行政支出は不公平を生む(改版)

十二月月一日付けでロシア・ビヨンド(Russia Beyond)が恥をさらすことにしかならない記事をおくってきた。極端な例のおかげで、行政支出の本質がよくわかる。ロシア・ビヨンドにお礼のひと言も言わなきゃならない。大なり小なり、似たようなことは、いつでもどこでもあるが、わざわざ日本語の記事にすることか?自慢すべきものと勘違いしているんじゃないかと思っている。

「ソ連にあったヘリコプタータクシーとはどんなものだったのか?」と題して、タクシーよりも安いヘリコプターがあったことを得意げに解説している。urlは下記の通り。
https://jp.rbth.com/soren/88728-herikoputa-takusi

記事の主要個所を機械翻訳した。
1960年、モスクワにヘリコプタータクシーが運行される空港がオープンした。そしてその空飛ぶタクシーは、普通のタクシーよりも安かった!
第一級のパイロットであるセルゲイ・セミョーヌィチェフは現在、ロシア陸海空軍志願支援協会の航空・宇宙学中央会館で勤務している。ちょうど博物館の建物の向かい側にかつてヴヌコヴォ空港とシェレメチェヴォ空港までのヘリコプタータクシーに乗車できる空港があった。そして1966年にセルゲイはこのタクシーを使う機会に恵まれたという。(機会というより特権じゃないのか?)
空飛ぶタクシーのチケットは2ルーブル。バスでヴヌコヴォまで行く場合の料金は1ルーブルほどであった。一方、子どもに対しては、他の交通手段と同じような割引が適用された。つまり12歳以下は半額、5歳以下は無料だった。
当時の物価から見れば、ヘリコプタータクシーはモスクワ市民にとって、比較的リーズナブルであった。当時の平均収入は120ルーブルくらいだったが、普通のタクシーはそれよりはるかに高かったのである。同じ時期、ヘリコプタータクシーの空港があった地下鉄ディナモ駅のあたりからヴヌコヴォ空港までのタクシー代は5から6ルーブルもした。

ヘリコプタータクシーは、運営の採算が取れないことや需要がないことなどを理由に1971年に廃止された。
セルゲイは次のように述べている。「ヘリコプターは、特にメンテナンスという観点から見て、とても高価なものです。フライト料金はわずか2ルーブルでしたが、客室が満員になることはありませんでした。つまりエアタクシーは採算が取れなかったことは明らかです。利用したのは、わたしと同じように、ヘリコプタータクシーに興味を持った人だけだったのだろうと思います。多くの人がヘリコプタータクシーなんてものの存在すら知らなかったのではないでしょうか。

メンテナンスも含めれば、ヘリコプターの運用コストはタクシーよりはるかに高い。数桁の違いがあるだろう。比較してどっちがというレベルの話しではない。そんなことは小学生でも想像がつく。では普通のタクシーよりヘリコプターの方が安いというのはどういうことなのか?利用者が払う料金が安いということは、ヘリコプター運用コストの大半を行政が負担していたとしか考えられない。行政が負担しているということは、何らかの名目で徴収した税金を利用者の便をはかるために使っているということに他ならない。
ここで利用者とは誰なのか?という、もう一つの疑問がでてくる。首都モスクワに住んでいるか滞在している人たちは利用できるかもしれないが、広大なソ連に住んでいる人々すべてがヘリコプタータクシーを利用できるわけではない。ヘリコプタータクシーは全国から徴収された税金で非常に限られた人たちに便宜を提供するもので、大多数の国民は利用し得ない。
採算が取れないことなど、計画段階ではっきりしていたはずだ。運営コストから運賃を引いた差額を行政が税金を使って補填することを前提としていたのが、補填が大きくなりすぎたか、非常に限られた人にしか使用されないことをみて、廃止に踏み切らざるをえなかったということだろう。
穿った見方をすれば、共産主義を標榜する大国ソビエト連邦では普通のタクシーより少ない受益者負担でヘリコプタータクシーまで提供できるようになったというプロパガンダの一つのような気がしてならない。

ここでウィキペディアから時代背景をちょっと抜き出しておく。ヘリコプタータクシーが登場した当時の社会情勢をかいまみれる。
1960年代には米ソ宇宙開発競争が熾烈を極めていた。
1957年10月4日、ソ連は「スプートニク1号」を搭載したR-7型ロケットを打ち上げ、世界で初めて人工衛星を地球周回軌道に送り込むことに成功した。これが宇宙開発競争の始まり。
1957年に人工衛星スプートニク2号で地球周回軌道を回った犬、ライカであった。
1961年4月12日、ボストーク1号に乗ったユーリイ・ガガーリンは人類ではじめて地球軌道を周回した宇宙飛行士となった。

スプートニク1号の成功で、ソ連指導者はソ連はもはやアメリカを追い越したと喧伝しただろう。経済的社会的合理性もなければ不公平きわまりないヘリコプタータクシーはその喧伝の一ページだったんじゃないかと考えると、妙に納得してしまう。

行政が財政支援すれば……、もっと極端に共産主義社会になれば、誰もが必要とするときに必要とするものを、それを提供するコストを考えることもなく得られるようになるという人たちがいる。
一般論としてだが、どのような政治体制をとろうが、他者から奪い取りでもしない限り、生産したもの以上の消費は続けられない。それは町の財政でも大きな行政区、さらに国家レベルになっても変わらない。科学的空想社会主義の考えであれこれいう人たちがいるが、それは資本主義だから社会主義だから、共産主義だからという話ではない。資本主義と共産主義のあいだには、剰余価値を誰が、どのような社会組織が支配するという違いがあるが、生産と消費の関係からみれば何も変わらない。
改めて考えると、政治とは「何らかの名目で市中の富を徴収して、徴収した富を何らかの名目で市中のどこかに分配する」ことに他ならない。そこに言葉通りの公平はない。
2023年12月2日 初稿
2024年1月31日 改版