カスタマーサポートへのサポートはない(改版)

買ったはいいけど、聞いていたようにどころか、マニュアルに書いてある通りにも動かない。マニュアルには製品の機能が説明されているだけで、いくら読んでも分かっている人にはわかるという機能説明書で、使い方は想像するしかない。モノ造りはいいがモノに注力するあまり、いまだにマニュアル作りを雑用としか考えていないメーカも多い。
就職先がその典型だった。新卒の見習い社員として配属された部署で、機能もろくに知らずに取扱説明書を書かされた。担当設計の一人称の設計図(組立図ではない)を見たところで、わかるのはせいぜい機械構造までで、動作と機能をつかさどる制御システムなんか何もしらない。上司とそのまた上司の照査と承認をうけて正式書類にはなったが、分かる人なら分かるかもしれない取扱説明書になった。

モノを買うたびに思った通りに使えずにフラストレーションがたまる。驚くことに、なかには壊れるようにできているものもある。ニューヨーク駐在でFordのニックネームがFix Or Repair Daily(Fordは修理に明け暮れるという意味)だというのを思い知った。爾来モノを買うというのは、トラブルを買うことかもしれないと思うようになった。
かなりの人たちが取扱説明書を手にどうして、なにが悪いのかと悩んだことがあると思う。マニュアルのあちこちのページを読みかえして、Webで調べて、もしかしたらこういうことかもしれないと、あれこれ試してやっとということもある。ときには何年も前から使ってきたのに、メーカ側の都合でサービス体系が変わってしまって、今までのようには調べらなくなってしまうなんてことも起きる。

詐欺まがいの製品も少なくない。機能は宣伝通りだが、使い物にならない。オーディオプレーヤで遭遇した一例を挙げておく。製品紹介パンフレットにはテレビも見れる、AM/FM放送の聴けると書いてあった。たしかにテレビは映る。ただノイズが多すぎて、画面は吹き荒れるブリザードを窓越しにみているようで、何が映っているのかわからない。ラジオにいたっては聞こえるのはノイズだけのようなものだった。それでもオーディオプレーヤとしての最低限のモノラルのような性能だけは持っていた。パンフレットにはウソはない。機能はちゃんとついている。何度か似たような経験をして、こうとでも説明しなければ辻褄が合わないと思いだした。コストを優先した製品企画の時点で計画したとおりの製品で、不良品というわけじゃない。

安かろう悪かろうだったかと半分以上あきらめてはいても、あまりの性能にクレームの一言二言言わなきゃ気のすまない購入者もいる。Webでカセットプレーヤに対するユーザの評価を見てみたらいい。メーカのプロパガンダのような高評価もあれば、競合の製品を貶めるのを目的としているのではないかと疑われかねない酷評もある。
保証書を見てもWebで調べても、出てくるのは見てくれのいい宣伝だけで、コンタクト先の記述がない。メールアドレスはおろか電話番号もない。たとえ社名が書かれていても、そんな会社が本当にあるのかどうかわからない。誰かが誰かにつくらせて、誰かが売っているのだけのこともある。買った量販店にいって聞いても、アフターサービスはメーカに直接お問い合わせをというだけで要をえない。ネット通販で買った場合は、要を得ない話しすら聞けない。
この手のビジネスを仕切っているのは口先三寸のブローカ連中で、その時々の金にしか興味がない。常識を逸したコストで町工場につくらせて、商材として流通経路に乗せてというそろばん勘定だけで成り立っている闇稼業。町工場は提示されたコストの範囲でモノをつくるだけで、作ったモノがどこにどう販売されていくのかなんて興味もない。技術屋の良心なんかこれっぽっちもない。ネットには、サポートなんか知ったことかという売り逃げ商売がはびこっている。

