浮世離れでいいじゃないの(改版)

転職するたびに、つけ刃を求めて情報を漁り続けてきた。何かの縁や引きがあって入った会社でも、三月(みつき)かそこらのうちに自分のネットワークを作り上げないと、仕事にならない。一年後には誰の目にも成果としてかたちにしなければ、先に進めない。狭い業界内にしても三年後には外からもみえる実績を上げないと、次の仕事の口がかからない。キャバ嬢じゃないが、懇意にしてくれる客がつかなければ、毎年同じことの繰り返しになって、時間だけが過ぎていく。成果もあがって、組織もできたときが引き際で、似たようなことを繰り返しては性に合わない。全てを後進に引き継いで身を引く。
三年、四年バタバタして、これといった成果の兆候もなかったら、十年やったところでどうにもならない。どうにもならないところにしがみつく義理はない。見切りをつけるのも能力のうち、と早々に戦場を放棄する。

そんな仕事の仕方をしていれば、なんにおいても仕事優先で、私生活に気を配っている余裕はなくなる。何かに集中すれば何かが抜ける。四十半ばも過ぎた頃には巷の話題についていけなくなっていた。キムタクと聞いてもまさかキムチとたくわんでもあるまいしと思うだけで、なんだか想像もつかなかった。SMAPのSはわからないが、何かの地図だと思っていた。電車の吊り広告をみてもわかることの方が珍しい。最近では家族の話題にもついていけない。
なんとかしなきゃという気持もないわけじゃないが、今さらテレビを見る気にもなれないし、新聞なんか目を通すだけもめんどくさい。吉幾三の歌ではないが、テレビも見なけりゃ新聞も読まない生活になってしまった。その代わりと言っちゃあなんだが、一日中Webでニュースや気になる情報を漁っている。仕事をしていたときは、外から突きつけられる必要に迫られたものだったが、今は自分のうちから湧いてくる興味や好奇心からのもので、結果として自分の知識欲を満たすものにしかみない。つまらないとしか思えないものは見ないし聞かないし読まない。そんな生活を続けて十年近くになる。

たまにテレビにトークショー?でタレントらしい人たちがひな壇にあがって、コメンテータ?という人がああだのこうだの言っているのを見てしまうことがあるが、どうでもいいことをどうでもいいようにで、知ったところでなにがどうなるとも思えない。好奇心をくすぐるようなこともない。ただただつまらない。電車に乗るもの月に多くても二回か三回で、吊り広告も周りの人たちも物理的に見えているだけの風景になってしまった。

二十歳で就職して社員寮に入ったときから購読しつづけた朝日新聞も三年ほど前にやめた。購読し続けたというのは正しくない。朝に夕に届けてもらってはいたが、せいぜい一、二面にさっと目を通すだけだった。一端のサラリーマンとして全国紙の一つくらいはという社会の風潮にながされての購読で、購読して一、二ヶ月経ったら、馬鹿馬鹿しくて目を通すのがめんどくさくなった。
官報とプレスリリースにおまけのような解説記事で、つまらない。ましてや経済紙なんか、よくてお手盛り記事で、そんなもんに振り回されていたらマーケティングなんかつとまりゃしない。巷の情報なんか、同僚や代理店や顧客との世間話を小耳にはさんでいれば十分。ガセのような記事に踊らされる人たちをメシのタネにするような業界で禄を食んでいるわけでもなし、知ったことかと思っていた。ガセでも事実でも、ほとんどの人が知っている情報から次の一手なんて出てくるわけもない。個々の業界のキープレーヤや新進企業のおかれた状態と何をたくらんでいるのかを感知する能力がなければ何の役にも立たない。

もう古希もすぎて残された時間も限られている。テレビや新聞に割く時間はない。仕事に引きずられることのない自分の内から湧き出て来る関心事から海外の特定の領域に特化したニュースサイトの記事や論説を読んでいる。New York TimeやEconomist、BBCやCNNもいいし、Guardianも捨てたもんじゃないが、気になる記事を見つけたら、その領域の専門誌を探すのが習慣になってしまった。概観するにはAPとReutersにAFP。ニュースということではProPabulicaとAl Jazeeraをメインとしている。英語にまででていけば、情報や知識の質も量も日本のマスコミやマスメディアが垂れ流している、おかゆのような食った気のしない情報らしきものとは一線を画して違うものがいくらでもある。

四十にして惑わずなんてのは、迷うことの少なかった時代の話しで、科学技術の進歩の早い今は古希を過ぎても迷わずにはいられない。一例をあげておく。
コロナ禍で人工mRNAワクチンが登場した。病原体を弱体化した従来のワクチンの延長線では考えられない。mRNAワクチンは抗体(T細胞)をつくる設計図で、接種すれば、体内で抗体をつくれる。mRNAワクチンには本当に驚いたが、バイオサイエンスの進化はとどまるところを知らない。十二月二十日付けのNatureが伝えるところでは、T細胞を人工的に作ろうとしている。
Cancer-fighting CAR-T cells could be made inside body with viral injection
表題を機械翻訳すると、「がんと闘うCAR-T細胞、ウイルス注射で体内で作れる可能性」になる。urlは下記の通り。
https://www.nature.com/articles/d41586-023-03969-5?utm_source=Live+Audience&utm_campaign=04c196d6b6-briefing-dy-20231222&utm_medium=email&utm_term=0_b27a691814-04c196d6b6-50777512

年もとってもう惑うことなんかなくなったなんていうのは、変化の影響を受けない小さな世界にお住まいだというとじゃないかと思う。惑ったあげくの浮世ばなれ、どうしたもんかと悩んできたし、今も実に真剣に悩んでいる。でも残り少ない人生の最後ぐらい世間さまに引きずられることなく、自分のうちから湧き出る興味と好奇心を優先させてもいいじゃないか。開き直るつもりは毛頭ないが、もう浮世に右往左往する時代じゃないんじゃないかと思っている。
2023/12/24 初稿
2024/2/14 改版