え、ドクター?歯医者さんじゃ(改版)

有無を言わせぬ辞令をもらって一週間で荷物をまとめて、フィールドサービスマンとしてニューヨーク支社に赴任した。生産現場にいたことがないから、ろくに機械を触ったこともなかった。英語は中学卒以下のレベルの者にある日突然、アメリカで十年以上前の機械の修理に行ってこいという、普通に考えたら無謀としか思えない。ところが会社は現地で潰れたら潰れたでかまいやしない、もし一皮むけて使いものにでもなれば、めっけものという人事(棄民)政策だった。運転免許も持たずに赴任して、支社にしてみれば厄介者を押しつけられたというのが正直なところだったろう。仕事であてにならないばかりかトラブルばかりのどうしようもない駐在員だった。それでも一年も過ぎれば、自分の意思で歩を進める余裕もでてくる。

いい機会だ、英語でもやっておくかと、下宿の大家に適当な学校を探してもらえないかと軽い気持ちで頼んだ。頼んだ記憶もあやふやになったころ、大家がちょっとどもった口調で言ってきた。藤澤も豊も覚える気がない大家にTomと呼ばれていた。 「Tom, I found Saturday English class at community college. I made an appointment in the afternoon of next Saturday……」
大家に連れられて担任講師の面接を受けにいった。そこで、高校卒業証明の提出をもとめられた。

今だったらメールで簡単に依頼できるが、一九七八年のことで、インターネットなんかありゃしない。国際電話は料金が怖ろしくてかけられない。高専の住所を調べる手立てもない。しょうがないから実家に高専の卒業証書を英文でもらって、こっちに送ってくれと手紙をかいた。筆不精で手紙どころか年賀状も書いたこともなかったから、お袋もさぞかし驚いたと思う。
三週間ほどで実家から封書が届いた。同封された英文の卒業証書をみて、まあこんなもんだろうなと思いながらも、恥ずかしさがこみ上げてきた。定型フォームもないんだろう、A4の紙にタイプライターで打っただけの、ちょっと怪しげなものだった。タイプライターなんて使うこともないのか、しっかり印字されているところもあれば、掠れた文字もあった。ろくに書くことがないからだろう、不細工なスペースが目立つ。一瞥ですむ、読むようなものじゃない。そんな卒業証書に、まさかというのがあった。国立東京工業高等専門学校が英語ではTechnical College of Tokyoになっていた。へー、Collegeだったんだ。オレ、もしかして英語ではCollege graduateになるんか?College graduateというと学卒になっちゃうじゃないか。でもBachelorじゃないから学士ってことにはならない。日常会話では大学をでていることをCollege graduateというけれど、そう言ったら学歴詐称になるんじゃないか。College graduate?ちょっとくすぐったいような、恥ずかしいような、妙な気持ちになった。外国人と話しているとき、学歴の話に飛ぶのがいやだった。College graduateと言いたくない。
どうにも体裁の悪い、ウソくさい卒業証明書を提出して、土曜の午前中だけの授業でしかないが、はれてNassau Community Collageの、大学の学生になった。

今でも写真入りのプラスチック製の学生証は記念にとってある。そこには、Social Security Number(アメリカの年金番号)が入っている。Social Securityを持っているということは、法的にアメリカで仕事をして税金を納めていることを意味する。おかしなことに当時のニューヨーク州の運転免許証はちょっと厚手の紙で写真がついていない。これで身分証明になるんだから、アメリカの大ざっぱさがうかがえる。うっかり洗濯でもしようものなら、くしゃくしゃになってしまう。ボロボロになってはいるが大事にとってある。ちなみにSocial Security cardそのものは未だにちょっと厚手の紙で昔と変わらない。

学卒と医者に歯医者が気になる。いまさら何?とは思うが、ググってみた。
<学士と大卒の違いは何ですか?>
一般的に、大学を卒業した「大卒」といわれる人は、学士号を取得していることになります。学士号というと何か特別なもののイメージがあるかもしれませんが、一般的な大学に通って必要な単位を取り、卒業論文などを提出して卒業した時点で、学士号を取得しています。なお、短期大学を卒業した場合は、短期大学士という学位が授与されます。

仕事や家庭の事情から六年も経つと引っ越すことになる。金はかかるし、荷物の整理も大変だから引越なんかしたくない。でも通勤や通学のことを考えると、引っ越しするかない。引っ越しのたび家財道具や家電製品も捨てては買ってを繰り返してきた。直近の二回の引っ越しでは、終活も兼ねて、まるでJettisonかのように捨てて捨てて驚くほど身軽になった。冷蔵庫や洗濯機などの家電製品は六年も使うとガタがくる。引っ越さなくても買い替えの時期だしと新調して気分一新、新しい街で再出発になる。
段ボール箱もずいぶん片付いて、やっと落ち着き始めたかと思う暇もなく転入届もあれば運転免許の住所変更もある。あちこちに住所変更を連絡していく。そして日常お世話になるところを探し始める。スーパーは簡単だが、かかりつけになれる内科や眼科に歯医者、美容院と床屋、気の利いた飯屋……とひと段落するまでには三ヵ月やそこらかかってしまう。

そんなある日、まあ、ここならそう悪くもないだろうと歯のクリーニングにでかけた。ちょっと予約した時間には早すぎた。椅子に座っても、これといってすることがない。あれこれ見ていたら受付に置いてあるスタッフリストが目に入った。Dr xxx、Dr yyy、Dr zzz……そしてDH aaa、DH bbb、DH ccc……と並んでいた。DrはDoctorの略で間違いないだろう。でDHは?ちょっと考えたが、Dental Healthcareの略以外には考えにくい。十年以上前に住んでいた横浜港北ニュータウンの歯科医院でも駅の広告には「ドクター26名」と書いてあった。
歯医者とドクター、どうもしっくりこない。歯医者に面と向かって、「先生、ドクターですか?」と聞くのも憚れる。ただの素朴な疑問だが、気になってしょうがない。一患者としてお世話になってきただけで、こんなところだろうという知識(?)はあるが、はっきりしない。まあちょっと調べてみるかとググってみた。

<医者と博士の違いは何ですか?>
医師になるためには、医学部を卒業し、国家試験に合格して医師免許を取得する必要があります。医師は、クリニックや病院での診療、手術などの医療行為を通じて、患者の健康の回復と維持をサポートします。一方、医学博士は、大学の大学院医学系研究科(博士課程)を修了し、博士論文を提出・審査し合格した者に与えられる学位です。

<口腔外科と歯医者の違いは?>
一般歯科は虫歯や歯周病の治療などが専門ですが、口腔外科は一般歯科と比べると治療が広範囲にわたり、外科手術も行っています。一般歯科では主に虫歯や歯並び矯正など歯の組織の治療を行います。これに対して病院の口腔外科は、一般的には親知らずの抜歯やインプラントの治療を行います。

<歯医者は博士なのか?>
歯医者は歯医者で医者ではないが、博士課程を修了し、論文を認められて博士になられた方もいらっしゃる。

<じゃあ、ドクターとは?>
ドクター【doctor/Dr】の解説
1 博士。博士号。「―を取得する」
2 「ドクターコース」の略。
3 医師。医者。

巷の歯科医院でお世話になる先生方が全員博士とも思えない。不勉強を棚に上げた話でもうしわけないが、どうも融通無碍な日本語を上手につかってドクターということじゃないかと想像している。
ドクターという肩書が好きなのかもしれない。勝手な想像からでしかないが、分かるようなきがする。
2023/10/24 初稿
2023/12/13 改版