同調圧力に言葉の壁(改版)
日立精機入社して十年、気がついたらよろず引き受けの便利屋になっていた。三十歳を前にしてどうしたものかと考えた末に、無職になる危険を承知で翻訳者を目指した。翻訳者として三年半、これなら食っていけると思えるようになったら、内職仕事のような翻訳に嫌気がさしてきた。CNCの開発仕様書の翻訳を依頼されたことが縁でアメリカの会社に転職した。そこでは当たり前のことだが、資料という資料全部がオリジナルは英語だった。英語の資料を読んだことのない人にとって、何百ぺージもの厚い資料に目を通すのは辛い。和訳したものは、技術知識もない、ただの英語使いの外注翻訳者が字面で翻訳したもので、想像に想像を働かせても何が書いてあるのか見当のつきようのないものだった。そのせいで、同僚のエンジニアは、製品の機能や性能、取扱いまでよく理解しえない状態(不安を抱えたまま)だった。アメリカ本社から駐在で来ているアメリカ人は日本語が分からない。日本人従業員は英語で疑問を駐在員に訊く勇気がない。そこで起きるべきして起きることが起きた。両者の間にはいった通訳のような立場になってしまった。何か起きるたびに、何が問題なのか、何を確認したいのかという聞き取りから始めた。日本語ですら問題を整理できない人たちが英語でアメリカ人に相談などできるわけがない。何度も問題を確認しながら、英語のマニュアルを斜め読みして、何を駐在員聞いて確認しなければならないのかという作業にあけくれた。気がついたときは遅かった。マーケティングという名の便利屋になってしまった。便利屋がいやで翻訳屋に転身したのに、四年後には英語で技術的な内容を丁々発止でという便利屋に成り下がってしまった。
イタリアの合弁会社から送られてきた英語に翻訳された資料は、英語から日本語に翻訳された資料よりまともな翻訳だったが、途轍もなく個性のある製品で、世界で標準的な製品群とは似ても似つかない代物だった。何度も読みかえして、こういうことをいってるかもしれなと思いながら、ああでもないこうでもないとやっているうちに動いた、こういうことだったのかということの繰り返しだった。毎日新しい発見をさせてれくる製品で、エンジニアはとてつもなく生産性の悪い作業をしいられていた。
合弁相手が開発したCNCの動作が安定しない。まったく動かないのなら、原因の可能性を絞り込みやすいのだが、たまにちゃんと動くから性質が悪い。問題なく稼動しているもう一台と同じファームウエアを搭載しているから、ファームウエアの問題ではなく、ハードウェアの障害としか考えられない。
アプリケーションエンジニアが、もう一台のCNCと基板を入れ替えたら、正常に動作していたCNCが動かなくなった。障害の原因は基板にあることは確かなのだが、基板のどこに原因があるのか特定できない。エンジニアといってもアプリケーションエンジニアで、基盤の不良を特定する技能があるわけではない。二枚の基板を見比べていた。時間のかかる作業で、原因が特定できる可能性は低いが、ほかにいい方法が思い浮かばない。日常業務でバタバタしていて、思い出してはラボに行って、アプリケーションエンジニアに何かわかったかと聞いていた。
なんどかラボに行って気がついたのだが、奥まったところでPLCのアプリケーションエンジニアが二人で朝から話しこんでいた。下手に口出ししてトラブルを背負い込むのも嫌だしと放っておいた。ちょっと経ってラボに行ったら、CNCの障害を追跡していたアプリケーションエンジニアの顔が明るい。よかった、原因がわかったのだろうと話を聞いてたまげた。
二枚の基板を並べて説明してくれた。小さな抵抗器が並んだところを指差して、「こいつですよ、こいつ。信じられます?」なんだと思って見たら、並んだ抵抗器の中に一つだけ抵抗値を示すカラーバンドがないものがあった。あきれたことに抵抗器がついているはずのところに、コンデンサがついていた。日本の工場でこんなばかげたミスが起きることなど考えられない。「さすがイタリア人の仕事ですよ」エンジニアの呆れ顔に笑顔が、なんとも笑えない。
二、三日かけても原因を特定できないだろうと思っていたが、目視で見つかる原因で運がよかった。それでも何時間もかけてチェックして、やっと障害の原因を突き止めてみれば、あまりに初歩的。「お前たち、いったいどういう仕事をしてるんだ、責任者でてこい」と怒鳴る気力もなくなってしまう。
チップマウンターで実装しているのに、どうやったら抵抗器にコンデンサが混じるのか?実装したあと、基板の機能検査をしていないとしか思えない。アメリカ本社の製品の信頼性には泣かされどうしだったが、それ以上にイタリア語の辞書には信頼性という言葉がないのかといいたくなる。
ラボの奥まったところには、最初見たときは二人だったのが四人になって、何時間もしないうちに五、六人の輪になっていた。CNCの障害の原因がはっきりして、気持ちに余裕がでたこともあって、PLCの集団が気になった。朝から何を話しているのかと思って輪の外で話を立ち聞きして、イタリア人に負けず劣らずの人たちにあきれ返った。
