ジャーナリストvs外交官(改版)

あれこれ漁っていたら、興味深いものがでてきた。もう三年も前のものだから、ご存知の方もいらっしゃるだろうが、愚生のようにはじめてというという人もいるかもしれない。
「駐英中国大使、BBC番組でウイグル人の強制収容否定 ビデオを見せられ」
https://www.youtube.com/watch?v=166ZyVlBG2Q

YouTubeを見て、改めて昔テレビでみたアメリカのジャーナリストの凄まじいエネルギーを思いだした。
二十五歳からの三年間、ニューヨークに駐在して毎週のようにアメリカの東半分を駆けずり回っていた。一日の仕事終えてモーテルに入った時には、立っているのも億劫なほど疲れきっていた。さっとシャワーを浴びて後は寝るだけ。なにをするわけでもなく、テレビをつけてぼーっとしていた。どのチャンネルもコマーシャルが多くて、やっと番組に戻っても、見てもしょうがないものばかりだった。そんなテレビでしかなかったが、記憶に残った番組が三つある。そのうちの一つがキッシンジャーの対談番組だった。

朴大統領を訪問して帰国したキッシンジャーにテレビ局が噛みついた。わざわざ韓国まで行って、人権無視も甚だしい軍事独裁政権の首魁を賞賛してきたことから、スターニュースキャスターの格好の標的にされた。アメリカのジャーナリズムの世界では、政治や経済界の大物をどれだけ厳しくとっちめられるかが、ジャーナリズムの世界の階段を上がってく最も正当な手段と考えられている。地方局で実績を積んで、大都市へそして全国ネットのテレビ局に辿り着ける。

今夜の生贄はいつもにもまして美味しいキッシンジャー。視聴者にも分かり図や表に具体的な数字をいれこんで準備万端。対談が始まった途端、キャスターの詰問につづく詰問で、さしものキッシンジャーも躱しきれない。訊かれたことに応えずに関係のない話題を持ち出しては元の話題に戻されていた。全くかみ合わないまま時間が過ぎて終わった。ニュースキャスターはしてやったりで満面の笑み、キッシンジャーのみっともない作り笑いが同情をかったかもしれないという番組だった。

アメリカでは社会的、政治的、経済的……立場のある人は巷の人々から寄せられる疑問に公の場で真摯に答える責任があると考えられている。いわゆる説明責任で、その責任をまっとうする場をマスコミをつかってジャーナリストが提供している。キャスターは一人で対談番組の席に望むわけじゃない。キャスターの背後には辣腕のジャーナリストからデータや情報を整理して用意する人たちがいて、キャスターの丁々発止のお膳立てをしている。戦争と同じで前線の兵士の能力以上に銃後の能力が雌雄を決める。
NHKで自信満々でスターキャスターの感があった木村太郎が、フジテレビに移籍したとたんにかつての輝きがなくなったのを覚えている人もいるだろう。なんであそこまで精彩を欠くことになったのか。素人の想像でしかないが、フジテレビに移籍しても木村太郎は木村太郎で変わりはない。変ったのは銃後で、それがNHKからフジテレビに代わった。
従業員数十万人を誇る大企業の経営者でも、公開処刑のような対談番組に引っ張りだされて、辻褄の合わない状況を指弾される。引っ張り出すのが大物であればあるほど、テレビ局は出来る限りの準備に余念がない。そしていざ対談となれば、視聴者に分かり易い構成で話を進めていく。キッシンジャーですら完敗だったのに、社長や経営トップが太刀打ちできるわけがない。

もう二つ、アメリカのテレビでみた対談番組をあげておく。
大手航空会社の社長が呼び出されて、なんで三月前に予約すればこの値段で、ひと月前はこの値段なのか。それが一週間前だとこの値段……。値段が違い過ぎる。どれが本当にあるべき値段なのか、利用者にはなんとも分かり難い。本当はもっと安くできるのではないか?テレビ局は詳細なデータを集めて準備をしてきていた。
航空会社の社長、自社のことでも何から何まで知っている訳ではない。的を射た質問に抗弁する準備ができていない。先に言ったことと次に言っていることに矛盾があるのに気が付いて、歯切れが悪くなる。何度も答えにつまって、しどろもどろになる。そんなインタビューを受ければ、社長としての能力に疑問を呈されかねない。それでも呼ばれれば、あるいは呼ばれなくても公の場に説明しに出てゆかなければならない。

ロングアイランド・リムジンという空港行きのバスを運行している会社があった。何時も混んでいて、この値段ならぼろ儲けじゃないかと思っていたら、ある日、社長がローカルテレビ局に招待されていた。事業が成長軌道にのって優良企業ですね、と世辞ともつかないことから始まったが、一言で言えばもうけ過ぎ、利用者への利益還元の意味も含めて値段を下げるときじゃないかとアンカーマン。それを聞いて、社長からは用意してきた答えで応戦するが、答えになっていない。アンカーマンにしてみれば、返ってくる答えは想定内のことで、問答練習でもしてきたのではないかという感じで社長を詰めてゆく。最後はお互い社交辞令で終わったが、数ケ月もしないうちに運賃が半分近く下がった。

ジェファーソンの言葉「新聞なき政府より、政府なき新聞の方がいい」がアメリカとイギリスではしっかり生きているように見える。自分の能力不足を棚に上げてのことで恥ずかしいが、周りをみれば、ほのかな光があちこちにちらちら見えるまでにしか育っていないような気がする。まあ、Fox NewsやNewsmaxのように共和党右派やイカレタ右翼のプロパガンダで食ってるところもあるが、全体としてみれば、日本よりはるかに健全なジャーナリズムの世界がある。

ところが、BBCの対談を見ていると、さしものジャーナリストも外交官には手を焼いているように見える。宮廷遊泳術に磨きをかけて、嘘と言い逃れの才だけで生きている人たちで、間違いであることを知りぬいているのに、真面目くさった表情までつけて平気で大うそをつく。それができなければ外交官は務まらないのだろうが、人としてどうなんだろう。子供になんと言っているのか想像すると、イヤな気持ちになる。
確か皇后の父親はエリート外交官だったが、皇后ともなると組織の縛りは外交官の比じゃないだろう。テレビや写真で笑顔を見るたびに、その笑顔、本心じゃないだろうと想像してしまう。

人は社会の一員として生きているが、組織の一員になったとたん、組織の一員としての発言をしなければならない立場に置かれる。組織も色々で、小さいものは近所や幼馴染の集まりや学校に通っていたときの友達仲間から大小の民間企業もあればお役所もある。政治団体や経済団体などの諸団体もある。そのなかで最も大きなものは他でもない、国家の組織だろう。組織が大きくなればなるほど、たとえ内輪においてですら本音――個人としての考えや意見は口にしにくくなる。数ある国家機関のなかでも外国との関係を担当する外交官ともなれば、外交辞令が日常になるのか?外交官連中とは住んでいる世界が違うからいいようなものの、同じ空気を吸うのかと思っただけでも息苦しくなる。民間企業にも社交辞令に輪をかけた外交辞令のような口ぶりの「人たらし」がいて、付き合わざるを得ないことがある。
仕事をしていると、仕事上の付き合いはせざるを得ないし、組織のしがらみからは逃げようがない。還暦過ぎてやっと自由の身になれた。残り少ない時間を大事にしなきゃと思っている。
2023/7/25 初稿
2023/9/13 改版