遺伝子と遺伝子の取っ組み合い(改版)

仕事で追いまくられることもなくなったし、追い回すこともない生活になったからなのか、あれこれ調べては、ああでもないこうでもないと考えることが多くなった。一つは遺伝と能力に関することで、自分の能力がどれほど遺伝に左右されたものなのか、どうにも気になってしょうがない。気にしたところで、データを集める能力もなければ分析する能力もない。本やWebで調べたところで、自分のことは書いてない。袋小路に入り込んでしまった気はするし、どうしたものかと考えてきた。
遺伝だからなんて思いたくはないし、そう思ったら終わりだろうという思いがある。でもそうとでも考えないと、経験してきたいくつかのことは説明がつかない。下記は個人的な経験と取るに足りない理解からのことで、人さまや社会集団にそのまま当てはまるとは思わない。偏見だ、差別だと言われるかもしれないが、自分自身のありようを納得しようとすると、そうとでも考えるしかない。

渦中でばたばたしていると、環境や状況とそこにおかれた自分の立場を理解し得ないことが多い。ずっと後になってあの時はと思いだすと、遺伝の可能性があたまに浮かんでくる。
小学校は遊びに行っていたようなもので、中学では問題児だった。高専では成績表はいざ知らず劣等生だった。就職した先では工員になりそこなって、便利屋になってしまった。
ひと月前は中学生だったのに、高専では一年から裳華房の代数学と幾何学に平面球面三角法で、夏休みに入るころには授業について行くのが辛くなった。そこで初めて勉強らしきものをし始めた。ただ落第しないためのものでそれ以上ではなかった。もう後がないと身をいれて勉強したのは、三十過ぎて翻訳者みならいとして雇ってもらってからだった。雇ってもらっても、翻訳の仕事を回してもらえなければ、翻訳者にはなれない。数行の翻訳をこなして、数ページの書類へ、そして一冊のマニュアルの翻訳を任せてもらえて、初めて駆け出しとして翻訳者への道のスタート地点に立てる。

高専の二年生のとき、左辺と右辺が等しいことを証明する数学の問題に三日も四日もかけて取り組んではめげていた。みんな受験がないから気が入らない。授業そっちのけでマンガを描いているのもいれば、膝の上に乗せた雑誌を見ているものいた。先生も厳しくは言わない。それでも度が過ぎると当てられることがある。唐突に当てられて黒板の前で式を弄り回すこと五分かそこらで、証明してしまった同級生がいた。似たようなのが三人いた。国語も英語も中学以下になっても、数学だけはとびぬけていた。知識も情報もないなかで、遺伝は背が高いというような身体的な特徴だけじゃないだろうと、その時思った。技術屋を志すものにとって、数学が苦手というのは本質的な欠陥だと悟ったのは随分後になってのことだった。

数学も運動もよくて人並み。音楽にいたってはどうしようもないレベルだと思っている。卒業して入った日立精機で、三年目には技術研究所から輸出業務専門の子会社に左遷された。海外支社や顧客と工場との間に入って技術的クレーム処理に走り回るようになって、仕事で英語を使うようになったが、慣れてしまえば似たようなことの繰り返しで英語という英語は必要としなかった。
伝統的な製造業では、工場で技術に関係する業務に携わらなければ、技術屋にはなれない。マイコンでも買って勉強しようかとも考えたが、金もない。いくらやったところで、趣味の域をでることもない。将来のために何か勉強しなきゃと考えても、安月給でできることはしれている。夕方の英会話の学校に通うぐらいしか思いつかなかった。
子会社で二年ほど便利屋をしていたら、今度はアメリカ支社に飛ばされた。仕事も日常生活も英語になった。そこから多少なりとも英語の勉強はしたものの、飯を食ってくための英語ということでは、翻訳屋になってからだった。

数年前に遺伝や遺伝子や抗体に関する本を何冊か読んで、Webで色々漁っていったら、数学と音楽と運動能力は遺伝によるところが大きいと書いてあった。ググればいくらでもでてくるが、下記AERA 2019/07/26のグラフが分かりやすい。一瞥で遺伝の要因の強弱がわかる。
「数学は87%、IQは66%、収入は59%が遺伝の影響! 驚きの最新研究結果とは」
https://dot.asahi.com/articles/-/128572?page=1

AERAの表の才能の項に音楽、執筆、数学、スポーツには遺伝の要素が強いことが示されている。才能と聞くと、持ち合わせていないだけに好きになれないが、否定のしようがない経験をいくつもしてきた。
遺伝が全てだとは思わない。育った環境次第、努力で補えることも多いだろう。それでも同じ努力がどれほど成果として結実するかが遺伝に左右されるのかと思うと、なんともやりきれない。だからといって麻雀でもあるまいし、人生を降りるわけにはいかない。振り返ってみれば、小学校の頃から古希を過ぎてまで、なんとかしなきゃとじたばたしてきたような気がしてならない。