輪の中のアプリケーションエンジニアが、昨日Read-Only Memory(ROM)の特性のばらつきで、システムが立ち上がらないことがあると言っていたのを聞いていた。昨日は一人だったのが、今朝二人になって、そこに営業マンまでよってきて、同じ障害のことをああでもないこうでもないと、まるで井戸端会議になっていた。結論を出す意思があるのかわからない堂々巡りの話に五人、六人と集まっていったいなにをしているのか。
あきれたことに、ハードウェアの設計―特性値の許容幅が大きすぎて、ROMによってはデータを読み込めないことがある。このメーカのこのシリーズのROMなら間違いないが、あのメーカのこのシリーズやあのシリーズでは読めるものもあるが読めないものもある。日本ではちょっと考えられないが、メーカと製品シリーズによって、PLCのハードウェアとの相性のよくないものがある。
客先での障害を解決するため、早急にきちんと読み込めるROMを入手しなければならないのだが、アメリカの事業部から取り寄せると一週間以上、ときには二週間近くかかることもある。秋葉原で互換性のあるROMを買ってきても、設備も能力もない日本支社では、どこまで相性が合っているのか、基板に載せて稼動して様子をみるしか方法がない。
アメリカに手配すべきなのか、秋葉原に互換品を探しに行くべきなのか、どうしようって、三十半ば過ぎたのが五人、六人そろってごちゃごちゃ言っているだけで、誰も具体的には何もしようともしない。事務所のある宝町から地下鉄を乗り継げば、秋葉原まで二十分もかからない。
井戸端会議の発端は、担当のアプリケーションエンジニアにある。何をするにも自分では決められない。ああでもないこうでもないという堂々巡りのために生まれてきたのではないかという人で、新興宗教のことになると目つきも違って驚くほど雄弁になるのに、こと仕事になると誰かに決めてもらわないと先に進めない。そこに、当事者意識の欠けた営業マンが、まるで暇つぶしのように集まってきて、一人の堂々巡りがグループの堂々巡りに拡大して、日長一日話をしても何も決まらない。
この人たちには、ずいぶん無駄な時間を使わされてきたという思いから、つい口を挟んでしまった。「いつまで同じことを話してるんだ?」「できることは二つしかないじゃないか」「まず、物流部隊にいってアメリカの事業部から標準採用しているROMを取り寄せろ」「次に即秋葉原に行って互換性のある候補のROMを数種類買って来い」「買ってきたROMにデータを書き込んで基板に載せて、機能試験をしろ」
日本支社には、ROMの特性をテストする装置もテストをする能力を持った人もいない。できることは互換品と言われているROMで試して、一日もかけて機能テストして、問題なく稼動すれば、それでOKとしておくしか方法がない。OKだったら、それを客先に持ち込んで客先のシステムを稼動して、うまく稼動したらOKだろう。日本支社では、これしかできることがない。
ろくに何も考えないで、思いつきでホイホイというものも困りものだが、ああでもないこうでもないと堂々巡りを繰り返して何もしないで、何を考えているのかわからない。何をいくら考えたところで、できることは限られている。その限られたことから、これならと思うものを選ぶしかない。このプロセスを意思決定などとたいそうな言葉で呼んでいる人たちもいるが、していることは可能性のなかからの選択でしかない。
決めると思うから決められない。選ぶと思えば、それもできることを選ぶしかないと思えば、そして選ぶ責任というより義務があるとでも思えば選べる。ただそれだけのことなのに、なぜかしようとしないのか、できない人たちがいる。すればいいだけだろうと言ったら失礼か。
<同調圧力と無責任集合制に言葉の壁>
日本には個人が個人して生きることを忌避しないまでも、好ましくない姿勢とする文化がある。単一民族、単一文化と思っているところでは、自分はまわりの人たちと同じでなければという同調圧力が無意識のうちに醸成される。村八分のように一定の枠から外れると日常生活にまで支障がでる。必然として、人の顔色をうかがい、空気をよんで集団の大勢にまぎれこむ術を身につけるのがあるべき社会生活だという考えが支配的になる。 そこから無責任集合制なる責任不在の意思決定プロセスがうまれる。誰が決めたのかわからない、責任の所在がはっきりしないことから、何か問題が起きたときに誰も責任を負おうとしない社会が当たり前のようにして出来上がる。
そこに、いくら読んでもピンとこない字面で翻訳したマニュアルしかなかったらどうなるか?みんな自分の理解がどこまであっているのか分からないから、誰もはっきりしたことを口にしない。同調圧力から生まれる無責任集合制にくわえて、自身の理解に不安を抱えた集団が機能するわけがない。
2017/5/14 初稿
2024/10/23 改版