のままだが、もうとっくに除籍になっているだろう。

本や雑誌を見れば、理論や理念や思想……なにもかも理路整然と書いてある。本や雑誌の世界にいれば、碁盤の目のように単純明快、疑問の余地もない。微妙な違いを気にする人でもなければ、さしたる疑問を持つこともない。ところが一歩社会にでてみると、数日のうちに本や雑誌にあった地図も案内図も現実とかけ離れていることに気がつく。そんなものを金科玉条としていたら、間違いなく遭難する。気がつかないのは、かなり強力な重力にでも引きずられた幸せな(寂しい)人たちか、現実の社会から離れた理念や理論の世界で生きてるか、禄を食んでいる人たちだけだろう。

かつてのソビエトやその衛星国家だった東ヨーロッパの国々で、今のロシアや中国で起きてきたこと、そして今もおき続けていることが マルクスを始めとする先達が思い描いた理念や理想にそったものだと言えるのか。先達が夢見た社会主義や共産主義が現実として生み出したのが官僚や軍の独裁、強権恐怖支配、上意下達で自分の意思で見ることも考えることも話すことも許されない社会なのはどういうことなのか。何が社会主義なのか共産主義なのか、二十歳のころから数十年、未だに分からない。

秘密警察の監視のもとで親兄弟まで密告することを正しいとする社会。素朴な疑問を冗談まじりで口にしたら反逆者として極刑に処せられる国なんか冗談じゃない。人のありようからあまりにも逸脱したロシアも北朝鮮も中国もかならず崩壊する。時間の問題でしかない。本や雑誌で理念や理想を説き続けていらっしゃる先生方にお願いがある。社会主義とはなんなのか、共産主義とはいったいなんなのか教えていただけないでしょうか?
最初にお断りしておきますが、教科書のような話しはなしですよ。そんな話、単位がほしい学生でもあるまいし、お聞きしてもしょうがないでしょう。お聞きしたいのは、理念と理想が結実したはずの目の前の社会を例にとりながらの話しです。数十年にわたって悩んできた古希を過ぎたじいさんが相手ですから。
いらぬ心配だとは思いますけど、念をおしておきます。反資本主義、反帝国主義、反新自由主義、反金融資本主義、反、反、反を唱えたとして、じゃああんたは何をどうしたいんだ?みんなにわかるように全体図を描いて見せなられなければ、そしてなによりも、その理想に辿りつくための具体的な実行可能なプロセスなしでは、なにもつくり得ないでしょ。まさか、こっちの反、あっちの反、あれこれの反を集めれば将来の社会のありようを描けると思っているわけじゃないですよね。

機械屋になりそこなった便利屋で何を知っているわけでもない。浅学菲才の身をわきまえずに言わせていただければ、次の要素がそこそこ備わっていなければ、まともな社会にはなり得ない。情報開示、報道の自由、政府や官僚から住民への説明責任の徹底、三権分立の確立(他の構成が思いつかない)と三権のトップの公選制、利益相反の徹底した防止、少数者の権利の保障、発言の自由、経済格差を抑える施策……と並べていくと、一言で言ってしまえば、広い意味での「民主主義」にまとめられるような気がする。目の前の、歴史的に存在した社会主義も共産主義もこの「民主主義」を圧殺することでしか体制を維持できないように見える。そんな「民主主義」のない社会主義や共産主義は誰にとっても――政権闘争のあげくに粛清を恐れなければならない支配者層にとっても決して住みやすい社会じゃないだろう。
「民主主義」のない社会主義や共産主義はなりたたない。民主主義あっての社会主義であり共産主義ということじゃないかと思っている。どうなんでしょうか?
2023/7/2 初稿
2023/8/23 改版