十人十色とはいうけれど、人さまざまで一卵性双生児でもなければ、世界中に自分と同じ遺伝子をもった人はいない。みんな違うのに遺伝子レベルで比較したら、ほとんどのヒトが同じなのではないかと想像していた。偶然Webで下記の本を見つけて、図書館で借りてきた。驚くと同時にやっぱりそういうことだったんだということが書いてあった。
『もっと言ってはいけないこと』橘玲著 新潮新書

P126
ヒトゲノム計画によって全人類の遺伝子が99.9%は同じで、ヒトには、別の集団にはない遺伝子をもつ特別な集団は存在せず、集団間よりも、集団内の方が遺伝的多様性が大きいことが明らかになった。ヒトの種内の遺伝的多様性は、チンパンジーやゴリラ、オランウータンより圧倒的に小さいこともわかっている。生まれた場所や肌の色がちがっても、私たちはお互いにとてもよく似ている。
……
ヒトはチンパンジーと98.8%の遺伝子が同じで、ネアンデルタール人とは99.7%を共有している。この論法を拡張すると、人種によるちがいがないのと同様に、サピエンスとネアンデルタール人を区別することも非科学的だし、ヒトがチンパンジーと異なると考えることにも意味がないという話になってしまう。
このような過ちは、人種を遺伝的多様性の違いで理解しようとすることから生じると社会学者のダルトン・コンフリーと集団衛生学者のジェイソン・フレッチャーはいう。

上記がなにを意味しているのかは、実例をあげたほうがわかりやすいだろう。キツネの交配実験が興味深い。
Googleで「人懐っこいキツネを交配し続けたら犬っぽいキツネが誕生した話」とでも入力すれば、同じソースから引いてきたとしか思えない記述がいくつも出てくる。何年も前にみつけたソースが消去されてしまったため、簡単な説明に動画がついていて分かりやすいものをあげておく。
まずは下記をご覧ください。
http://shippo-news.seesaa.net/article/403841721.html

P203
ソ連の遺伝学者ドミトリ・ベリャーエフはスターリン統治下の1948年、「環境因子が形質の変化を引き起こし、その獲得形質が遺伝する」というルイセンコの学説に反対したことを理由に降格され、シベリアの研究施設に送られた。そこでベリャーエフは、メンデルの遺伝学の正しさを証明するため、人間になつかないキツネのなかからおとなしい個体を繁殖する実験を行った。
その結果は驚くべきものだった。わずか数世代でキツネの個体群はより従順になり、9世代を過ぎると、何頭かの子ギツネにまったく新しい特徴が現れはじめた。それはイヌをオオカミから区別する特徴とほぼ同じで、頭部と胸部に白い斑点が現れ、顎や歯は小さくなり、まっすぐだった尾はカールした。そして30世代が経過する頃には、ヒトになつくことはないとされていた野生のキツネはペットにできるほど従順になった。
……
ベリャーエフの実験は、同様の淘汰圧がヒトの集団に加わった場合、オオカミがイヌになるように、異なる外見や性格の個体に「進化」する可能性を示している。

根は横着。しなければならないことでも、できればしたくない。面倒なことは嫌い。人とごちゃごちゃするのはイヤだ。放っておけば楽な方に流れる。金に不自由しなければ、仕事なんかしやしない。毎日好きなことをして、遊んで楽しい一生を終えられれば、なんてことも思ってしまう。持って生まれた才はないから、なにをするにも人一倍の時間と手間がかかる。
情けないことに、貧しい家庭に生れ育ったせいで貧乏性が染みついている。学歴もなければコネもない。如才なく世間を渡っていく才もない。他人が厭がって手をださないところにも出て行って、何とかしなければ競争社会で生きていけない。努力とか頑張るなんてガラでもないことし続けてきた。どうも諦めずになんとかという勤勉性の遺伝子のかけらはあるようで、才能では劣った遺伝子に勤勉性の遺伝子が取っ組み合いを続けているような気がしている。

技術屋になりそこなって便利屋稼業から英語を習得しなければならない立場においこまれたときに始めた英語の勉強がメシの種のきっかけを作ることになった。実体験からでしかないが、外国語の習得には数学や音楽やスポーツほどの遺伝子の要因がはたらかない。さしたる才能がなくても、外国語の習得は根気よく続ければ、それなりのレベルにまでは辿りつけると思っている。
2023/9/30 初稿
2023/11/21 改版