売り逃げ商売は極端なケースだが、立派な看板を掲げたメーカや商社でも、ビジネスの目的は、できるだけ手を掛けずに――最低限のコストで最大限の利益を上げることでしかない。製品企画から開発、製造、販売までのコストをギリギリまで絞った先のアフターセールスにかかる費用は、販売までのコスト以上に厳しく制限する。販売コストまでは自分たちの内のコストだから自分たちで管理できるが、こと顧客からのクレーム処理は自分たちの手の内からはみ出たところにある。なかにはゴネ得をねらうクレーマーもいる。そんなのに関わっていたら、想定外の支出を強いられる。クレーム処理を担当するカスタマーサポート部隊の予算は限られている。カスタマーサポートに課せられた責務は、予算立ての際に計上されていない支出を防ぐことにある。

カスタマーサポート部隊はクレームが製品の仕様上の問題であることや、製造工程上の問題、あるいは品質管理上のミスであることを知ってはいても、クレームを上げてきた顧客に内情を伝えることは許されない。そして、製品そのものの改善要求や製造工程や品質管理の改善を要求する権限も与えられていない。カスタマーサポート部隊の責任者も上長に実状を報告することをためらう。時々の利益を最優先する企業において、予期せぬ出費を招きかねない報告を喜ぶ経営陣はいない。その経営陣の背中を押している金融筋は、もし社会的経済的にマイナスになりそうなら、融資を引き上げるだけでいい。金融筋の顔色を見ながら、毎期毎期の配当を滞りなく供出するのが存在理由になっている経営陣は、いいことしか金融筋に報告したくないし、部隊からはいいことしか聞こうとしない。

カスタマーサポート部隊はカスタマーをサポートしなければならない立場に置かれているが、社内には彼らをサポートする文化もなければ組織もない。必然としてカスタマーサポート部隊は、仕事はしてますという逃げの姿勢で、うわべだけの話で顧客をあしらう術を磨くことになる。日常的にそんな反道徳的なことをくりかえしていれば、精神を病むか、精神を忘れるかのどちらかになる。
しっかり耳を傾けてクレームを聴いたところで、何もできないジレンマを感じることもなくなる。できることはクレームをいってきた客があきれ果てて、言い疲れて、黙ってしまうのを待つことだけになる。

クレームがクレームで終わらずに「事故」として報道さるようなことになって初めて経営陣がかたちながらも対応を迫られる。それでも、何をするかの判断基準は、形ながらのお詫びと改善ですませられるのか、それとも刑事事件に発展して社会的経済的に受ける損害がどれほどものになるかという損得勘定になる。人としての良心をもっていればそんな仕事はつづけられない。

p.s.
<Duolingo−Webベースの外国語学習環境提供サービス>
去年の五月からDuolingo(本社はPittsburgh)というWebベースの言語教育システムでトルコ語を勉強してきた。システム上のデータでは、四八六日、一日も欠かさず勉強してきたことになっている。十二月二十五日、いつものよう<START A LESSON>キーをクリックしたら、個人データ登録画面が出てきた。参加するときに登録したのに、何で今になってと不思議に思いながら、「年齢」「姓」「名」と入力していって、最後の項目「E-mail Address」を入力して<SEND>キーをクリックしたら、「入力したE-mail Addressはすでに使われています」というアラームが表示された。使われてますといわれても困る。長年使っているE-mail addressでこれ以外を使うと、なにかのときに面倒になる。アラームを解決できないから、個人情報の再登録を完了できない。しょうがないから、また前の画面に戻って、いつものように<START A LESSON>キーをクリックした。見慣れた画面とはちょっと違う。どうなったのかと改めてみたら、入門者用のレッスンの最初の画面が表示されていた。
例えていうなら、小学校三年生に学期の中頃になって一年生に戻って勉強しろという指示がでてきたということになる。ふざけるな、俺の一年五ヵ月の時間と努力はどこへいったんだ。ちょっとむっとしてカスタマーサポートにメールを送った。障害に至った操作を説明して「十二月二十四日時点のレッスンに戻せと」いった。返ってきたメールの言いぐさにカチンときた。
「十二月二十四日までの学習状況は凍結されました」「入門者用のレッスンから学習を再開してください」
ふざけるな、Duolingoのシステムが引き起こした障害で、こっちにはなんのミスもなければ責任もない。E-mail Addressの重複を理由に個人データの再入力を受け付けなかったのに、なぜ今までのアカウントが凍結されて、新しいアカウントが作られたのか?起きていることは、すべてDuolingo側の不手際あるいは、お前のところのシステム障害に由来するもので、Duolingoには凍結されたアカウントを復旧する義務がある。年八千いくらかの契約で料金もちゃんと払ってある。

