親知らずー歯医者と口腔外科(改版)

歯医者とドクターについては前回書いたが、今回は親知らずのせいで歯医者と口腔外科でえらい目にあったこと――今となっては笑い話にしかならないが――を書いておくことにした。

就職する前だったから、十八か十九歳だったと思う。右顎の奥歯のあたりがなんとなくおかしい。痛いわけでもないし、なんなんだんだろうと思っていたら疼き出した。虫歯だったらと思うと気が重い。ほっとくわけにもいかないからか、かかりつけの歯医者に行った。予約を取らずに来た人から順に診察という昔ながらの歯医者で、待合室で三、四時間待たされるのが当たり前になっていた。いつ行っても混んでいて、ちょっと見てもらうにしても一日がかりだった。
待合室でなんとなくテレビを眺めていて気が付いた。向いのソファーの下に緑色のボンベのようなものがあった。周りの目を気にしながら前かがみになってみたら、オヤジが車のトランクに積んでいた酸素ボンベと同じものだった。歯医者もオヤジのように釣った魚を活かして持ち帰るために酸素ボンベを用意しているのかと思った。まさかそれを使うはめになるとは思いもしなかった。

やっと診察の番が回って来た。大きく開けた口の中をみて歯医者がいった。
「奥歯の奥に親知らずなんだけど、生えるスペースがないから抜くしかないですね」
笑顔を絶やさない歯医者の顔が渋い。なんだよ先生、親知らずの一本ぐらい、ぽいと抜いてしまえば終わりじゃないのと思った。
麻酔の注射をうたれたら、すぐにぼ―っとなって気が遠くなった。意識はあったが、目の前にいるはずの歯医の声が遠くに聞こえた。周りがバタバタして看護師が酸素吸入をしてくれた。遠くで歯医者が誰かと話していた。細かなことは聞き取れないが、オヤジに電話しているようだった。オヤジの診療所からゆっくり歩いても五分とかからない。いくらもしないうちにオヤジがきて注射をうたれた。痛いなんてもんじゃない。思わず飛び上がりそうになった。痛さで目が覚めたかのようにしゃんとした。オヤジに歯医者がなにか言い訳じみたことをいっていた。
ここまできて、今日は抜歯を止しておきましょうというわけにもいかない。決して若くはないが、何かで歯を掴んで力一杯引っこ抜いた。ちょっと診察室で休んで落ち着いてから待合室にでた。みんなの視線が「いい歳をして麻酔で失神」と言っているようで、しゃくにさわったが、むっとする元気もない。抜いた親知らずをもらって表に出てちょっと考えた。家に帰る前にオヤジに一言をいってやろうと診療所に寄った。
「なんなのあの注射。薬が効いてじゃなくて。痛くて気が戻ったぞ」
「強心剤だ。あれは痛いんだ。死にそうになってるやつが目を覚ますなんてこともいわれてるしな。『痛―って』大声上げて、漏らしたのもいる……」
抜いた親知らずは、大きくて頑丈でなんでも噛み砕けそうだった。見るたびにこんないい歯をもったいないことをしたと思った。

二十歳で就職して柏市の郊外にある独身寮に入った。最寄り駅から徒歩二十五分はしょうがないにしても柏にも松戸にもこれといって出かけるようなところがない。北千住や日暮里は乗換駅で表にでるなんて考えたこともなかった。上野や秋葉原もしょっちゅう行くところじゃない。出かける先がないこともあって、月にニ三度は田無の実家か吉祥寺にある親友のアパートに戻っていた。
数年後、二十二か三だったと思うが、今度は左顎の奥歯のあたりがおかしい。痛みはないが違和感がある。親知らずは一度で十分。まさかまたとは思いもしなかった。そうこうしているに腫れてきた。よく見ないとわからないが、左頬が膨れて、誰かにぶん殴られたかのように片太りになった。痛くもないし、なんだこれ?と思いながら、また通いなれた歯医者に行った。久しぶりに会う先生、分かり易い人で、一度目で懲りてるのがわかる。それはこっちも同じで、まさか親知らずじゃないよなって思っていたというか、思おうとしていた。

ぱっと口の中をみて先生が言った。
「生える場所がないから、横になって奥歯を押してる。これはちょっと大変ですね」
と言いながら、なぜか声が明かるい。
「うちじゃ処置できないから、こうくう外科にいって切開するしかないですよ。昭和病院に紹介状書くから……」
なんだよ先生?こうくう外科ってなんなのって思いながら、紹介状をもってオヤジの診療所に寄った。
「まあ、歯医者の手には負えないってことだ。そこから電話して予約していってこい」
オヤジに聞くまで、口腔外科というものがあることを知らなかった。

数日後、花小金井にでて歩いていった。
予約しておいたものの、ここまできちんと時間を空けて待ってくれているんだと感心した。時間に几帳面というか、ちょっと細かすぎる日本人だが(英語でいえばPunctualだろうがMeticulousといいたくなることもある)、医者という人種は、自分の都合が先で、患者の時間を気にすることはめったにない。
X線写真を撮って、医者が簡単に説明してくれた。
「抜歯しようにも横になって奥歯を押している状態で表に出てきてないから、まず切開して歯を砕くしか方法がない……」
そういうんならそうなんだろう。切開?砕く?なんのことやらと思いながら、何を聞いても、お任せしますとしか言いようがない。切開か、やっぱり外科なんだな、さっさと始めようやと思った。
麻酔を打たれて切開までは想像していた通りだったが、その後は考えたこともない作業だった。それは治療というよりタガネとハンマーでまるで機械屋だった。就職先は工作機械屋で、研究所で新型旋盤の設計をしていた。
まず、医者が歯医者が使うグライダーでちょっとゴリゴリやる。次に、左手にタガネをもってグライダーでつけた傷にタガネの先を当てて、右手にもったハンマーでタガネの尻を叩いて親知らずを砕く。砕くといってもちょっと欠片とも言えないほどしか取れない。ハンマーで叩く前に看護師が両手で顎を抑える。押さえておかないとハンマーで叩いたときに顎が下に下がってしまう。グラインダー、看護師の手、そしてハンマーの繰り返しが続いた。最初のひと叩きで、思わず吹き出してしまった。これじゃ機械工場以下じゃないか。機械工場にはワーク(加工物)を固定する万力なり取付具がある。看護師がいくら力一杯顎をおさえたところで、ハンマーが打ち下ろされれば顎は下がる。なんとまあ原始的な作業なんだろうと呆れてしまった。口を大きく開けたままで歯を食いしばるわけにもいなない。衝撃に伴う痛みと笑いをこらえること数十分。やっと大方砕ききったのだろう、治療?が終わった。花小金井の駅に着くころには麻酔も切れてきて、痛みがひどくなった。後は飲み薬でやり過ごすしかない。

夕飯を食う気にもならなかったが、それ以前に口が痺れてて開かない。寝る前に軽く歯磨きをと思ったが、歯ブラシも入らない。翌朝、何か食べなければと思っても口は痺れたままで小指の先をちょっと入れられる程度しか開かない。しょうがないからパンをちぎって上下の歯と歯の間に押し込んで、牛乳で流し込んだ。仕事どころじゃない。電話で上司に事情を説明して有給を一週間に伸ばしてもらった。
数日後、昭和病院に戻って、口が痺れたままで口が明かないから食うものも食えないし、歯も磨けないと話したら、大丈夫ですよ。数週間も経てば……。
一月も経ったころには口も開くようになって普通の生活にもどった。ただあれから半世紀になるが、未だに下唇の左側には軽い痺れが残っている。
2023/10/27 初稿
2023/12/20 改版