ショウペンハウエルの『読書について』を読んで(改版)

『読書について』を三年前に読み直した。二十代後半で読んだときは、そりゃないだろうと放りだした。七十を前にして、もしかしたらという気持ちから別訳を探した。最初の一冊は岩波の文庫本だったと思う。二度目は渡部昇一訳だった。

人のことを言える立場じゃないが、高専の同級生には変わり者が多かった。なかでも、下高井戸の中学からきたのがひときわ異彩を放っていた。頭は図抜けていいが、いかんせんずぼらすぎる。吉祥寺で切符を買って高円寺でおりたら、切符がないなんてことはしょっちゅうだった。
高専の詰め込み教育にうんざりして、二年で中退してしまった。何をするでもなくブラブラしているのかと思っていたら、一トントラックを借りてチリ紙交換を始めた。七十年代、チリ紙交換は海賊稼業のようなもので、土日ともなれば、二万や三万の実入りが当たり前になっていた。七十二年に日立精機に入社したが、色々差っ引かれて手取りはかろうじて四万円ほどだった。薄給の身には一日二万や三万は夢のような話しだった。週末田無の実家に帰るつもりで常磐線に乗っていて、ついたのは井之頭公園の先にあるアパートだった。面白半分にチリ紙交換を手伝っていた。数年後の冬には軽四輪で石焼き芋屋をやっていた。そんなことが何年か続いて最後は古物商の資格をとって荻窪で古本屋を開いた。

二十八歳でアメリカ駐在を終えて帰国してからは、しょっちゅう古本屋に行っては、ああだのこうだのと話ていた。お互い全く接点のない社会で生きていたからだろう、何を聞いても新鮮で驚くことが多かった。ある晩、勘定机から出て来て棚を見てまわりだした。何を探しているんだろうと思っていたら、踏み台を持ち出して、最も上の棚(不良在庫置き場)から薄い文庫本を一冊取り出した。「おいこれ」と渡された。ショーペンハウエルの『読書について』だった。
まだ二十代の後半で、岩波の「世界」を羅針盤にして社会や政治に経済問題の理解に没頭していた。拙稿「プロパガンダを真に受けて」(http://chikyuza.net/archives/124663)に書いたように西川潤らの影響をもろに受けていた。

もらった翻訳本を読みながら、何を言ってんだ、この野郎、何にしても、まず知ることからしか始められないじゃないかと思った。親友がなぜ読めといったのかわからなかった。知識と理解が足りなかったということでしかないが、渡部昇一訳を読んで、それだけじゃなかったんだと思いなおしている。
原文に忠実に翻訳しただけでは、伝わるものも伝わらないことも多い。原文の主旨だけではなく、原文がかかれた時代要請や著者の立場や意図を解説しなければ、主旨すらも伝えきれないことが往々にしてある。

渡部昇一が『読書について』を次のように解説している。下手な要約は失礼だろう。気になる個所を書きうつしておく。
P38
「読書とは、自分で考える代わりに他のだれかにものをかんがえてもらうことである」
読書とは私たちの代わりに誰かが考えてくれることであり、その人の心の動きを反復していているだけだ、という指摘は真実である。
これを徹底的にやったのが、東京大学哲学科の主任教授だった伊藤吉之助というひとだ。
伊藤は私の中学校の先輩にあたるが、一番優秀な学生というわけで東大に残された。岩波書店の『哲学小事典』をほとんど一人で編集したから、優秀ではあっただろう。しかし、彼の同級生、あるいは前後にいた人たち――なかには『三太郎の日記』の阿部次郎もいた――はみんな博士論文とか、他の書物を書いているが、伊藤には博士論文がない。
教壇に立っても、教えるのは自分の意見ではなく、ドイツ語のテキストを読むだけだった。ある人が、「それではつまらないだろう」といったところ、それこそ「しめた」と言わんばかりに彼が説いたのは、われわれは偉大な哲学者の言葉をていねいに追う。これが第一歩だ」ということだった。

伊藤吉之助は、徹底的にテキストを読めといって、特に教えることはしなかった。そして、本を読むことにすべての精力を使った。いわんとするところは、「わずかなニュアンスでも徹底的に読み込め。それで頭を作れ」ということなのだろう。確かに、そうして知識を養い、それを基にして考える人はいる。しかし、伊藤吉之助は自分では考えなかった。自分の哲学、自分の思想を残すことはなかった。読むことによって考えることが奪われたといえるのではないか。
自分で考えないことは楽だし、論文を書かなければ、まったく批判を受けない。伊藤吉之助は日本の哲学界では大きな権威のあった哲学者の一人だが、結局、先人の哲学の伝達者という役割だけになってしまったと思う。

P44
「読書中のわたしたちの頭の中は他人の思考の遊び場であるに過ぎない」とは、読書はいい休養になるかもしれないが、自分で考える力がだんだん失われてしまうということだ。
これは朝鮮の儒教を考えればいい。李退渓(りたいけい)という人がでたら、それ以降、優れた学者が全然出ない。みんな李退渓の勉強だけで終わってしまう。シナの儒教にもそういうところがあるが、極端にそうなったのは朝鮮の儒教だ。

ショウペンハウエルが『読書について』で言いたかったことを、渡部昇一が自身の経験から知り得たこと、そして考えたこととして自身の言葉で言っている。これを読んで、愚生の二十代後半のときのように、なにを言ってんだと思う人もいるだろう。何を思うのも人の自由、こっちがとやかく言うことじゃないが、職工のなりそこないは、渡部昇一の解説に助けられた。似たような経験をされているかたも結構いらっしゃるんじゃないかと想像している。
2023/10/8 初版
2023/11/28 改版