カスタマーサポート部隊は顧客からのクレームに対処するだけで、アカウントを復旧する能力なんかありゃしない。上部にこれこれこういう障害が発生してます。早急に処置をお願いしますと、上の顔色をみながらお願いすることしかできない。エンジニアリング部隊は一般的に開発部隊とすでにリリースしたシステムのメンテナンス部隊にわかれているが、どちらもびっしりスケジュールを組んで厳しい予算管理のもとで日々奮闘している。そこに飛び込みのクレーム対応なんか入れられるとは到底思えない。
こっちも二十年近くアメリカの大手エンジニアリング関係の会社にいたから、カスタマーサポートのケツをバットで殴ったところで何もおきやしないことぐらい分かっている。不条理の見本のような環境で仕事を強いられているサポート部隊を追い詰めてもしょうがない。これがアメリカの会社のカスタマーサポートの実体だ。「お客様は神様」だというのは、極めつけの反語で、「俺たちが神で、客はだまって金をだせ」が本当のところだ。
ChatGPTが出てきた今、インターネットを使った外国語学習サービスは特定の業界のクライアントによほど特殊なサービスを提供しないかぎり、生き残れないだろう。それは機械翻訳にも言えることだと思っている。

ことのついでに日本の会社でも似たような状況になっていることを書いておく。
<ペダラ:アシックスのウォーキングシューズのブランド名>
三十二、三歳ころからだから、ペダラを履き続けてもう四十年になる。ペダラの中堅従業員より(客の視点でしかないにしても)ペダラの歴史を知っているかもしれない。ソールのつま先が欠ける問題は、ソールの材質を変えて厚くして解決したが、ソールの中央にひびが入るようになった。あげくがペダラが売り物にしていた履きなれた足袋のような履き心地はなくなった。縫製上防ぎようがないと説明されたが、四十年前と変わらず今でも半年も履けば水漏れする。アメリカでならまだしも日本でオーバーシューズは履けない。オーバーシューズはゴム製で、その名の通り靴をすっぽり覆うもので、大袈裟で非常に見てくれが悪い。東京でそんなものを履いての通勤は憚れる。
数ヶ月前、ヒールの張替え(純正)をと思って、近間に頼めるところはないかと電話で訊いたが、返事がない。再度電話したが、調べて連絡しますと言ったきりで、なにも言って来ない。ペダラの時代も終わったんだろう。なんどか履いてその都度満足していたNew Balanceのウォーキングシューズに履き替えた。

おしなべて切羽詰まっている日本の会社で、バブル崩壊以降カスタマーサポートの質が上ったところなんてあるんだろうか?
一見客相手にしかしようのない商売もあるだろうが、多くのビジネスではどれだけいい固定客をつかめるかが将来を決める。焼き畑農業でもあるましいし、新規の開拓に目がいって、固定客を失っていったら先がない。口幅ったいいいかたでイヤだが、信用を勝ち取るには時間がかかるが失うのは一瞬だ。うまくいっていて当たり前、トラブったときこそが真価を発揮して信用を得る絶好のチャンスなのに、それをわざわざ潰す経営陣の短視眼が情けない。
2023/12/29 初稿
2024/2/19 改版